第2話「夜明けの口笛吹き」
「夜明けの口笛吹き」(その1)
大使館の執務室で午睡するアリサ・スカーレットは先日の出来事が夢であってくれと願う。そして短い安息から目を覚ますと、さらにうず高くなった関連部署から送付された文書を見て、残酷な現実と業務を再確認するのであった。
「ああ、今日もここで一泊か」
普段なら激務でも愛する傾向のある彼女でさえ、今回の出来事については完全にお手上げだった。午後からは泰西王国大使館からの来客もある。
まったく、片付けても片付けても、仕事が増えていく一方だ。事あるごとに、大合衆国政府の真意は何かと問われるが、それはこちらが聞きたい程だ。思うところは少しあるが、回答につながらない。そこがもどかしい。
「これは二度目の挑戦、扶桑之國の?それとも祖国の?」
一度目の挑戦とは、この未開の極東の島国への接触。
遡ること五十年前、自分の祖国である大合衆国は外交使節の船団をこの扶桑之國に派遣した。旧政府が海外との交流を数百年に渡って断っていたこともあり、最悪の場合は戦端が開かれることを覚悟した。
しかし、奇跡的に国交を結ぶことに成功した。旧政府の官僚の一部が聡明で、旧弊の大臣たちをうまく丸め込んだこと。その後、新政府に先進的な旧政府の官僚が活用されたお陰で、その関係はより円満なものとなった。
後年この近代の幕開けとなる外交使節の到来を、扶桑之國の人々は船団の汽笛になぞらえて「夜明けの口笛吹き」と呼んだ。
ならばこの大合衆国の声明は、何と呼ばれるだろうか。
大合衆国から扶桑之國に対し先の大戦にて獲得した北方及び東大陸の領地の返還、併せて鉱物資源の採掘権を無効とする声名を発表。そして、これを支持する泰西王国の声明も発表された。
今後の国際会議で議論、評定を下すとのことだったがこれに扶桑之國の希望はない。なぜならこの会議で圧倒的な議席数を持つ大合衆国と、西方連盟というよりはその盟主による予定というものは、
大合衆国は北方の帝国との戦役でその終戦調停に仲介、泰西王国はその戦役以前の、東の大陸との戦役でも戦費の協力。扶桑之国はこの戦争の「調停者」と「協力者」の両方に突如見放された形で、この要求を突きつけられた。
その理由が「各国が軍縮政策に同意する途上で、この権益によって扶桑之国の軍拡を推進する行為は看過できない」というものであるから、理不尽窮まりない。この二ヵ国の、自分たちがまるで無関係であったような言い方は何だ。この気持ちをあらわにするように、扶桑之國の外交筋との折衝が熾烈を極めている。
その一方で、軍部の反応が妙に静かなのがアリサは気になっていた。
権益の奪還、報復を目的とした軍事行動も十分にありえる。往々にして、それらは突然行われるため油断はできない。さらに恐ろしいのは、この事態が国民に公開される時期だ。この火種を抱えて、果たして五十年前と同じように外交で解決できるだろうか。また考え事を膨らませながら業務に集中しはじめた頃、泰西王国大使館からの来客があると伝言があった。
誰が来るのか、アリサはある程度予想できていた。
「ごきげんようアリサ、嵐の真っ只中にいるような顔だけど?」
通された来訪者は泰西王国大使館附きの駐在武官ナンシー・フェルジ、若い従卒と一緒であった。彼女とアリサは旧知の仲、十代のころに留学生として泰西王国に渡った折に彼女と知り合った以来の仲であった。もちろん、ナンシーの悪癖はおろか、
「その通りね。まさに嵐の到来よ」
やれやれという仕種で、彼女の挨拶にアリサは応えた。ナンシーの金髪に碧眼、白い肌、何より、同性でも何かクラクラするような妖気が彼女にはある。そして、歳を重ねるごとに増している。
「一足早い、
「桜が咲くのは来月だというのに、ね」
ナンシーのこの言い方、くどい言い回し。なるほど、言おうとするところはアリサにはわかった。そして旧友は理解が早くて助かると彼女もうれしくなる。この声明に対する扶桑之國の返答も来月が期限である。お互いに、今日は何を話すかなど決まりきっていた。桜が咲くか、咲かないか、それだけである。
「あら、私は花なら
「ちょっと、こんな時によしなさいよ」
急にどぎつい冗談を入れてきて、少し困惑した。いや、アリサは内心この冗談が事実かどうか疑わしくなった。それは、今日連れている従卒が明らかに幼い顔立ちをしているからだ。だが、今はそんなことを話す機会ではないと、十分に理解している。
「ところで、この嵐は西方から来たと見てるのだけど、どうかしら?」
どうも背景には、西方諸国の問題が絡んでいるように思われた。特に、泰西王国の思惑が絡んでいると思われる。北方の帝国との国境で、
「そうねぇ… アリサ、これは独り言なんだけど」
アリサは、その腐れ縁から知っていた。この一言はナンシーが重大なことを話す前触れだ。彼女が話すことは、自分が探している回答につながる。これも長い付き合いから、そんな予感がした。
そして、彼女に
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