「夜明けの口笛吹き」(その3)
「残念だけど、扶桑之國には勝利の栄光を捨ててもらうわ」
そう、勝利の栄光を捨ててもらう。勝利は我々にある。
そして屈辱を味わってもらうのだ。その中に、あの時山希子も含まれる。あの女は、亡き父に謝罪の涙を流すだろうか。こう考えるだけで、体の内側が熱くなってくる。絶頂を求める渇きがやってくる。だが、この美しき計画の実現は泰西王国だけで実現しない。彼らの勝利への協力者である事実は覆せないのだ。形はどうであれ扶桑之國への裏切りであった。故に、公平な立場にある大合衆国に協力を取り付けた。
何が見返りか、次の国際会議で結成が宣言される世界連盟の盟主の座だ。
これは、西方連盟の概念を世界規模に発展させたものである。世界の紛争や経済問題など、この盟主によって解決の手段を計っていく。故に盟主は、かなりの国力を要求される。大合衆国のとどまることを知らない経済成長により実現した世界最大の国力、これに対向できる国家は現在存在しない。調停者としての資格は十二分にある。ならば、誰かがこの座に落ち着くことを薦める前に、あの伝統と格式ある泰西王国が膝を屈して「どうぞ」と薦めておく。これで、自分が大合衆国を相手に事を構えることも、その逆も永遠に無くなる。
この実現まで、西方諸国の問題を抑えられれば、あとは自然に解決してくれる。頼もしい相棒、調停者が。それが泰西王国の腹積もりだ。
「ねえナンシー、私にはもう一つ嵐の発生源があると思えるのだけど」
「ホントに聡いのねアリサは」
東方連邦の一件に加えて、もう一つこの春の嵐が生まれた原因があるとナンシーの表情からアリサは読み取っていた。そしてナンシーはやれやれという具合に、あの言葉をアリサに投げかけた。
「五十年前、あなたたちの船団がやって来たとき、誰かがその汽笛を夜明けの口笛吹きと言ったらしいわね」
「ええ。扶桑之國の人々は、中々の詩人ね」
「余り考えたくないのだけど、もしかしたらその呼び名は、この国のものになるかもしれないわ」
「どういうことかしら」
「なるかもしれないのよ。この小さな島国が、新しい夜明けの口笛吹きに」
扶桑之國の大勝利と時を同じくして、扶桑之國から見て南方に位置する島国たちに大きな変化があった。この地域の島国のほとんどが、泰西王国が所有する植民地である。そこで、植民地支配に対する反対運動が激化しはじめたという。既にいくつかの国では、領主が追放あるいは殺害されるという事件が発生しており、非常に危険な事態となっている。
それほどに、扶桑之國という同じ小さな島国がやってのけた奇跡は大きなものだった。ましてその軍隊を率いた将軍に、かつて旧政府打倒の志願兵だったものがいる。そう、我々と同じ低い身分の、虐げられる側の人間がいるという影響力は計り知れなかった。
西方諸国でこの扶桑之國の成功に便乗しようとするもの、南方の植民地で圧政と搾取に苦しむ者たちが、この奇跡を燈明に暗闇の中を歩くように行動を始めているのだ。
ゆえに、この奇跡的勝利は完全なものにしてはならない。扶桑之國を勝者にするわけにはいかない。権益という勝者の証拠と、その志を打ち砕いておく必要がある。世界の行く末を決定するものは誰かを世界中に認識させる。勝手な思い上がった行動は、必ず打倒されるのだと。
「なるほど。確かに大合衆国は、夜明けの口笛吹きではなくなるわね」
近い将来、大合衆国が独立の気運を挫く立場になるというのはなんという皮肉だろうか。
泰西王国から独立を勝ち取り今日の繁栄を成し遂げるまでに至ったこの国家にとって、歴史の皮肉というよりは泰西王国の数百年越しの復讐でしかなかった。ならば、その任を投げ捨てるのか、それはできない。独立の代償の大きさは、大合衆国の首都にそびえる巨大な慰霊碑が今日まで伝えている。これを世界中に建てさせるわけにはいかないのだ。
泰西王国に復讐するか、それもできない。世界が新たな秩序によって統治されるというなら、その道筋から外れることを盟主が行えば、それこそ世界全体に新たな混乱を齎すことは言うまでもない。
なるほど、外交の為すところはますます大きくなる。だが、目下に迫るこの危機を如何にして回避するのだろうか。
「大合衆国はこれから、とんでもない任務を背負うのね」
いろいろ考えたが、出てきた言葉はこんな一言だった。扶桑之國の回答がどうなるのか。桜が咲くのか、散るのか。仮に散ったとしても、再度咲かさねばならないと、アリサは思うのだった。
「貴女も、それを担う一人でなくって?アリサ?」
「そうありたいものね」
ナンシーはこの旧友を皮肉なく励ました積もりだった。彼女はアリサの立場や能力を熟知している。必ず、次の時代の外交を担う一人である。しかし、これまでの会話の流れでは少しばかりアリサの心に波風を立てるのであった。
「この独り言については私の内に留めておくわ」
「そうしてくれると助かるわ、アリサ…」
「あと、次来るときはその可愛いお供の名前を教えてちょうだい」
「あら、紹介しなかったわね。エマ・ジョーンズ、王立陸軍の伍長… 見どころがあるから私に付けさせたの」
ナンシーに促されて敬礼をする所作はその容姿と裏腹に、各個たる軍人の動作であった。年齢から戦場に行ったことはないのだろうが、ナンシーにもない独特の気配を感じさせる。
「ところでアリサ、抜け目なくこの娘を見ていたなんて!貴方もようやく、こちらの素晴らしさがわかって!?」
「ち、ちょっと、そういうことじゃないのよ!?」
ナンシーは満面の笑みだったが冗談ではない。私の手を取って、きゃっきゃと喜ぶのは本当にやめてほしいと心から思った。そして彼女たちが去った後、減ることのない書類と資料の山をちらと見る。
出るものはため息ばかりだった。
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