「あなたがここにいてほしい」(その3)

 ある報せによって、扶桑之國陸軍学校に通う士官候補生たちは一斉に凜とした表情を失った。一同の表情は、


 そして「新年度から希子きこ様が学長に就任なされる」と黄色い悲鳴で、どの教室もいっぱいになっていた。


 希子様というのは、逝去した時山元帥の息女、時山希子である。


 時山希子、元帥の令嬢というだけではなく、父譲りの長身ときりっとした目つき、きびきびとした性格。そして、長く美しい黒髪は女性将校の中でも群を抜いて美しいことで有名だ。扶桑之國の「美人番付表」では、大女優が当然のように上位に来る中で、唯一「軍人」としてその名を連ねている。野戦演習、騎乗、そして自邸で読書する姿、どの写真も雑誌に載れば売り切れは確実だった。


 彼女の姿に憧れ、陸軍学校を目指す乙女は後を絶たなかった。扶桑之國は政府成立の当初から女子教育の強化を推進し、今日の目覚ましい社会進出と活躍を創出した。政界、財界は言うに及ばず、教育の現場でもその光景は珍しいものではなくなっている。性差の優劣でなはく、適材適所というものを証明したのだ。一つ特殊な例があるとすれば、この扶桑之國陸軍ではその割合がきわめて高いことである。


 原因はいろいろあるのだが、そのうちの一つには時山希子の影響が大きい。


 彼女は美貌だけではなく、男性が中心となっていた軍隊にあって率先して制度改革を行い、凶器としての軍隊ではなく守護の軍隊を目指して行った。これは世界の潮流に歩調を合わせたものであったが、なかなか父を始めとした元老たちを頷かせるのは難しかったが、その歩みは確実に実現している。何より、女性が軍隊という組織を職業の選択とする点に於いて、その前進の一部が見える。

 

 その諦めない姿に、自分の理念を実現する姿に憧れるのだ。彼女は父の威光を借りることも無ければ、泣きつくこともない。堂々と自立した女性の理想として、皆が憧れるのだ。


 「男児であれば、今頃は大将にでもなっただろう」


 理解の無い石頭や旧弊の男連中から、こんな揶揄は絶えなかった。しかし、実際に彼女はこの春に少将に昇進するのだ。初の女性将官、扶桑之國の女子にとってこれほど痛快なことがあるだろうか。乙女たちの心に火を付けたのか、入学志願者が急激に増加した。今や陸軍女学校とあだ名されるほどで、男性の多くはこれを忌避して海軍に入隊している具合だ。余談だが、威勢の良さでは海軍の白い制服に身を包んだおぼっちゃま連中に負けていない。


 「春からは、朝礼であの麗しいお姿が毎朝見れる!」


 来年度、高等科二年に進む月岡伊織は、この度の進級試験を突破できたことを心から喜んだ。彼女はまさに元気が取り柄というところで、体操および武道修練は常に五本の指に入るがこの他の学科は悉く赤点ギリギリ、入学試験も下から数えたほうが早い順位だったので、当然今回の進級試験も難しい戦局であった。


 「希子様、私はやりました!やり遂げました!」


 そんな彼女が進級試験を突破、さらには憧れの人が学長。嬉しいことづくめであった。そして先週、並んで買った月刊誌に載っていた写真の切り抜きを、じっと眺めている。眺めるというよりは、傍目には何か崇拝しているようにさえ見える。


 そして「いつか私も」と可憐な士官候補は、乙女らしくこんな想像をするのであった。その話題を聞いてから、伊織の頭の中はそれで一杯だった。学科が終わってからも、こんな具合だった。


 「希子様が学長…嬉しいなぁ」

 「伊織さん、さっきからソレばっかりだね」


 その嬉々とした様子を、大合衆国からの留学生にして彼女のルームメイト、ナオミ・オハラは面白そうに眺めていた。常々、試験では外国語が壊滅的だった伊織を支えたのは彼女であった。


 「でも、時山少将が伊織さんの成績表みたら…驚くんじゃないかな」

 「あっ!それは困るなあ」


 ナオミの言うところはもっともだ。困るどころか非常に困る。それは伊織にとって学長の前で肌をあらわにするよりも恥ずかしい。憧れの希子様は、赤点はおろか卒業時は首席で帝から軍刀を賜っている文武両道の才女で有名だ。


 「次の進級試験は、ちゃんと自分の力で合格してよ」

 「えっ、オハラさん来年も居るでしょ。また助けて!」


 ナオミの思わぬ一言に慌てる伊織の姿を見て、彼女はクスとった。この元気一杯の乙女があたふたするのは、小動物のようでかわいいと常々思う。

 

 「ちょっと、そこは努力するところ見せないと。憧れの学長に…」

 「せめてギリギリじゃなくて、スレスレくらいに…」

 「それ、どう違うの?」

 「そこはオハラさんと私の努力次第!」


 伊織は抜目なく、この助っ人が来年もルームメイトであること、それでなくとも助けてくれることを強く願っていた。妙に図太いところはやはり軍人向きか。いや、大合衆国なら大統領になれそうだなとナオミは思った。

 

 「時山家のご息女かぁ…」


 彼女の姓に、先日聞いた晴天の雷鳴を思い出す。あの人は、どんなことを思ったのだろうか。時山希輔という「英雄」を失ったのは数多あれど「父」を失ったのは彼女だけだ。そんなことを、ナオミは自らの一族と重ねて考えていた。

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