「夜明けの口笛吹き」(その6)

 鍛え抜いた肉体、その美の神殿に重なるものは玉のような汗に濡れる柔肌であった。その白い肌に赤毛は映え、美しいグリーンの瞳でナンシー・フェルジの身体を見つめていた。

 この春に十六となるエマ・ジョーンズは、あの野獣の如く快楽を貪る手玉に取っている。若き花を散々に摘み散らかす悪癖と、絶頂させる技で知られる彼女が、悶えながら快楽の底に堕ちることへ対抗している。


 「エマ…お願い、もっと…」

 「大丈夫、優しくしてあげますよ」


 十二歳年上の彼女を、エマはまるで子供のように扱う。それもそうだ。この従卒に仕込んだ技の多くは、ナンシーとの交わりを繰り返すうちに、いつしか彼女を満足させるだけの領域に至った。


 この幼い従卒に、ナンシーが自らの体を預けるときは、決まって彼女に屈辱や悲しみが訪れたときだ。そう、まさにその屈辱と悲しみの真っ只中に居るのだ。


 国王が大合衆国の声明に対して物言いをつけてきた。を扶桑之國に与えるようにというものだが、これは理解に苦しむ内容だ。世界連盟にあれほど骨折りをして、むざむざ台なしにする機会を作るとは愚の骨頂ではないか。


 だがこの決定に関わった連中の顔ぶれでその理由が分かった。その上、あの連中が得意になっているのを思うと、悲しみが怒りに変わる。


 世界連盟が成立、この構想に女が関わっているということが面白くない勢力がいるのは重々理解している。その上で、成立後に大合衆国が泰西王国へ植民地の解放を命じるのでは無いかと俄かに騒ぎ立てている。


 石頭で鈍重な連中も、こういうときには頭が回る。連中は国王に擦り寄った。昔から「武人としての精神」を重んじる人物なのはよく知られている。


 例えば北方の帝国と扶桑之國の戦にあっては、互いの奮戦を讃え、死傷する兵士の数に人目憚らず涙する。特に扶桑之國側の将軍たちが終戦協定の折、北方の帝国の将軍たちにも軍服着用と帯剣を認め虜囚ではなく「将軍」として扱い、上座に座らせて健闘を讃えたところから会談を始めたという報道には、これこそが武人の精神であると王立陸海軍の将官から兵卒に至るまで訓示を行ったほどだ。


 これの心を利用した。国王が持つ武人への憧景を、連中は大いに悪用したのだ。


 武人の心を見通す眼とは高邁な精神の発露に違いないが、政治という藪に潜む蛇を見つけることが苦手とする。


 連中は訴えかける。大合衆国の扶桑之國へ対する声明は「武人の精神」を失った「法と規則の奴隷」のそれである。扶桑之國、北方の帝国の一戦を見ればこの勝利によって得たものを始末できるのはこの二ヵ国以外になく、その立場を考えれば大合衆国の声明は専横に他ならない。

 これを見過ごすことは、我々も武人の心を失うことであると涙ながらに訴えるのだった。この陳情に心動かされ、国王は「武人としての精神」に基づいた手段を提示することにした。そして彼の顔には、自分があれほどまでに心動かされた小さな近代国家に対し、最大の礼を尽くしたという一種の陶酔があった。


 連中の思惑は大成功、奴らの薄汚い笑みが見えるようだとナンシーは思う。その中にが居る。


 大臣だの公爵だの呼ばれるこの連中は、平素は王室へ向かって万歳などと言いながら、結局は保身と出世のための道具にしか使っていない。うまく掴んだ利益を、手放すまいとすることばかり腐心している。


 男という生き物は、どうして政治という科学を芸術という感情表現で動かそうとするのか。頭が回るときは戦争をするときと、女を凌辱するときだけ。


 「女王陛下、私は大恩に報いることができません…」


 ナンシーの胸中に過ぎるのは、この一言だけ。君恩を蔑ろにした者の中に、父親がいる。当然その血が我が身に流れている。もはや言葉にならない現実だ。


 泰西王国が推進する世界連盟の構想は、泰西王国の女王による案であった。


 女王自身、他国の公爵家から嫁いだ身分であり、その背景には政治と紛争があった。こうした事例が世界中にあるうちは、いつまでも女性や弱いものは苦しみ続けるだろうと、こうした連鎖を打ち払う国家の先例にならんと決心した。そして、才あるものを各界に登用しては、この構想実現に向けた活動を推進してきた。


 ナンシー・フェルジもその中の一人だ。王立陸軍学校にあって抜群の成績を誇り、女性も軍人として王室に貢献できると知らしめた存在だ。それ故に彼女の忠誠心は本物であり、慈母の愛を求めるが如き感情もあった。


