「夜明けの口笛吹き」(その5)

 「連中はもう一つの嵐を呼ぶ」

 「もう一つの嵐?」


 希子は、どうも爾子が見えているものを理解できなかった。この旧友の、優れた洞察力からくる一種の予知能力は十分知っている。優れるが故に見えているものが凡人よりも彼方であることがしばしある。


 もう一つの嵐が更なる難題の比喩であれば、扶桑之國ふそうのくにの道は閉ざされるのではないか。だが、彼女の表情はふざけている様子も、からかっている様子もない。


 「船は強い向かい風にあってこそ進むものと古人が言ったわ」

 「そういう言い方は、海軍で講演するときにでも言ってほしいな」

 「それなら、陸軍精神ってやつをここで発揮しようじゃないの」

 

 爾子の言う通りだった。そう、我々は陸軍だ。嵐、風どころかあらゆる天候。いかなる場所であっても将兵は前進突撃することを第一の心得としている。彼女の一言で、少し希子の抱いていた緊張が和らいだ。

 

 「ところで爾子、それはいつ来る?」


 希子の一言に、爾子は彼女の覚悟を感じた。そして、希子の質問に彼女は静かに返答した。


 「

 「何だって?」


 そのあっけない返答に、また希子はこの旧友の言わんとするところが完全にわからなくなった。やはり、奇才天才の文脈を読み解くのは難しい。自分の覚悟は、彼女に伝わらなかったのかと少々脱力した。


 「約束は十五時に時山邸と伝えているので、もうすぐよ」


 爾子は懐中時計に目をやった。


 これは彼女が、陸軍学校時代に西方諸国の東方連邦へ留学した折に買い求めた。意匠に華々しさはないが、品質と性能は抜群で彼女の好みだった。つられて希子も懐中時計を見る。それは爾子が持っているそれとまったく同じものだった。二人の長い付き合いを、この時計が刻んでいるのだ。


 そして約束の時間が来た。二人の時計の針がぴったり十五時を指した時、そのもう一つの嵐というのが女中に案内されながらやって来た。


 「突然の来訪を受け入れていただき感謝します。アリサ・スカーレットです」 


 彼女が恭しく二人に挨拶した。褐色の肌にまとめた艶やかな黒髪、希子には見覚えがあった。父の葬儀に参列した一人、大合衆国大使館の外交官であったはずだ。


 「こちらこそ、ご足労をいただき感謝します」

  

 二人も挨拶を返したものの、ついに来るべき時が来たという動揺を押し止めることはできなかった。席に着いて話もそこそこに、この美しき外交官は本題に入った。いかにも大合衆国らしい手法だった。

 

 「三日前に西大合衆国に向けて声明がありました。明日正午、扶桑之國にも非公開で通達されます」


 アリサは自分が発した言葉に、二人の気配が軍人のそれに変わるのがわかった。更なる要求を泰西王国の要求、やはり扶桑之國の退路が断たれるのではないかと思った。旧友ののようにいよいよ終焉への合図がなるかもしれない。


 「しかし、泰西王国の声明も不可解な点が多く、この点についてお話したく今回はお二人に協力頂きたいと思いました」

 「お待ちください。スカーレット女史、この情報開示は大使館、いや大合衆国政府の同意があるものと判断してもよろしいでしょうか」

 「はい。直接、清河中佐ならびに時山大佐に接触して意見を賜るよう、指示を受けております」

 

 大合衆国大使館が二人へ秘密裏の接触を図ろうとしたきっかけは、爾子が著した「新世界之統治者」にあった。


 出版同時期にこの著書を入手したアリサ・スカーレットは内容に驚嘆した。開戦から勝利はもとより、世界連盟の構想についてが、何よりの驚きだった。少々時間を要したが、母国に向けて翻訳した内容を共有すると、この扶桑之國の奇才・清河爾子は要注意人物の一覧に列した。それも、諜報関係の筆頭に名前が挙がった。自国は無論、泰西王国にも内通者の調査が走っていたという。

 

 余談だが、大合衆国それでも詳細や接触の痕跡が掴めなかった場合に、発足したばかりの超能力研究室の活用も検討していた。


 そして、この泰西王国からの不可解な声明について、彼女はどう見立てているかを直に確認する密命があった。自国は泰西王国との繋がりもなく、白とわかった以上はこの逸材を見逃す手はない。


 ましてや交友関係に、時山元帥陸軍大将の息女が居る点も見逃さなかった。父ほどの影響力はまだ無いにせよ、その名前はまだまだ軍部で不測の事態を避けるために、彼女も抱き込んで置くことで要石とする思惑がある。


 そしてこの任務を彼女が担ったのは、幸運にも爾子の住まいが近くであったという点にあった。互いに顔を見知っており接触は自然に行うことが出来た。


 「ありがとうございます。スカーレット女史、事情はわかりました。それで、泰西王国からの声明というのは?」


 この内容に関しては、大合衆国側も混乱している。余程のことだろうと希子は覚悟していた。そこでアリサが語った内容には思わず耳を疑った。


 「各国の代表者による決闘、そう仰りましたか?」


 近代国家とは思えない時代錯誤の要求、少なくとも泰西王国の背景を考えれば、その声明は信じがたい内容だ。あの国は保守的な性格でありながら旧弊を打ち払い、西方諸国における近代国家の先駆けとなった国ではないか。それがここに来て権益問題の決着に決闘という旧弊の権化を選択するとは、何の思惑があるのだろうか。


 「失礼ですが、通達の記載に誤りはありませんか?」

 「、ありえない話ではありません。連盟発足以前の西方諸国では、現在も土地財産の係争の折、諸侯が代表者を用いた決闘で決着した例があります」


 希子が驚く一方で「そういうことか」と済ました顔で口をはさんだ爾子ですら、内心まさかと思う内容であった。自分が予想していたのはこの権益返還を認める代わりに、だった。

 それが決闘というのであれば、我々は泰西王国のされたのかと内心腹立たしさもあったが、爾子にはその背景が見えて来たようだった。


 「この提案に、泰西王国は何の利益があるというのでしょうか」

 

 アリサの言うことはもっともだった。勝敗を競うのであれば、条件は扶桑之國に圧倒的不利な状況で続けての提示があるのが自然だがそれも無い。


 「問題は利益云々よりも、泰西王国が一連の決定に於いて存在感を失わないためでしょう」

 「清河中佐、それだけでこんな無謀な提案には繋がるとは思えないが?」

 「ええ、その通りです。

 「ということは…」


 爾子の一言に、思わず希子もアリサはハッとしてしまった。あの国でそんな権限のある男性とはたった一人しかいないではないか。

 

 「おそらく、これを提案したのは国王ではないかと。それに、西方連盟を発展させた世界連盟の実現については、女王陛下が主導されたということは…」

 「泰西王国内の問題が関わっていると?」


 アリサはなるほど思う。内部の情勢についてはこちらも少々、旧友から教えてもらった所もある。国王が自らというよりは、何者かが動かしたとみる方が正しい。それがこの決闘という提案の背後にあるものだ。


 こうして議論が進むうちに、夕食まで挟んですっかり時間が遅くなっていた。希子と爾子が時間を気遣かって一声掛けたが、アリサは冗談混じりにこう笑って見せた。

 

 「ええ、問題ありません。時間外勤務についてはこちらの省庁とのを通して、すっかり慣れました。夜通しでも構いませんよ」

 

 まったく悪意のない冗談であった。しかし、真面目な二人はの末裔に、夜通しの仕事をさせていることを実感すると、少々きまりが悪くなるのであった。

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