第四章

37 高校一年生 初夏

 夕方、校舎裏へと続く道のりを、ゆっくりと歩いていく。


 待ち合わせに指定された時刻が迫っている。


 もしかしたら、少し遅れてしまうかもしれない。

 けれど、その歩みを速める気には、なれなかった。


 立ち止まって、手紙の内容をもう一度確認してみる。

 簡潔に書き記されたその一文とは裏腹に、表す意味はとても重たい。


 差出人は書かれていない。なので、実際に会うまでわからない。宛先も書かれていないので、もしかしたら、私宛ではないのかもしれない。


 見過ごしてしまおうかと、手紙など無かったことにしてしまおうかと、思わなくもない。

月城つきしろ潤瞳ひとみ」と書かれた下駄箱に入れられたものでなければ、そう思えるのに。

 そっと私のくつの上に置かれていたという状況から、偶然そこに紛れ込んでしまった訳では無いことは、明らかだった。


『直接会って、伝えたいことがあります。放課後5時に、西校舎裏で待っています。』


 得体の知れないモノにのぞき込まれるような、目隠しをされたまま知らない場所へ放り出されたような、そんな気持ちに包まれていた。


 あの角を曲がれば、待ち合わせの校舎裏にたどり着く。グラウンドや体育館は、校舎を挟んで反対側に位置している。その喧騒けんそうは、ここまで届くことはない。


 シーンと静まり返った空間に、ジメっとした、まとわりつくような空気が漂っている。


 手紙を制服のポケットに仕舞しまい、深呼吸をする。

 腕時計を確認すると、約束の5時を少し回っていた。


 ギュッと目をつむって、全身に力を入れる。両腕、両足にグッと力を込めて、緊張状態を作りだす。フーッと息を吐きながらその力を一気に解く。


 少しだけ緊張はほぐれた気がするけれど、まだ、心臓はドキドキしている。

 深呼吸を繰り返して、少しでもこの緊張を遠ざけたかった。


 私は、その場にゆっくりとしゃがみ込み、目を閉じる。そっと右手を前に出して、何もない空間に手をかざした。ゆっくりとその手を左右に動かして、なぞるようにその感触を確かめる。


 指先が、わずかな凹凸に触れたような気がした。


 いざという時のおまじない。


 私は、スッとその場を立ち上がると、意を決して一歩を踏み出し、最後の曲がり角を曲がった。


「……来てくれたんだね、ありがとう」




 会話を終えると、全速力で下駄箱まで戻ってきた。ハァハァと息を切らしながら、片方の手を額に当てて下駄箱に寄りかかり、呼吸が整うのをじっと待つ。


 しばらくそのままでいると、次第に呼吸が整い、鼓動も少しずつ落ち着きを取り戻していく。ただ、じっとりと汗ばんだままの額は、私の心を正直に表しているようだった。


「あ……カバン、……教室に置いたまま……」


 カバンを机の上に置いたままにしていた事を思い出し、二階にある教室へ向かって歩き出す。静まり返った人気ひとけのない廊下を通り、重い足取りで階段を上る。


 二階の廊下までたどり着くと、窓越しに外の景色が目に入った。


 夕暮れが近づく校庭。


 部活動を終えた生徒たちが、まばらに下校していく姿が見える。

 カバンを軽くぶつけあったり、立ち止まって何かをささやきあったり、楽しそうに笑い合ったり。

 そんな、いつもと変わらない平凡な日常が、そこにあった。


 同じ場所、同じ学校の中、同じ時が流れているというのに、私一人がそこに取り残されてしまったような気がしていた。


 いつもにぎやかな廊下が、今は一段と静けさを増している。より一層の孤独を、際立たせてくる。


 くちびるが、ふるふると震える。


 それを止めようと口元に力を込めても、震えは強くなるばかりで、押さえることができない。


 両頬を伝い、ポタポタと涙が流れ落ちた。


「……あれ?」


 不意の出来事に、戸惑いながら手のひらでそれを拭う。


「あれ……おかしいな……何で……」


 涙が、次から次へと溢れだして、拭いきれない。

 私はその場へしゃがみ込み、両手で顔を覆った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る