 大恩ある女王陛下を蔑ろにするものは、誰一人とて許さない覚悟だった。


 「断じて許さぬ。連中は、女王陛下の頬に平手したに等しい!」


 だが、彼女には今何もできない。この身が本国にあれば、例の婚約者も果ては父親さえも謀殺するだけの自信がある。必要があれば、国王を暗殺だってしてみせる。女王陛下の心を煩わすものは、一人残らず打ち払う。


 それができない彼女の屈辱は、悲しみに変わる。


 自分は女王陛下を守る一人でありながら、何もできない。この極東の島国にあって、この馬鹿げた声明に心を掻き乱されているばかりだ。しばらく自邸に引きこもったナンシーが、エマの体を求めるのは当然だった。


 平素は威厳にあふれた美しい将校が、床の上で美しき猛獣に変身する。


 そんな彼女が、涙声で懇願する様子はエマの心に火を付けるのだった。性欲ではない、一種の慈母の心に似たような、それでいてどこかいびつな感情だった。


 「ああ、なんてかわいそう…!」


 この感情は、エマとナンシーにあらゆることを教わった師弟、というよりは親子のような絆があるからかもしれない。


 ナンシーがエマに教え込んだのは、何も快楽の技だけではない。


 床の上で交わるうち、小柄ながら高い身体能力があると見込んで、ナンシーは自分が学んだ泰西王国陸軍の白兵戦術、射撃術、乗馬術のすべてを教え込んだ。

 これは大当りだった。どのスコアも王立士官学校の女子生徒を凌駕しているではないか。驚くべきはその体力で、長距離走をこなした後に遠泳すらこなしてしまう。これは、男子であっても早々に居ない逸材であった。


 いかなる環境でも最良の状況で活躍するという、兵士にとっては余りに理想的な逸材だった。


 一体、種の主は誰か。間違いなく名のある軍人だとナンシーは考える。特定に至らないのは、エマの出自はだ。彼女はそこで、父も母も知らない子として、新たな買い手が付くまで界隈の住人たちに世話をしてもらっていた。


 普段はその可愛らしい容姿から、売春婦の間でも邪険にされず妹や娘のように扱われた。何より、そんな彼女たちの仕事の前後にあって、身の回りを世話してやるのにまったく如才がなかった。


 そんなある日、ナンシーに出会った。ここに出入りする連中から、可愛らしいのがちょろちょろしていると聞き付けたからだ。下らない男に処女を奪われて、やがて性病で死ぬよりは良いと思い彼女はナンシーを受け入れた。


 エマは育った環境から、冷徹に思われるような現実主義の一面がある。女一人が、からだ一つで命を張る世界、あの界隈はまさに戦場だったと言っていい。それも、剣も銃もない己の身だけを頼りに生き抜いていく激戦地だ。


 毎日見知った顔が消えていく。最後に見る笑顔は、彼女たちの生活の中で一矢報いる瞬間。己の運命を不運と人は言うが、自分は見事に生ききったという証、まさしく戦場だ。硝煙の変わりに、香水が香っているところだけが異なるだけの戦場だ。その戦場で培った思考が、エマにはある。

 

 「この一件、できるのであれば私が引き受けたい。扶桑之國の闘士がどれ程の者か知らないが、必ず討ち果たしてみせる!」


 エマは決心していた。ナンシーが悲しむなら、彼女の悲しみを払うためにこの難題を自分が引き受けようと。自信は十分にある。徒手空拳、剣術、射撃、どれも貴女が自分に授けてくれたもの、それで以って敗れる理由がどこにあるというのか。


 「今、フェルジ大佐のために。いや、ナンシーのために出来ることはこれしかない」


 この国の武術は歴史こそあれ、既に実戦の場を離れて久しい。平素の訓練というものも、型稽古ばかりの舞踊と大差がない。まるで現代の戦場や戦闘を知らない、勝機は十分にある。これに根差した軍隊格闘術が役に立たなかったのは、北方の帝国との一戦で解っている。


 そんな冷静なエマの思考が止まった。何度もナンシーが自分の名前を呼んでいる。そして、何が欲しいのかはもう知っている。


 「わかってる。そう、甘いのが欲しいのね」


 蕩けきった表情で子供のようにエマの唇を求めるナンシーに、その囁きが聞こえたかどうかはわからない。そして、エマは優しくナンシーの唇を吸うのだった。


 「エマ、私を助けて」


 唇が離れた折の一言に、エマはますます自分の決心を固くするのだった。

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