第89話 アルテミス
「まぁ……この程度の相手なら問題はないでしょうね」
ふぅとため息を溢して、遠目の魔道具を覗き込んだ。
水瓶の水面に映っているのは、魔女の孫が戦っている姿。
何やら学生達が集まって来てしまったが、どれも取るに足らない程度の実力。
「あまり長引いても面倒だから……もう一体分体を向かわせて――」
「貴女のその姿は、何体まで分身を作れるのかしら? 今ここに居るのは、貴方自身の実体にかなり近い。つまり、ソレが分体として最初に生み出した個体って事で良いのかしら? 専門外でも、近付いてみれば分かるモノね」
急に背後から声が聞こえ、振り返ると同時に魔術を放ってみれば。
相手は特に気にした様子もなく、胴体に風穴を開けたまま此方を睨んでいた。
その人物は。
「魔女、ローズ……貴様ぁぁぁ!」
「どこでそんな恨みを買ったのか、私には既に記憶が無いのだけれど。久し振りね、アルテミス」
つらつらと言葉を紡ぐその女は、その身に此方の攻撃を全て受けながらも平然と立っている。
いくつも、数えきれない程の風穴が空いていると言うのに。
「お前さえ、お前さえ居なければ!」
「私が居なければ、魔女に成れたの? 違うわよね、私と言う存在が居たからこそ“比較対象”という意味で見られる事はあっても、貴女が魔女に成れないのは貴女自身の問題よ」
「だまれぇぇ!」
ひたすらに攻撃を続けてみれば、彼女は此方に冷たい瞳を向けて来た。
しかし。
ズドンとその額に穴が開けば、彼女は動きを止めてその場に倒れ伏した。
「やった、やった! 私は、魔女を超越した! 魔女を殺した!」
喜びに打ち震える身体をギュッと両腕で抱き締め、どうにか震えを押さえていれば。
『まぁ、分体だしね』
倒れたソイツから、そんな声が聞えて来た。
分……体?
だってコイツからは、確かな気配が感じられた。
それに魔力だって、とんでもない程感じ取れたというのに。
私も分体は使用しているが、使い魔というモノにこれ程の力は乗せられなかった筈。
ある一定の者にだけ精神的な干渉をして姿を見せたり、術を使うにもかなりの制限が掛かる。
しかも数を増やせば増やす分だけ、後に作られた分身体は弱体化していくのだ。
更に言うなら。
「分体……分体な訳が無い! お前のソレは、肉体を持っているじゃないか!」
『貴女には、そう見えるのね』
額に穴が開いて、地に伏せているというのに。
未だに魔女の死体は喋り続けている。
正直、恐怖を覚えた。
だからこそ彼女の死体に向かって、更に攻撃魔法を放ちながら叫ぶ。
「私を殺しても無駄よ! 本体は別にあるし、分体とは違う“身代わり”も用意してある! それに、貴女の孫まで手に入れた! 呪いを掛けてある以上、アレの命は私次第! 例え死んでも
もはや勝利宣言とも言える言葉を紡いでみれば、分体が消失した。
やっと諦めたか……あれ程の実体を持ちながら分身体というのは、少々肝が冷えるが。
ふぅ、と息を吐き出して魔道具をもう一度睨んだ。
そこに見えるのは、魔女の孫と先程の少女が戦っている様子。
まだ苦戦しているのか……これは本格的に私が手を出した方が良いかもしれない。
魔女にはあぁ言ったが、まだ彼女に死なれては困る。
正確に言うと、死体が手に入らないと困る。
アレの魔導回路を調べ尽くさなければ、鍵が手に入らなくなってしまうのだ。
ワーウルフを放ち、混乱に乗じてここまで連れて来たかったのだが……些か面倒な事になってしまった。
もっと言うなら、ココが魔女に知られたとなればまた場所を移さなければ。
とはいえもう少し呪いを強くしてやれば、私の思うままに動かす事が出来るだろう。
本人の足で、次の実験施設に赴かせる事も不可能ではない。
だが問題なのは、相手が魔素中毒者だと言う事。
