35 高一初夏-9

 洗面所で顔を洗って、歯を磨いていると、美代子も二階の僕の部屋から下へ降りてきてリビングに入っていった。


 どうやら僕の両親と話をしているようだ。


 母親が「起こしてもらっちゃって悪かったかしら。それにしても大人っぽくなって、見違えちゃった」とか、父親も「ほんとに何年ぶりだろね、大きくなったね」とか、そんな会話が聞こえてくる。


「美代ちゃんが祐樹をデートに誘ってくれるなんて、ホントによろしくお願いね」


 僕は、洗面台に泡だらけの歯磨き粉をぶちまけた。ゲッホゲッホとむせながら、急いで身支度みじたくを済ませることにする。これ以上あの三人で会話を続けさせたら、何を言い出すかわからない。


 部屋に戻って、Tシャツとジーンズに着替えると、一階に降りてリビングの美代子に声をかけた。


「準備できたぞ」


 母親が、

「朝ごはんどうするの? 何か食べる?」

 と聞いてきたので、

「要らない。もう出かけるし、どっかで適当に食べるから」

「そう、じゃあ、美代ちゃん、よろしくお願いね」


「あ、はい、行ってきます」

 美代子は、ほんのり耳を赤くしながら、僕の両親に頭を下げている。

「はーい、行ってらっしゃーい」

 母親は、とても嬉しそうに僕たち二人へ手を振って、送り出してくれた。


 初夏の日差しが降り注いでいる。気温はそれほど高くなく、過ごしやすい土曜日。カラッと晴れた、行楽日和の週末といった陽気だ。


 何となく、駅の方向に向かっている感じがしたので、行き先は聞かずに美代子の様子を伺いながら、歩調を合わせることにした。


「そういえば、僕たちだけで出掛けるのって、初めてだっけ?」


「……うん」


 僕の隣りを歩く美代子は、学校帰りとは少し違って、大人しいというか、しおらしい印象を受ける。

 昨日はあんなに怒っていたのに、今朝は機嫌が直っているようで、少しだけホッとする。


 今日は、美代子が何を企んでいるのか、若干不安ではあるけれど、付き合ってあげようと思っていた。


 駅に着くと、

「ちょっと早かったかな」

 と美代子は、腕時計を確認している。駅のベンチに座るように促されて、少しの間、時間を潰す。


 よくよく考えると、こんな風に週末の駅のベンチに二人並んで座っていたら、はたから見れば、いわゆる恋人同士に見えるかもしれないと、冷静に考えると、そう思えてくる。


 相手が美代子ということもあって、全くそんな風に思っていなかったけど、僕達って、どんな感じに見えるのかな。


「あ、そうだ、祐樹。おなかすいてない? 朝ごはん食べてないし」

「え? んー、まあ少し」


「あそこ、行こうよ」


 美代子は駅前にあるパン屋さんを指差す。


 昔からあるお店だが、数年前にリニューアルしてからというもの、店内の雰囲気がとても明るくなり、学校帰りの学生にも人気がある。僕も学校帰りに何回か寄ってみたいと思ったことがあったけど、実際にお店に入ったことはなかった。


「うん、いいよ。ちょうど入ってみたかったし」

「じゃあ決まりね」


 美代子は、ベンチからジャンプするように立ち上がると、僕の腕を掴んで、引っ張り上げるように立ち上がらせる。そのままグイグイと、パン屋さんへ向かって歩いていく。あまりに自然なその態度に、戸惑う暇も与えてくれない。


 美代子にしてみたら、世話の焼ける弟のような、そんな存在なのではないかと、そう思えてくる。


 実際、ここ最近の学校帰りにしても、今朝の出来事にしてみても、ほとんど全てを美代子がリードしてくれている。

 僕はそんな美代子に振り回されつつも、その状況を心地よく受け入れている。


 仮に、他人からは恋人同士に見えたとしても、僕たちはやはり、仲のいい姉弟というのが、実際のところなのだと思う。


 たぶん美代子も、僕に対して幼馴染み以上の感情は、持ったことは無いのだと思う。

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