「夜明けの口笛吹き」(その4)

 「この大戦を最後に、扶桑之國が海外の列強と銃火を交える機会は永遠に無くなる。再び大戦を求めるとき、我々は新世界の統治者に成敗される」


 扶桑之國陸軍の清河爾子きよかわにこ中佐が著した「新世界ノ統治者」は、そんな一文で締め括られる。この著書は二つの大戦の開戦から勝利、そしてあの大合衆国の声明までを仔細に書き記しているのだが、これは驚くべきことに開戦前に著されたものである。


 大合衆国からの権益返還の声明に、外務省や議会は大混乱だと言うのに、軍部が異様なほどに冷静なのはこの著作で、来るべき未来を知っていたからだ。この歯止めがなければ、今ごろは大合衆国と泰西王国の大使館を襲撃するか、早まった新米佐官たちが老将を担いで宣戦布告を帝に迫るなど、件の著作と同じ「締め括り」がやって来ただろう。


 「流石は爾子の千里眼だ」

 

 元老の時山元帥の息女・時山希子ときやまきこは、自宅に招いたその筆者に視線をやった。希子は、彼女の鋭い洞察力をよく知っている。陸軍学校では同期でルームメイト、卒業は首席と次席という二人だった。


 この清河中佐は数多くの逸話があるため、列挙するだけで一つ物語になるのだが、特に有名なのが入学試験の逸話である。


 当時、登場したばかりの「飛行機」の運用や今後の展開について問われ、模範解答は「敵陣の偵察と、気象観測の精度向上が期待できる」というものなのだが、彼女は「機銃と爆弾を搭載して編隊を組めば、その運動性から装甲車両、艦艇を相手にも有用な手段となる。生産にあたっては民需を大きく刺激するため陸海軍共同で生産計画を練るべし」と回答した。

 この飛行機顔負けの飛躍した回答は今現在、陸海軍共同の航空機統合整備計画が立案され実行に移されている。


 そして彼女は入学するや、どの学科でも鋭い質問や先進的な意見を述べて教官や周囲を驚かせたのは言うまでもないが、時折不興を買っては希子とともに謝罪することもあった。


 「ちょっと希子、その呼び方やめてもらえる?」


 おそらく、この扶桑之國で時山希子を名前で呼ぶのは彼女と希子の両親だけだろう。この二人はまったく気のおけない間柄であり、互いに本音を話せる数少ない親友だった。元老、元帥大将の娘として生きる彼女に、爾子は持ち前の率直な態度で付き合った。それがこの関係を作ったのだ。彼女には常に媚びへつらうものや、下心があるものに囲まれていた。故にそんなところに希子は感動し、長い友情を築くのは自然なことであったかもしれない。


 「千里眼なんかあれば、降格処分なんて回避してたわよ」

 「ははは、そうだな爾子」


 さて、素晴らしい洞察力で著された爾子の著書であるが、やはり大問題になった。内容が内容であったために「いつものこと」では済まされなかった。この時ばかりは発狂したと誰もが思ったようで、陸軍への重大な侮辱行為として大佐から中佐への降格と謹慎が言い渡されたのだった。


 爾子は士官時代に東の大陸と北方の帝国の大戦については開戦前に反対していたことも、この降格に関わっていた。これは彼女が平和主義者だからではない。戦争の背景を考えて行けば「勝利はするが、骨折り損になる」というのが彼女の見立てであったからだ。彼女が引っ掛かったのは、この二つの大戦の前に協力を取り付けた国家が、あの二枚舌どころか三枚舌のような油断も隙も無い泰西王国というところだった。


 うまく手綱を握ったつもりが、どうやらその馬は扶桑之國の手綱を取っていた。


 第一に東の大陸の件は、大陸を治める東王朝とうおうちょうを扶桑之國が破れば、間違いなく政変が起きる。これを泰西王国たいせいおうこくは期待しているのは明白だった。

 泰西王国は過去に一部の港湾や領地の租借を勝ち取っていたが、如何せん反発が強く、その約束は書面のままだった。そこで、過去の関税に関する条約や領海侵犯で揉めている扶桑之國ふそうのくにに目を付けた。

 敵の敵は味方と、戦費を負担してやる。これで、扶桑之國は存分な戦力を保持できるため間違いなく勝利できる。泰西王国は、むざむざ極東まで兵を派遣する手間が省けるうえに、扶桑之國を自分たちの先兵とすることに成功する。


 王朝の敗北での民主化運動は加速し、皇帝とその一族を首都から追放できる。また、運動を主導した面々による臨時政権を支持すれば実質これも手中におさめることができる。先の書面上になっていた港湾や領地を含めてだ。

 そして、ここを前線として植民地の監視と本国との連携がより強固にできる。植民地からの利益は、女王陛下へ正しく還元されることとなり、人々の暮らし向きはより厳しくなるだろう。


 第二に北方の帝国、これは大帝一族は古来より西方諸国と国境を争っており、国境沿いに近い諸国は軍事的負担が増加するばかりで破綻寸前だった。破綻されれば、堤防の決壊したかの如く、帝国の軍隊が流れ込んで来る。