あまり一度に多くの呪いを施せば、中毒症状が発生してしまう。
例え死体になろうとも私なら動かす事が出来るが、下手に殺してしまって周囲の人間に確保されたら不味い。
だからこそ、出来れば生きたまま手に入れておきたかった駒。
「しかしそれもすぐそこまで来ている。手元に確保して置けば、魔女に対しての防波堤にもなってくれる筈」
魔女も落ちたものだ。
自らの弱点とも呼べる者を連れて、平然と街中を歩いてしまう。
どう見ても貴様が大事だと思っている存在と確定させるほど、顔を緩めて人前に姿を現したのだから。
平和ボケとは、まさにこの事。
そんな事を思いながら、他の分体に魔術を行使すべく掌を虚空に向けてみれば。
「そこまでよ、死霊術師。こんばんは」
声と同時に、天井が無くなった。
は? と声を出している間にも、月明かりが私の事を照らしていく。
「な、なんでココに……」
「分体からの情報は私に共有されるのよ? 当然じゃない。まさか墓地に隠れているとは思わなかったけど、死霊術師ってやっぱり陰気なのね」
それだけ言って、上空に浮かぶ魔女が此方に杖を構えて来た。
私が滞在していた場所は、教会裏手にある墓地の地下室。
だというのに、今は月の光が差している。
まさかとは思うが、地表を全て取り去ったのか?
普通なら崩すとか、そういう手段を使いそうなモノなのに。
コイツは地面そのものを消し去って見せた。
「ま、待て! 私は既にお前の孫を手中に収めている! アレは私を殺せば解けるという呪術じゃない! 私を殺せば、アイツは戻って来なくなるぞ!」
叫びながら魔女に懇願してみれば、相手は大きなため息を吐いてから。
とても冷たい視線を、此方に向けて来た。
「貴女を殺しても、アリスは戻らない。そんなの分かってるわ、だって貴女分体だもの。でも本人を殺せばどうでしょうね? 更に言うなら、呪術とかいう意味の分からないモノを行使しているけど……貴女、突き詰めた存在じゃないわね? どこまでも未熟なのよ、どこまでもいい加減なのよ。だから、粗が生れる」
「……粗?」
「そう。私が手を貸さなくても、アリスは自らその呪術を跳ねのけようとしているわ。そしてそれを促したのは相棒の存在。知ってる? 死霊術師。愛の力って、とても強いのよ? 分からないわよね、自らの子孫を自分の為に使ってしまう様な三下には」
それだけ言って、彼女は杖を振り上げた。
不味い、攻撃が来る。
ここでこの分身体を消されてしまうと、魔女の孫を確保する存在が居なく――
「安心なさい、もう本体の位置も掴んだ。すぐに眠らせてあげるわ……貴女は、魔女に成るべき人間ではない」
振り下ろした杖と共に、私の身体に雷が落ちた。
耐えられる訳がない。
この魔術の直撃に対して、分体が保っていられる訳がない。
そんな訳で、“私の分体”から意識が遠のき……街の外にある隠れ家で意識を取り戻してみれば。
「クソッ! クソッ! あの魔女、また私の邪魔を……ゲホッ、ゲホッ!」
ベッドに横たわった身体は重く、思う通りには動いてくれなかった。
コレが、私の現状。
年老いて、既に歩くのにも苦労する程の老体。
こんな肉体、こんな人生。
私が望んだモノじゃない。
私の才能はもっと多くの人々に認められ、あの魔女の様に国にさえ認められる程の実力だった筈なのだ。
だというのに、私が死霊術師と言うだけで。
民は嫌悪し、上級層も忌み嫌った。
戦場で死した戦士が再び立ち上がり、相手を殺してくれるというのに、何の不満があるのか。
死者を使い、相手の勢力を削ぐ事にどれ程の効率が求められるのか。
それをひたすらに突き詰めたのに、誰も理解してくれなかった。
死んだ奴が更に役立つのだ、別に良いじゃないか。
