「あなたがここにいてほしい」(その2)
元老の
この時、大合衆国から派遣された
「英雄がこの世を去るときは、晴天に雷鳴がある」
そんな風に語った祖母の声も、掌の暖かさもはっきりと覚えている。そして、この逸話をなぞるように英雄の最期に立ち会うことになろうとは思いもしなかった。扶桑之國の近代国家としての成長は生物の進化さながらの急速なものであることは、世界に知れ渡っている。ならば、この奇跡を担った英雄の一人を見送ろうと思った彼女は、参列者としてこの元老を追悼したのであった。
その姿は参列者の中で一際目立っていた。その褐色の肌よりも、長身で引き締まった体格が、女性的曲線を更に際立たせており、美しい黒豹のようであった。
「扶桑之國にとっての建国の父、いや、それ以上の存在だった…」
アリサは自国の大英雄とその姿を重ねていたが、自分も、両親も、祖母も当然その姿を知らない。学校でその功績と肖像を知り、建国記念日にはお祝いをする。多種多様な人種宗教が入り混じる大合衆国にあって、絶対の存在というのはこの「建国の父」であった。
この大合衆国の成立について、少し書いておこう。
およそ二百年前に、西方諸国から新大陸への移民により、大合衆国が誕生した。東西南北に割拠する諸侯が統治する
形こそ移民であったが、これは棄民ではないか。それほど、移民者の生活は過酷であった。建国の父も、このアレサ・スカーレットの祖先も、この中に居たのだ。そして、大合衆国は独立戦争を泰西王国へ挑んだ。
この合衆国の独立戦争は、移民者の祖国を治める諸侯の一部もこれを支持し、独立を勝ち取ることとなった。その頃、扶桑之國は旧政府による統治から百年を迎えようとしていたが、ごく一部の先進的な知識層を除いて、この大合衆国の存在は自国の情報統制により知る由も無かった。
存在を知るのはおよそ五十年前、この国が革命を迎える前夜ともいう時代にやって来た大合衆国特使の船団によってだった。
あれ以来、国交が開始して扶桑之國からの特使や留学生を受け入れた。そして四十年後、世界が歩んだ文明の進化に追いついたのだ。例の革命と内戦によって。まったく、驚くべき出来事だ。この小国が成し遂げた奇跡は、おそらく世界に伝播するだろう。殊に、北方の帝国に「領地」とされた西方の小国、古い諸侯が統治した土地は反乱の可能性がきわめて高い。
さて、物思いにふける聡明な彼女を現実に引き戻したのは、昼食の香りにつられて鳴いたお腹の虫だった。
「あら、失礼」
部屋には自分しかいないのに、こんな風に言ってしまうところが彼女にはあった。しかし、空腹にこの香りは堪える。
「スカーレット姉さん、昼食ですよ」
「アーニャ、ずいぶん今日は張りきったのね」
この昼食への誘いは、その魅力的な香りの創造主によって届けられた。行儀と口は悪いが、料理と喧嘩は腕に覚え有りのアーニャだ。本名はアン・ゴライトリーというのだが、この少女は故あって彼女の身の回りの手伝いをしている。
「あいつも来てるんで、ちょっと今日は腕の見せ所でしてね」
「親友にあいつだなんて、少しひどいんじゃない?」
「親友、ですか…」
アーニャは、何だか複雑な表情をする。アリサが彼女の「親友」というのは、扶桑之國陸軍学校に留学生として滞在中のナオミ・オハラだ。彼女と合衆国出身であるが、その姓名が扶桑之國にも見られる名前だったため、学校に非常になじむのも早かった。そして何より、その青い瞳と短く切った金髪。中性的な容姿は、同期の黒髪の乙女達の心を引き付け、注目の的であった。
年は彼女の一つ下だが、品行方正で謹厳実直。まるっきり彼女とは真逆の性格である。そして、一方が「どうして」と言えば「知らない」というような関係だ。
「年下の癖に生意気だし、靴音だって嫌ですよ。靴の選び方は、もっと苦手ですけど…」
アーニャはナオミの頭のてっぺんからつま先まで、いちいち気になる。何か一つ言わないと、気が済まない。いわば、そういう間柄を「そう呼ぶ」とスカーレットは思っている。その靴の選び方は、どうやって確認したのか。言うまでもないだろう。
さて、そんなナオミが今日は食卓に居る。
「お招きいただき恐縮です。ミス・スカーレット」
挨拶とその美しい敬礼は、紛れも無い将来の士官であった。椅子を引く動作一つさえも美しい。なるほど、これなら同性であっても惚れ惚れする。
「しかし、あんた相変わらず堅苦しいのね」
しかしそんな光景も、アーニャは違う。こういった言葉を出さずにはいられない。そして、皮切りに言葉の応酬が始まるのである。
「アーニャも相変わらず料理は素敵だね」
「何でも素敵だって、言い直してもいいけど?」
ナオミの一言もあり「今日も始まった」と、スカーレットはこの光景を見守る。賑やかでよろしい。この奇妙な夫婦のような二人の友情は、何か彼女の心をくすぐるような心地好いものがあった。
アーニャが腕によりをかけて作った料理は、両親から受け継いだ魚料理であった。島国である扶桑之國の豊かな魚介類によって、その味わいはよりいっそう深いものにしている。なるほど、使った魚の種類を見ればこの料理が地元などでは、祭礼の日などで供される特別なモノであると分かる。アーニャは、扶桑之國の言語習得が驚くほど早く、威勢の良い言葉も随分と覚えている。この国で魚河岸とのやり取り、盛り場を歩くにはそれが必須だ。
食卓はとても愉快だった。行儀そっちのけになってしまったものの、この二人のやり取りが何より食卓を楽しくさせていた。長く故郷を離れているスカーレットにとって、この時間は尊いものだった。
その楽しい光景が止まった。
外は晴天であったが、突如として雷鳴があったのだ。会話が止まった原因は、それだけではない。さきほど食卓を賑わした二人が忽然と、消えた。
スカーレットは我が目を疑ったが、まさかと思ってテーブルの下を見ると二人が居た。しかも、ひしと互いを抱きしめ合って周囲を警戒しているではないか。
「あら、こういうときは仲良しなのね」
「スカーレット姉さん!これは、これは違うんです」
「ミス・スカーレット、とんだ無作法を… 申し訳ありません」
彼女は、もう限界だった。噴き出してしまった。怖いもの知らずのアーニャと、あの貴公子のようなナオミも、やはり十代の乙女だ。さっきまでの勢いもどこに行ったのだろうか。アーニャはともかく、ナオミは野戦の演習で砲声のような轟音にも慣れているだろうに。
そんな二人はそそくさと椅子に掛けなおした。
「時山閣下が逝去された折も、このような天気でした」
「その通りね。ナオミ…」
ナオミはこの光景を、野外演習をしていたためよく覚えていた。一方でこの日のアーニャはというと、晴天の雷なども知らず前の晩に仲間達と大騒ぎした疲れで爆睡していた。何となく真面目な雰囲気なので、うまく話を合わせようと話題を探した。
「あっ!それにスカーレット姉さん、なんかそんな風な昔話があるって言ってましたよね?!」
「ちゃんと覚えていないのが、アーニャらしいね」
「ナオミ、さっきから!」
再び二人のやり取りが食卓の上に展開されていった。その様子をスカーレットは見守っていたのだが、やはりアーニャの言うように、祖母の言葉を思い出していた。
この時、大合衆国政府より扶桑之國政府に対する一本の電信があったが、彼女はまだ知る由も無かった。
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