 これを防ぐため西方連盟せいほうれんめいの成立後、その負担を加盟国で平等に負担。共通の敵を作ることで不満の矛先を変え、連盟の連携も強めることが可能になる。

 

しかし敵もさるもの、北方の帝国の侵攻政策も本格化してきた。北方の強大な領地に正比例したような陸海軍でもって西には更なる土地、そして東に新たな海を求めはじめたのだ。


 西は既に手一杯。さて、ここで役に立ちそうなのは、極東の先兵たる扶桑之國われわれだ。我々に脅威が迫っていると煽り、広大な北方の領地と鉱物資源獲得をちらつかせれば、うまいこと大帝一族を痛め付けてはくれないかと、泰西王国は画策する。


 今回ばかりは泰西王国も懸念事項がある。


 国境付近の諸国に於いて連盟結成以前の負担を恨む連中が、帝国に寝返る可能性が大きかった。このため連中との折衝に集中するべく、中途より大合衆国への参入を取り付け、終戦講和に至るまでの諸々を代行させる。

 

 大合衆国は国際紛争に関して、常に中立の立場を取っているためこの申入れを受諾する。これによって泰西王国は極東に自分たちの先兵と、面倒ごとをまとめてくれる頼もしい相棒を持つことになる。この戦争で本当に勝利するのは誰かと考えると、それは明白である。

 

 後顧の憂いが無くなった泰西王国は、西方連盟の発展拡大を狙う。それは世界連盟の構想だ。連盟の盟主と次席が、新世界の統治者として君臨する世界の到来を宣言する必要がある。その犠牲者となるのが、大戦の勝利を自分の功績と勘違いしている扶桑之国だ。我々の役目はここで終わる。勝利を剥奪され、その上で新たな世界の統治者に屈服させられる。


 この宣言は我々が起こしたこの奇跡を締めくくるに相応しい事象の後に必ず行われるというのが、彼女のおおむねの見立てであった。


 「あの大合衆国の声明、父上たちは何のために戦ったんだろうと思ったよ」 

 「今は隠忍自重するしかないわ、我々の回答がいずれであってもね」

 「待つ他はないか…」


 希子は腕を組んで、うーむという具合に天井を眺めた。やはりその仕種が、時山元帥の気配を感じさせるのか、さすがの爾子も一瞬固まるのであった。そして、急に妙なことを言い出した。


 「なあ爾子、仮に大合衆国と戦端を開いたら…どうなる?」


 希子はおろかな質問だと自分でも思った。大合衆国の工業力については、北方の帝国と西方諸国すべてを足しても上回るほどである。例えば、扶桑之國で一年間に生産する自動車は大合衆国では一ヶ月のそれよりも少ないという。

 飛行機は本土横断を実現し、大海原を渡り西方諸国にまで到達する性能を誇る機体が登場。航続距離の飛躍に加え、その武装かなり進歩しており飛行機械同士の戦闘はもちろん、爾子が入学試験で回答したように艦艇への攻撃も可能になっている。

 扶桑之國は、ようやく偵察機の運用が開始したばかりだ。艦艇に至っては、かつて扶桑之國がその威容におののいた五十年前の船団たちを凌ぐものとなっているが、どうやら海軍は軍縮の圧力を掛けられている。


 「もう一度、夜明けの口笛吹きがやって来るなら、その口笛は地獄の門を開く合図、それ以上は…」

 「例えば、陸海軍の予備役も総動員。これでもって、各地で分散して迎撃するなら一週間持ちこたえられないだろうか」

 「三日で東西南北の連隊と都市部は壊滅、次の一日は帝都で降伏調印。残りの三日は連中の遠征休暇ってところね」


 さすがの爾子も、彼女の発言に呆れ返ってしまい強い口調でその質問を遮った。

 希子は相変わらずの爾子の舌鋒に、苦笑いするしかなかった。


 「すまない。愚かな質問だった」

 「お父様、いえ時山元帥は、いつだって退路は進む前から準備していたものよ」

 

 時山希輔は、有事の折に大合衆国へ協力をとりつけるため戦前から工作していたのだ。子飼いにしていた外務官僚に、留学のおり現在の大合衆国大統領と同窓生となったものがあり、これが今回の大戦の調停を実現する糸口として計画を進めていった。

 北の帝国との大戦は扶桑之國が幾つかの奇跡的な勝利によって戦況を覆したように見えるが実際は戦費も軍備も限界、これ以上の戦争継続は不可能であり、戦況が有利なうちに協定を結んだというのが正しい。


 「なあ爾子、私に何ができる?どうしたらいい?何も私はできないのか?」


 希子にはそんな気持ちが、爾子と話しているうちにどんどん膨らんでいった。悔しいような、悲しいような。自分が何もできないまま、4月になれば将官となり、陸軍学校の学長に収まる。


 このままでは、何か父を裏切るような気がしてしまうのだ。葬儀の時すら見せまいとした涙が込み上げてくる気がする。


 故に、久しぶりにこの千里眼の如き旧友を呼び出したのだった。爾子なら、何か見えているのではないかと。いや、すでに何か画策しているのではないかと。

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