美騎爾(BIKINI)

Trevor Holdsworth

第一部「奪還」

第1話「あなたがここにいてほしい」

「あなたがここにいてほしい」(その1)

 その日、晴天に雷鳴があった。


 茶を入れていた女中が「きゃっ」と驚いて手を止めたが、傍らで新聞に目をやる時山希子は眉一つ動かさず、その雷鳴を聞いていた。


 彼女の父がこの世を去った日も、晴天に雷鳴があった。このため「おや、父上がいらしたかな」と、少し嬉しさのようなものがあった。


 希子は「お前の昇進と、今年の桜を見るまでは」と、言っていた父の言葉を思い出す。今少し、父が存命であれば、花見も叶っただろうか。少将に昇進する姿を、見せることができただろうか。


 「父上、旅立たれるのが少し早すぎましたよ」


 今、父の言葉を聞くことはできない。姿も見えない。私の言葉は、父に聞こえるだろうかと、ふと考えた。貴方が行ってしまってから、相談しなければならないことが、山ほど有りますよと。


 彼女の父は時山希輔という。この扶桑之國の元帥陸軍大将にして、勲一等公爵。この肩書と、軍服を埋め尽くすほどの数々の勲章は、栄達の証明というよりは、彼が背負いつづけた「重荷」を顕すものであった。


 四十年前の青年の頃、三百年に渡る軍事独裁政権を打倒する革命戦争に加わった。


 新政府が樹立した後、かつての同志たちの反乱を鎮めた。老年に至って、海を渡り大国を相手に二度の戦いに挑み勝利した。


 地方の志願兵の小隊長から、一国の軍隊の頂点に至った彼は、その事を一度も誇ったことは無い。むしろ、存命中は人を遠ざけるほど謹厳な態度で職務にあたり、寡黙そのもの。身分の上下なく意見をぶつけ、言葉少なく指摘する。


 この態度は、扶桑之國の帝はもとより、その親族の公卿たちすら畏怖し、煙たがった。「旧政府を打倒したのは、更に旧弊の古つわものだった」という揶揄には、尊敬とも敬遠ともつかない意味が込められている。


 現在では議会と民主主義の成長に伴い、彼の影響力と存在は旧弊の象徴となり、新たな革新勢力たちは排斥を試みた。現に、今の北原宰相はこの革新勢力の筆頭であり、この元老は宿敵であった。しかし、この元老も四十年前は革新勢力であったためか、どうも自分たちの扱いが上手い。このため不思議なことだが、なぜか妙に頭が上がらなくなる。


 一方で四十年前に旧政府側で戦った人間や、その関係者はこの死に関して一切の感慨を催さなかった。彼らにとって、その功績の多寡を問わず最後まで仇敵であった。巷間では、この旧政府の軍人や官僚が祝宴を開いたという話すらあったが、それもまた自然な事であろう。


 人が亡くなった折、毀誉褒貶は世の常として、この元老も希子にとっては一人の父親であった。


 亡くなる前の週に「少し風邪気味だ」というから、帝都(首都)の郊外にある別荘を見舞った折は「春には、少将だな」と、こんこんと将官としての心得やらを希子に説いた。また、終わり際に「そろそろ、縁談も真面目に考えておけ」と小さく、父親としてのお節介を忘れなかった。


 次の週に、容態が急変しこの元老はこの世を去った。


 その日、今日のように晴天に雷鳴があったことを覚えている。葬儀に参加した顔ぶれを見れば、この国家に於ける軍事に関して、どれほどの影響力を持っていたか一目瞭然であった。陸軍はもとより海軍の重鎮は言うに及ばず、正規の軍人ではない軍属までもが参列した。


 その葬儀の様子を「時山元帥、逝去。扶桑之國の防人は皆参列」とすべての新聞社が一面に書いた。葬列の見送りに沿道へ詰めかけた市民たちは、悲壮な葬送の行進ではなく、堂々たる進軍と見間違えるほどに威厳を保っていた。葬儀の直後から、希子の胸のうちは肉親の死に対する女性的な動揺はあったものの、この死は「元老」の死であること、というよりも扶桑之國に於ける「軍事的事件」であることを即座に理解していた。まったく、希子のさっぱりした実務的な性格は、軍人という職業に適していた。


 悲しみに暮れる暇など無い、この機に乗じた騒乱の芽が国内外を問わずに損座している。元老が、いや父がどういう人物であったかは、母と私がよく知っている。成すべきことは、すべて覚悟している。

 

 幸い国内に目立った騒乱の兆しはないと確認しているが、問題は海外だ。各国の駐在員や諜報員からの電信を待っているが、いやに静かすぎる。もうじき、父の死から一ヶ月が経とうとしているが、余りに動きがなさすぎる。海軍からの連絡でも、不審な艦船の動きは観測されていない。


 「あるとすれば、外交関係か…」


 これも幾つか、騒乱の芽が思い当たるが、如何せん父ほどの「人脈」や「技」が、政界方面にはまだない。すべては憶測でしかないが、ある程度の心の準備はしておかなければならない。外交の「最終手段」として、我々の活躍する場が早くも到来するかもしれない。


 考えは尽きることもないが、一人ではよい知恵も限界があった。新聞を畳むと、腕を組んで「うーむ」と天井を見る。


 「そうやって何かお考えになる仕種は、閣下にそっくりですね」

 「止してくれ、まだ父上ほど白髪はないよ」


 女中が彼女を和まそうとした冗談に、希子はそんな風に返した。その返し方もまた、どこか父の面影を思わせるのであった。

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