33 高一初夏-7

「ちょっと待ってて」


 彼女の家にたどり着くと、僕は玄関先で少しの間、待つことになった。住宅街にある、ごく普通の二階建ての家といった感じで、何となく僕の家と似ていて親近感が沸いた。僕の勝手な想像で、とても立派な家に住んでいるのかと思っていたからだ。


「風邪ひいちゃうかな? これ、タオル、使ってね」

 彼女は、家の中からタオルを持ってきて、僕に手渡してくれた。とてもいい匂いがする。少しだけ申し訳ない気持ちになったが、彼女のやさしさを素直に受け取ることにした。


「大丈夫、全然寒くないし、もう雨止んでるから、これ以上濡れずに帰れる」

 僕は、さっと左肩や腕を拭くと、彼女にタオルを畳んで返した。

「ほんと、風邪ひかないようにしてね」

「ありがとう。じゃあ」


 僕は、サッと手をあげて、その場から走り出す。


「う、うん、あっ、あの……」

「ん?」


 呼び止められた僕は、その場に立ち止まり、振り返る。


「……今日、本当は誰と……」


「え?」


 偶然家の前を通りかかった車の音で、彼女の言葉がかき消されてしまった。


「……ううん、何でもない。気をつけて」


 僕は、彼女に軽く頭を下げると、走って家まで帰ることにした。もう雨は止んでいるから、走る必要は無いのに、いつもに増して全速力で、走り続けていた。


 ふと、今日は偶然出会えたからこんなことになったけど、次は、いつ会えるか分からない。そう思うと少し残念な気もする。


 けど、僕にとっては充分過ぎる時間だった。こうして再会して話をすることができただけで、心の中のモヤが晴れていく気がしていた。


 それと、少しだけ神様に、心の中で謝った。




 翌日、金曜日、テストも無事終了し、何も用事のない週末がやってくる。部活もないのでのんびり過ごそうと思っていた。


 いつもの時刻の電車に乗って、最寄り駅にたどり着くと、美代子の後ろ姿が見えた。

 いつもと違って髪を二つ結びにしていたけど、少し小柄なそのシルエットは、間違いなさそうだ。


 僕はいつも通り、ゆっくりと改札へ向かった。美代子もゆっくりと改札に向かってくる。僕はホームで少し立ち止まり、美代子が改札へたどり着くのを待った。


 美代子は、僕を一瞬ちらっと見たかと思うと、そのまま改札を抜けて駅の外に向かって歩いて行った。


 えっ? と思って急いで改札を抜けようとすると、なぜか駅員さんは、眉間にしわを寄せて目を閉じ、ゆっくりと首を左右に振っている。


 走って美代子に追いついて、横に並ぶと美代子は、

「明日、暇?」

 と、ぶっきらぼうに聞いてきた。

「っていうか、暇だよね。絶対ヒマだよね。日曜もヒマだよね。アンタに用事なんて無いよね。あるわけ無いよね。はい、暇、決定!」

 と、そう言ってきた。


 僕は、美代子がどうしてそんな様子なのか、全く見当がつかなかったけれど、あからさまに不機嫌なのは、とても分かりやすかった。


「う、うん、暇だよ? 土曜も日曜も、部活も無いし……」

「ふふん、でしょうね」


 ちらっと横目で僕を見ると、また正面を向いた。

 なんだろう、何か怒らせるようなこと、したかな?全然身に覚えがない。


「週末、暇だけど、それがどうかしたの?」

「…………」


 返事が無い。なんの調査だろう。とにかくいつも通りにしている方がいいような気がする。当たり障りのない会話をすることにしよう。


「……きょ、今日は髪、しばってるんだね」

 一緒に帰るようになってから、髪をむすんでいるのは初めてだったので、そう言ってみた。

「…………」


「い、いつもは下ろしてる、の、に……」

「…………」


「さ、最近暑いし、そうか……、それで……か、な?」


「……うるっさいわね。イイでしょ、私がどんな髪型にしようが。アンタに関係無いでしょ!」


 マズい、本当にわからないけど、めちゃくちゃ怒っていることは確かだと思う。

「な、何かあったの?」

 僕は、何となく聞いてはいけないような気もするその質問を、美代子に投げかけてみた。


「は? べ、別に何も無いわよ。つか、いつも通りじゃん私。全然普通じゃん」


 少しあせったように取りつくろっているけど、全然普通とか言ってる時点で、全然普通じゃないと思います、はい。


「いや、何となく、機嫌が……」

「悪くないわよ! 機嫌悪いように見える? むしろ、機嫌がイイくらいよ。はー清々すがすがしい」


「僕、まだ何も言ってないんだけど……」


 もう、自分で機嫌悪いって言ってるようなものだけど、これ以上聞いてはいけないということくらい、流石に僕でもわかる。話題を変えようとすると、美代子は、

「明日、アンタんち行くから、ちゃんと起きてなさいよ。いい? わかった!?」


「へ? 明日? ……ウチに来るの?」


「なに? なんか都合でも悪いの? どうせ暇なんでしょ?」

「暇だけど、突然だし……何年振り? ウチにくるの」

「そんなことはどうでもいいの。とにかく明日、アンタんち行くから、そのつもりでいて。アンタの予定は私の予定、私の予定は私の予定。わかった? じゃ、そーゆーことで」


 美代子は、〇ャイアンみたいなセリフを言い放って、走って先に帰ってしまった。


 いったい何事だろう。全く見当がつかないけど、とにかく取り残されてしまったので、そこから一人で家に帰ることにした。

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