そういう言葉を紡ぐ度、周りは私を排他していった。
そして魔女。
アイツはこの事態に陥る前に、私を否定した。
「止めておきなさい、貴女は魔女に成るべきじゃないわ。貴女の術は、きっと周りから否定されるでしょうね。しかし魔女に成れば、もっと否定されるわ。だからこそ、止めなさい。長く生きるだけが偉い訳じゃないのよ? そしてその考え方はとても危険よ。諦めて自らの人生に満足する術を見つけなさい。それに、その程度の実力じゃ……とてもじゃないけど、魔女には成れないわ」
あの時の、冷たい表情を思い出す度に私の腸は煮えくり返る。
たまたま適性を持っていて、たまたま才能があっただけの存在が。
ひたすら努力して、ここまでの力を付けた私に対し侮蔑の視線を向けて来た。
気に入らない、とにかく気に入らない。
お前の様に、生まれた瞬間から恵まれていた様な存在とは違い、私は環境を覆して来た人間なのだから。
「ふざ、ふざけるな……アイツ用の魔物だって準備したんだ。だったら、もう少し、もう少しで私は高みに上る事が――」
「さて、どうでしょうね? 貴女の導き出した答えが、絶対に正解だとは限らない。 それが魔術というもの。貴方の呪術だって似た様なモノなんじゃない?」
急に室内から、聞こえて来る筈の無い声が聞えて来た。
恐る恐る視線を向けてみれば、そこには。
「ま、魔女……どうして。だってさっきまで街の墓地に……」
「貴女も本体なら、私も本体で戦わなければ失礼でしょ? 貴女がアルテミス本人。さぁ、さっきの続きを始めましょう?」
まさか、さっきのも分体だったというのか?
あれ程の攻撃魔法を使っておきながら?
その事実に背中が冷たくなるが、でも私はこんな所で止まる訳にはいかない。
あと少しなのだ、もう少しでこの高みへと上る事が出来るのだ。
「ワーウルフ! 私を守れ!」
「あぁ、アリスの言っていた魔法の効き辛い魔物ね? どの程度なのか、見せて貰おうじゃない」
壁を突き破って来た狼達に、彼女の口元を釣り上げた。
不味い、アレは……本格的に不味い。
自らの戦い方を完全に封殺されている状況だと言うのに、魔女は狼達を見て楽しそうに笑っている。
「こんな物語は知っているかしら? お婆ちゃんの元へ訪れる、可愛い孫。それを陥れる悪い狼は、お腹を裂かれて石を詰め込まれるのよ?」
彼女がクスクスと笑うと、周囲の光景がユラリと歪んで行く。
家全体からミシミシと嫌な音が聞こえて来る上、大地が揺れている様な振動も感じる。
なんだ、コイツは何をしようとしている?
動き辛い身体を無理やり動かしながら、どうにかして逃げようと玄関に向かってみたが。
「物語に出て来る御婆さんは、随分と優しいわよね。なんたって石を詰めただけで、自らトドメを刺そうとしないのだもの。私だったら、そんな甘い事はしないけど。敵だと認識したのなら、徹底的に潰す。ソレが、“魔女”という存在よ」
魔女が此方に杖を向けた瞬間、周囲の空気が部屋の真ん中に集められていく。
なんだ、何だこれは。
立っている事さえ出来なくなり、その辺の家具にしがみ付いてしゃがみこんでいれば。
「無駄よ、アルテミス。貴女は私を怒らせた、これはその報い。貴女が求めて止まなかった“魔女”というモノがどういうモノか、しっかりとその身で味わいなさい。この程度出来ないと、世界から異物として認められないのよ? さぁ……全てを飲み込め、そして弾けろ」
彼女が言葉を紡いだ瞬間、室内に出現した何かは。
周囲の物を全てのみ込み、カッと白く光り輝いた。
その光に身を包まれ、私は――
「もう、眠りなさい。全てを無に返して……“スーパーノヴァ”」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます