「夜明けの口笛吹き」(その2)

 この早すぎる春の嵐、大合衆国からの扶桑之國に対する突然の声明に関しては、西方諸国せいほうのしょこくの思惑もあった。


 西方連盟の次席となる東方連邦で、政権交代の実現が確実視されている。長年、泰西王国に家系つながりを持つ政治家を首相にするべく、政治工作をしてきたがいよいよ崩れようとしている。


 それも周辺国からの影響ではない。一度は思想犯として逮捕されたという、青白い顔をした青年芸術家が率いる自国の新興政党によってだ。当初こんな泡沫政党は、誰もが若者の革命ごっこと思っていた。また、青年芸術家の誇大妄想的な言動や振る舞いは、真面目な国民性で知られる東方連邦では奇異以外の何物でもなかった。


 東方連邦の国民一同は、近年稀に見る道化に呆れ返った。そして周辺国は最高の芸人の登場に爆笑した。「私の行動理念は、古代西方の諸侯の意思を反映している」だとか「絵画を通して培った審美眼は、政治家としての手腕に匹敵する」だのと、意味不明以外の何物でもない言動はそれだけで一冊の著作にできるほどだ。


 ゆえに彼の記事を書けば、発行部数が伸びる。各新聞・雑誌は国内外から取材にやってくる。彼を宣伝に使おうと、企業が出資する。有閑の諸侯が暇つぶしに「会いたい」と申し出る。誰もがこの芸術家の動向に注目するようになった。


 こうして、この存在が西方諸国全土に知れ渡った頃、その本性を現した。彼は突如、党首声明として政権奪取の真意を新聞・雑誌に掲載した。西方諸国全土の読者たちは、またいつものと読む前から笑いを堪えていたが、読み終える頃にその笑みは消えていた。


 「これを読んで笑うものは… もう西方諸国にはいないでしょうね」

 

 ナンシーはその青年芸術家が公開した声明の切り抜きをアリサに渡した。


 “ごきげんよう!親愛なる西方連盟の諸君!諸君らが最後に狐を見たのは何時であったか??私は今、この西方諸国のどこかに棲む大きな狐を如何にせんと考えている!遥か極東の島国、扶桑之國には「虎の威を借りる狐」ということわざがあるそうだ。さて、私の探している狐というのはひょっとしたら、このことわざの元になった狐かもしれない。狐はあらゆる寓話でも、現実のそれでも巧みな悪知恵を持っているが、それは長生きして培ったものだろう。

 その狐には名前がある。諸君、当ててみたまえ!そう、泰西王国という我々のよく知った名前だ。この大狐は長らく西方連盟の盟主という立場を利用し、我々加盟国を支配し、その国力を削ぐことに腐心している。諸君はこの度大敗を喫した北方の帝国を覚えているだろうか。ああ!思い出すだけで震える存在だ!加盟国が負担した国境警護の費用は変わらず課せられている。

 この目的は何だろうか?それは加盟国の国力を削ぎ、西方諸国の平和を題目にした泰西王国の保身に他ならない。諸国の怒りの矛先は常にこの方角に向けることで、自分たちへの批判を回避してきたのだ。

 だが、もうその方角には巨大な敗戦国が、大帝の過去の栄光が朽ち果てながら今日もあるばかりだ!諸君、もう私の言いたいことはご理解いただけたかな?我々が真に戦う相手は最初から違っていたのだ!そして今、我々も目覚めるときがきたのだ。扶桑之國はあれほどの小国でありながら、二度の近代的戦争を乗り越える偉業を成し遂げた。かの国の国力は、西方諸国のいずれにも劣る!だが、その勇気は我々の誰よりも勝っている!諸君、遂に立ち上がるときが来た。その勇気を一票に託してほしい。あとは私が。いや、我々が必ず成し遂げる!その小さな一票が、必ず大きな一歩となる!“


 「とんでもない芸術家… いや、表現者ね」

 「さっさと舞台の幕引きをしないと、とんでもないことになるわ…」


 切り抜きを読んだアリサは、想像以上に緊迫した事態が迫っていることに驚きを隠せなかった。この芸術家は既に西方諸国最大の情報の拡散力と、大衆の共感力を身につけている。それはどの国の宰相、諸侯にも勝っている。そして、そんな人間たちすらも、この芸術家の絵空事の実現に興味を抱いていることは、その支持の強さから伺える。マスメディアは大合衆国でも重要視しており、有用な戦略であるという認識だった。その究極を行くような存在が西方諸国から、それもこのような形で現れるとは信じられなかった。


 政権交代が実現すれば、この芸術家の名は間違いなく教科書に記されるだろう。西方諸国に再度戦乱をもたらした者として。第一歩というのが、東方連邦が泰西王国への宣戦布告が現実となれば、他の加盟国どちらの陣営に付こうとも西方の国土すべてが戦場になる。


 それも近代装備の軍隊によって国土を蹂躙されることになるのだ。最近の例、北方の帝国と扶桑之國の戦役を見れば、その被害の壮絶さは理解できる。扶桑之國は過去に旧政府打倒の内戦と、新政府幹部の反乱による内戦で使用した弾薬数の合計を一週間で使いきった。死傷者の数は言うまでもないだろう、近代兵器のによる効率的殺戮は人間が唯一絶滅し得る手段に他ならない。


 この場合、大合衆国も無視はできないだろう。なにせ、この国家のルーツは西方諸国にあるためだ。それに全世界で点在する紛争を仲裁するのに必要な国家的体力も、今は大合衆国の他に並ぶものはない。


 「政治は科学よ、冷静な分析と研究の積み重ね」

 「その通りよ。ひらめき頼りの、即興芸術じゃないわ」


 むすっとしたナンシーの言うところに、アリサは同意しかなかった。この芸術家が次に演説をするときは、いよいよ具体的な行動を伴うときであろうと予想できる。


 「返還された権益だけど、これは却って西方諸国を混乱させない?」

 「ええ。だから返還後は連盟国主導で、加盟国の共同運営にする計画よ」

 「平等と公平の実現は、難しいでしょうけどね…」

 「ええ、それでも多少は奴から関心をそらすことができるわ」


 例の新興政党が議席を得た後は、議会を通して扶桑之國とのつながりを模索していることを泰西王国の諜報部が掴んでいた。狙いは無論の事扶桑之國が獲得した権益、これに含まれる鉱山資源や油田を利用できれば、東方連邦の国力は西方連盟の中で頭一つ抜けることになる。この計画を阻止することを第一の目標とし、併せて連盟脱退や東方連邦への態度が不鮮明な加盟国を懐柔する。


 今のところは、これで十分。時を稼げば、逆転できる腹積もりが泰西王国にはある。

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