第91話 この祈りを、拳に乗せて


「すみません、シスター。こんな扱いを……」


「いいえ、お話は全て聞かせて頂きましたから。こうして牢に囚われる事も納得しております」


 申し訳なさそうに頭を下げる兵士が、本日の夕食を運んで来てくれた。

 こうしてただこの場に居るだけなのに、施しを受けられるというのは。

 皮肉ながらも、私の様な存在にとってはとてもありがたい。

 彼等が施してくれるソレに対し祈りを捧げてから、静かに口に運び始めた頃。


『アルテミシア……』


 誰も居ない筈の牢の中からそんな声が聞こえ、周囲の温度が下がった気がした。

 そして、振り返ってみれば。


『私の愛しいアルテミシア……愛孫。どうか、私を助けておくれ……』


 私一人で使わせて頂いていた筈の牢屋の中に、随分と私と似た人物が立っていた。

 修道服に身を包み、まるで懇願する様な瞳を此方に向けて来ているが。


「貴女が、私の御婆様。“アルテミス”様ですか?」


『そう、その通りだよ。私を救っておくれ、アルテミシア』


 何やら弱った様子で、フラフラと此方に向かって歩いて来るシスター。

 本当に瓜二つだと言って良い。

 多分私は、祖母の血の影響を強く受けたのだろう。


『私達が幸せになれないのは、魔女のせいだ。アイツが全ての元凶で、常に邪魔をして来る。だから、ヤツを排除しなくては私達の幸せは訪れない』


「そうなんですね。私には過去の記憶が無いので、良く分かりませんが。しかし“魔女”が私達の幸せを奪ったと、そういう事でしょうか?」


『そう、その通りだよ。アルテミシア。でもお前が協力してくれれば、私と力を合わせれば、あの魔女にも対抗できる。だから、私に――』


 フラフラと近寄って来る相手に対して、思い切り右の拳を叩き込んだ。

 アルテミスは部屋の隅まで吹っ飛び、信じられないという顔を浮かべているが。

 何故、そんな顔が出来るのでしょうね。


「私にとって、“魔女”がどうとか……本当にどうでも良いんですよ。全て聞いていますよ? 御婆様。貴女が魔女に成りたかった事、私を使って肉体を新しくしようとしていた事。そして魔導回路を弄って、その副作用で全て記憶が無くなってしまった事。全て、説明を頂きました」


 本当に、全てがどうでも良かった。

 今の私は、全てを失ってしまったのだから。

 その状態で、お前は身代わりだと言われて。

 今更出現した祖母を目にして、手を差し伸べる程。

 私は慈悲の心に満ちていなければ、生憎と天使でも何でもないのだ。


「ミリアさんには、申し訳ない事をしてしまいました。神父様は、今度会ったら一発殴ってやろうと思います」


『何を言っているんだい? アルテミシア、お前は……そんな子じゃ』


「貴女は、本当の私なんて何も知らないでしょう?」


 冷たい瞳を相手に向けながら、振り上げた拳を相手の顔面に振り下ろした。

 霊体の様に見えるのに、グチャッと凄い音をしながら相手は更に壁伝いに吹っ飛んでいく。


「私が神父様に教わった、事情を知っても唯一彼を許そうと思える所以が……コレです。“神術”と言って、祈りを媒体に力を発揮します。私は随分とその才能があると言われましてね。簡単に言うと、亡霊だってぶん殴る事が出来ると言われました。いざという時の為に、なんて言って教えられましたが……こういう事だったんですね」


 バキバキと拳を鳴らしてから、低く腰を落として右の拳を構えた。


『待って、待っておくれアルテミシア。お前はそんな子じゃ無かった筈、お願いだから話を――』


「黙れ。お前が私の何を知っている? 私の事を道具としか見ておらず、生き人形の様に扱い記憶を消した、魔導回路さえも弄り回した。その結果が、コレです。神父様は消え、子供達は皆居なくなり、私は誰も助けられず。残ったのは……この牢獄と、貴様が訪れる瞬間を待つ事だけ」


 それだけ言って踏み込み、拳をねじりながら相手に向かって突き出した。


「神父様から教わった奥義、神術式右ストレート。物体として存在しない相手に対して、これは大きな結果を残すそうです」


『あのクソ学者がぁぁぁ!』


 顔面に此方の右ストレートを受けたアルテミスは、そのまま壁に押し付けられたが。

 そんなものでは収まらない、この気持ちは。

 私は全て奪われ、牢に入れられ。

 子供達は未だ帰って来ぬまま、生きる術さえ奪われた。

 更に私は、魔女を目指す祖母の替え玉だったと言う訳だ。

 そんな情報を得て、大人しく命を差し出す馬鹿が居るだろうか?

 居る訳無いだろうが、戯け。


「はぁぁぁ!」


 もはや貫通する勢いで、祖母だと名乗る私と同じ顔の亡霊にもう一度拳を叩き込み。

 牢獄の壁を抜いた辺りで、相手は霧の様に消えて行った。


「ふぅ……コレが、神のお導きです。来世では、ちゃんと生きて下さいね? 御婆様」


 消失する霊体に対し祈りを捧げていれば、騒ぎを聞きつけた兵士達が私の牢の前に集まって来た。

 生憎と隣の牢まで随分と風通しが良くなってしまっている状態だが。


「シスター……これは?」


「悪霊が出たので、ぶん殴りました。物理って、偉大ですね」


 それだけ言って微笑むと、すぐさま事情徴収が始まるのであった。

 今回の件、アレが黒幕であるとするなら。

 意外と早く片が付いたのかもしれない。

 そして何より。


「ミリアさんに、改めて謝らなければいけませんね……」


 勘違いとはいえ、彼女には随分と酷い言葉を吐いてしまった。

 だったら、ちゃんと謝らないと。

 だってあの子は、まだ学生なのだ。

 世間を知らない人間に対して、私は随分と強い言葉を使ってしまった。

 なら、謝ろう。

 彼女が何も悪い事をしていなかったのなら、ソレが筋というモノだ。


「私は、いつ頃解放されますか?」


「安全確認が済めば、すぐにでも」


「なら、そう遠くない未来ですかね」


 そんな事を言いながら、私は兵士達の質疑応答に付き合うのであった。

 あっけない、そういってもおかしくない最後にはなってしまったのだろう。

 でも、当事者にとっては相当大きな問題として君臨したであろう今回の事件。

 それこそ、ミリアさんなんてトラウマになっていなければ良いけど。

 でもきっと彼女の事だ。

 私と違って、強い女の子なのだ。

 多分、実力で乗り切っている事だろう。


「羨ましいです、本当に」


「シスター?」


「いいえ、なんでもありませんよ」


 私はただ、神に救いを求める存在。

 だからこそ、彼女の安然も願う。

 どうか彼女に、良い未来が待っていますように。

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