第72話 理解出来ない
「では、お話を始めましょうか」
別の部屋へと通された私達の前には紅茶が準備され、相手はボロボロの服のまま対面席へと腰を下ろした。
着替えに行かせて逃げられては困る、というエルフ先生の発言によりこういう状況になった訳だが……絵面が酷い。
「そちらのお師匠様はある程度お察しの様ですが、ミリアさんに説明する為にも……一からお話しましょうか。私はとある人物に依頼され、少々特殊な魔導回路の研究の為この街に訪れました。ほんの十年ほど前でしょうか?」
十年、ほんの十年ですか。
ちょっと人族の私からすると、“ほんの”って言葉の意味が分からなくなる状況だが。
なんてため息を溢したくなったが、ちょっと待った。
最初から話を止めてしまう様だが、十年?
先程シスターから聞いた話と、微妙に食い違ってないか?
彼女がシスターを始めてから、もうそれくらい時が経っていると言う事か?
だとしたら、彼女がココに来たのはもっと前。
それこそ年齢的に、働く云々ではなく保護される立場になりそうなのだが。
「どうやらミリアさんは、私が思っている以上に頭の回る人物の様ですね。お気づきですか? この施設の矛盾に」
「いや、え? だって……十年前って言ったら、シスターは」
「そう、その当時からココに居たのなら働く様な歳ではありません。そもそも“逆”なのですよ。私が来た事により事態が進み、“アルテミシア”というシスターが生れた。そして表立って動き出したのはここ数年のお話です」
「生まれたって……は?」
何かもう、全てが分からない。
彼は何を言っているのか。
十年前に神父が訪れて、シスターが生れたと言うのなら。
彼女が私より年上な訳がない。
だというのに、彼は微笑みを浮かべて。
「文字通り生命として誕生した、と言う訳ではありません。他の表現をするのなら、生まれ変わったと言うべきでしょうか? むしろ、無くしただけにも思えますが」
「いや、えっと……?」
つまり記憶喪失になったから、新しい自分に生まれ変わった……的な?
そういう表現で良いのだろうか?
というか結局、あのシスターがこの事件と関りがあるのかないのか。
それがいまいちよく分からないのだが。
「もっと簡単に言いますと、彼女は……アルテミシアというシスターは、依頼主のお孫さんです」
「はぁ?」
次から次へと新事実、まぁ黒幕からご説明頂いているのだから当たり前だが。
しかしその依頼主の意図が分からない。
自らの孫が記憶喪失になったのに、教会に預けた理由は?
それと魔素中毒者、そして魔導回路の研究に何が繋がって来る?
「人間の魔導回路を弄る、というのはとても危険な行いです。当然ですよね、下手に弄れば変異が起こったり、その場で死んでしまったりするわけですから。先程の私が放った攻撃がまさにソレです」
「はぁ……そうですか」
「そしてミリアさん。私の授業を受けている貴女は、もう少し理解が進めば私と同じ事が出来る様になると思いますよ?」
「あの、それこそ“はぁ?”なんですけど。そんな簡単に弄れる様なモノではないでしょうに」
思わず疑いの眼差しを向けてみるが、神父からは笑みが、先生からは溜息が返って来た。
え、なに。
「魔導回路を弄る、という行為は……理解さえあればさほど難しくない。ソレを出来る様になる術を覚えれば、意外と簡単に出来てしまうんだ。“スクロール”というモノがあるだろう? インスタントマジックなんて呼ばれる道具、読んだだけで効果が発揮されるという使い切りのアレだ。物によっては、読んだだけで才能が開花するなんて代物もある。それは、魔道具によって魔導回路が弄られているという事に他ならない」
先生の言葉に、ポカンと口を開けてしまった。
魔導回路を弄る手段、既に市場に出回っていましたわ。
彼の言う様な、才能が開花するといった様な代物はかなり高価であり、使い切りの影響もあってとても数は少ないが。
それでも、確かに存在する。
このスクロールを読んだら、○○の魔法が使える様になる~とか。
「え、それって滅茶苦茶危ない代物って事じゃ……」
「だからこそ、スクロールの安物は信用するなと言われている。現代魔法の“保険”と一緒だ。高い物の大半は、コイツの様な魔導回路の研究者が製作している。元ある魔導回路を傷付けない様に、幾重にも保険が掛けられていると言う訳だ」
あ、だからスクロールって高いのか。
効果が凄いから値が張る、と言う訳ではなく。
その効果に研究者の保証が付いているから高い、と言う訳だ。
だってもう少し勉強すれば、私でも魔導回路弄れるとか言われちゃってるし。
そこで調子に乗って私がスクロールを作ったりなんかすれば、多分読んだ人が確実に死ぬであろうとんでもない失敗作が誕生してもおかしくないって事だ。
つまり魔導回路の研究というのは、弄る事ではなく理解する事。
手を加えた場合にどういう効果が発揮されるのかを、正確に見抜く事を仕事としている訳か。
「大体理解して頂けましたか? そして私が受けた依頼は、魔導回路の仕組みを相手に教授する事。これだけならミリアさんに教えている授業と変わりません。しかしながら、依頼として受けているのは、“相手が望んだ効果”を発揮する回路を提案する事。そして研究の成果を相手に伝授する事、つまり情報の納品ですね」
と言う事は、依頼主は自分の魔導回路を弄る為に神父に依頼を出したって事か?
でもそうなって来ると、シスターはどう関わって来るんだ?
それに、アリスを狙った理由は?
血が必要だと言っていたが、それで解決する問題なのか?
更に言うなら、魔素中毒者云々が関係のない話に聞えて来るんだが。
「これだけの情報だと、結局アルテミシアは何なのか。ミリアさんのお友達に接触しようとしたのはどう言う目的なのか。それが一切分からないという顔ですね」
「まぁ、はい。仰る通りです」
どうやらちゃんと説明してくれるらしく、ホッと胸を撫でおろしてから次の言葉を待ってみれば。
「先に言っておきますね? 私はこの教会を、研究場所として頂いた。以前から居た者達に関しては、依頼者が“どうにかした”という事しか知りません。そして魔素中毒者の薬を作っているのは事実です。とはいえ、”彼等を救うのが目的ではない”という所ですね」
何やら前置きをされてしまったが、結局薬作りは何のために?
彼等を救うのが目的ではない、とさえ言葉にしなければ。
結果だけを見るなら、学者として正しい成果を残しているようにも思えるが。
如何せん依頼者と神父の雰囲気が良くない。
どうしても悪い事をしている様にしか聞こえないのだ。
などと思いながら話の続きに耳を傾けてみると。
「魔素中毒者は本来持っている筈の魔導回路が欠損、または少ない子達が多い。ソレはつまり、育ってしまった大人達の……才能とも言うべきモノが存在しないと言う事。つまりほとんど何も描かれていないキャンパスに、新しく絵を描く様なモノだ。そうなると何が起こるか……新たな情報を加えた時、どう反応するのかが分かりやすい。つまり研究する上で“都合が良い”存在になる訳です」
「……は?」
コイツは、何を言っている?
ソレはつまり健常者で実験するよりも、彼等には初期情報が少ないから楽だと言っているのか?
確か言っている事は分かる。
何かしらの副作用が出た時に、自らの描いた回路が間違っていたのか、それとも元からある回路が何かしら影響を及ぼしたのか。
結果から原因を調べる際、圧倒的に“楽になる”と言う訳だ。
だが、ソレは。
「お前は……人間を何だと思っているんだ……?」
「ですから、あくまで学者としての意見を述べただけです。以前から言っている通り、私は“直接的”な人体実験は行っていませんから。法に触れる事はしておりません。認められた範囲で投薬を行い、効果を見た程度ですね。そしてその薬もまた、依頼主は別の用途として使っている」
では何故、こんな話を?
物凄く胸糞悪いんだが。
結局の所魔素中毒者の子供達は実験動物としては都合が良い、そんな話を聞かされた私の身にもなれ。
コイツにとって、私の友達は。
都合の良い実験体という事になるのだから。
頬をピクピクさせながら牙を剥いていれば、エルフ先生の掌が私の肩に置かれた。
落ち着けと、そう言われているのだろう。
でも、こんなのって。
「さて、このままではミリアさんに殺されてしまいそうですからね。簡潔に結果と結論だけをお話しましょう。質問があれば、最後にまとめて聞きますから」
それだけ言って彼は立ちあがり、近くの机から資料を取り出して戻って来た。
そこに書かれているのは、魔導回路の膨大な情報。
どこをどう弄れば、どう言った効果がある等など。
彼の研究成果とも言えるソレが、無造作に机の上に放り出された。
「コレは既に、依頼主に提出済みの資料です。つまり相手は私の研究成果と共に、既に魔導回路を弄る事が出来る。街中に発生したワーウルフ諸々は、彼女の行いだと言っておきましょう。そして、依頼主の名は……“アルテミス”。魔女になる事を目的としている、
アルテミス、死霊術師。
シスターアルテミシアの祖母であり、魔導回路を弄る手法と研究成果を求め依頼した人物。
そして魔女になる為に、アリスに目を付けた人物だと思って良い訳だ。
しかし何故だ?
魔女になる為の確かな情報を求めるなら、アリスではなくローズさんを狙いそうなものなのに。
「結局の所、ソイツが自分の魔導回路を弄って魔女になる事が目的……で、良いんですか?」
「正解です。しかしそれでは少し答えとしては不十分。ここに来て、件のアルテミシアとアリスという“魔女の孫”が関係して来る訳ですね」
「どういう、事ですか?」
もはや思考が追い付かず、彼が何を言っているのか分からない。
というか、理解したくないと思っている私が居る。
なんだ、私は何を恐れている?
こんな事件に首を突っ込んだ事? いや、そんなの今更だ。
むしろ解決しようと、自ら踏み込んだんじゃないか。
では……いったい、なんて思った所で。
ふと思いついた。
これだけ大掛かりな事をしているのが、現状は“ただの人間”だと言う事に。
進化に至っていない、魔女という存在に到達していない死霊術師。
そんな人間が、今更悲願を叶えただけで満足するだろうか?
私みたいな性格のねじ曲がった人間なら、間違いなくこの依頼に他の願いも混ぜ込ませる。
寿命の短い人間というのは、それくらい“我儘”な生き物だから。
「死霊術師とは、我々には解明できていない“魂”に対する研究者だと言われています。つまり貴女のお友達を狙ったのは“魔女”になる為の情報を掴む為、魔素中毒者である以上、核心的な情報が理解しやすい状態で存在するのではと考えたのでしょうね。それに、本物の魔女に挑むよりも非常に安全性が高い」
「それが……貴方がアリスの血を欲しがった理由」
「私なら、血液だけでも分析する事が可能ですから。しかしアルテミスは、そこまでの技量はない。だからこそ、本人を狙ったのでしょう。もっと私の研究が早く進めば、その必要はなかったのかもしれませんが。そして魔女そのものに牙を剥かない理由はもう一つ……彼女自身の、報復する相手だからです。だからこそ、魔女の大切な存在を狙った」
「シスターは? シスターは……どう関わって来るの?」
私の言葉に、彼は小さくため息を溢してから。
「彼女には、アルテミスの魔導回路が無理矢理移植されています。その副作用として、記憶を失った。つまり彼女は……アルテミスが魔女へと至る際の、人工的に作られた転生先。つまり、アルテミスの次なる器に他なりません」
「……じゃぁ、薬は? 魔素中毒者を救うとかほざいていた、あの薬は何なの?」
「もう分かっているのではありませんか? あの薬は、人体の突然変異や拒絶反応などを防ぐ予防薬の様なモノ。簡単に言えば、魔力的要因から来る人体への影響を低下させる為の薬です。魔導回路弄りに失敗し魔力が暴走した際、化け物に変化してしまわない為にと製作していますが、内容は魔素中毒者の発作の予防薬にも近い物。ホラ、私は彼等を救う為に研究しているではありませんか」
その言葉を聞いた瞬間、私は彼に杖を向けた。
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