第70話 筋肉


「はぁぁぁ……キッツ」


 ワーウルフが街中で暴れたという状況で、ソレに対処したお母さんと私達は事情徴収を受けた。

 とはいえ、語る事は特になし。

 街中に魔物が現れたからぶん殴ったという母の言葉に兵士は頬を引きつらせ、此方の身元を調べた結果すぐさま撤退して行った程。

 魔女って存在は、やっぱり凄い。

 などと思ったのも束の間、私は実家に連れ帰られお説教。

 そして改めて基礎訓練から復習させられている訳だが……これがまた、キツい。

 常に身体強化を最大限使い、身体を壊す事を目的とする訓練。

 私の場合は、治癒魔法が使えない事を含め限界ギリギリの所を維持する訓練になる訳だが。

 例え骨が折れてしまっても、身体強化を使い続ければ自然治癒力も高まるからくっ付くのも早くなる。

 だから、使い続けろ。

 自分で治せという凄い訓練の真っ最中。

 いや、おかしいって。

 普通怪我したら魔法で治すし、私の場合はお婆ちゃんクラスの人間に治してもらうしかないのだが。

 今は、そんな甘えは許されない。

 だがしかし、やはり私は身体を破壊する訳に行かない。

 筈なのだが。


「もう一戦! もう一戦お願いします!」


「あらあら、元気があって良いわねぇ? それじゃ、もう一回行く? 術師のお嬢ちゃんも、大丈夫かしら? さっき教えた防御魔法が弱くなってるけど、平気? ちゃんと身体全体に膜みたいに張りなさい」


「いや、あの……いえっ! はい! もう一戦お願い致しますわ!」


 貴族組、ボコられていた。

 私は直接戦闘ではなく、ひたすら筋トレをさせられていたが。

 向こうは戦術を教える為にも、実戦形式になったらしい。

 とは言え、エターニアの攻撃をアッパーで弾かれた時は悲鳴が聞こえたが。


「アリスー? サボらないの。小難しい事なんか考えられないくらい、動きなさい」


「はい! ごめんなさい!」


 腕立て、腹筋、背筋。

 ランニングから懸垂まで、基本的なのは全部やった。

 今ではブラックローダーを振り回しながら、ひたすら素振りを繰り返している。


「この世でたった一つ、裏切らないモノがあるのよぉ? なんだと思う? 自らの思考さえ裏切る可能性があるこの世界で、裏切らないモノ。なんだと思う?」


「……それ、友達の前で言わなきゃダメ?」


「何を恥ずかしがっているのかしらねぇ、世界の真理と言っても良いのよ?」


 オホホホと笑う母は、ガウルの斧を拳で受け流し。

 エターニアの魔術を拳で明後日の方向に吹っ飛ばした。

 そして。


「筋肉よ、覚えておきなさい。例えどんな状況になっても、筋肉だけは裏切らないわ。今まで鍛え上げて来た実績に答えてくれるモノ、それは自身の肉体よ? 魔術が使えなくなったら? 補助魔法さえ使えなくなる状況になったら? 貴方達はどう戦うの? 殴る、それ以外無いでしょう? だったら、鍛えなさい。鍛え上げられた拳は、魔法さえも砕くのよ?」


「いやぁぁ!? この人私の魔法銃撃を拳で砕いて来る!」


「うぉぉぉぉ! 筋肉! 筋肉!」


 エターニアはひたすら悲鳴を上げ、ガウルは何故か共感したらしく果敢に攻めている。

 正直に言おう、地獄絵図だ。

 これでも酷い光景だと言うのに。


「アリス、来なさい」


「……冗談、だよね?」


「ブラックローダーを使いなさい。アレは“殺す”と覚悟した時にしか使うなと言われたのよね? 全く、お婆ちゃんも余計な事を……だったら、私を殺すつもりで攻めて来なさい。絶対“死なないから”、安心してね?」


「その根拠は……」


「アリス程度の剣筋で、私に攻撃を当てられると思うの?」


 バキバキと拳を鳴らす魔女の娘が、とても良い笑顔で微笑んでいらっしゃった。

 ヤバイ、本気だ。


「いやぁ……でもぉ」


「その迷いが、戦闘では命取りだと言っているの。駄目ならすぐに“大樹”を抜く、ダッグスさんから貰ったのでしょう?」


 すぐ目の前に、母の拳が迫った。

 いやいつ動いたのさ! そう文句を言いたくなったが、慌てて身体を逸らし回避してから“大樹”を構えてみれば。


「おっそい」


「ちょっ、本気出し過ぎ!」


 この武器は空気の壁を作る筈だったのに。

 ソレさえ貫通して、直接拳を叩き込んできた。

 どんな威力!? 貫通魔法より強いの!?

 色々言いたい事はあるが、それでも。


「さて、パーティが大体揃った所で……本格的に鍛錬開始と行きましょうか」


「お、お手柔らかに……」


「アリス! アリス!? あの人なんなんですの!? 私の攻撃を拳で空に受け流していましたわよ!?」


「筋肉、そうだ筋肉! 俺は根本的な事を忘れていた……筋肉は、強い!」


 あ、これはダメだ。

 完全に、“余分な事を考えさせない”お母さんの訓練に呑まれている。

 確かに私自身、先程出現したワーウルフとか、その前に出て来た奴の事とか考える暇もない。

 それくらいに、余裕のない相手なのだ。

 だからこそ、酸欠みたいな状況で大剣を構えてみた訳だが。


「隙だらけ、それじゃ防げないわよ?」


 ガウルの兜に蹴りを入れながら、もう一方の足ですぐさま私に蹴りを叩き込む。

 どうにかこちらは大剣で防いだが……いや、重っ!?

 思わずたたらを踏んでしまい、パーティ内に“隙間”が出来てしまえば。


「ホラ、今撃たなくていつ撃つの? 前衛の守りが崩壊したわよ?」


「ヒィッ!?」


 私達を押し退け、エターニアに迫ったお母さん。

 それに対して完全に腰が引けている彼女は、悲鳴を洩らしながらどうにか回避しようと身を引くが。

 それでは、駄目なのだ。

 攻撃しないと、この人のゲンコツが飛んで来る。

 だからこそ。


「どりゃぁぁぁ!」


 無理矢理に身体を回転させ、大剣を母に向かって降り抜いていれば。

 相手はニコニコしながらその切っ先を躱し。


「随分動ける様になったわねぇ、アリス。そうそう、その調子。でもさっきの現場でその動きが出来れば、お母さんは何も言う事が無かったのになぁ」


「い、言わないで……」


 私達から離れたお母さんが拍手してくるが、正直煽られているという感想しか残らないだろう。

 でも、この人の実力はこれだけ卓越している。

 学生の私達と違って、本物の戦闘を生き残れるだけの“前衛”なのだ。

 アレで“魔女の血”とも言える、才能の様なものが殆ど受け継がれなかったとか嘘だ。

 私より何倍も魔女の関係者って感じがするのに。


「さて、それじゃ……もう一回行くわよ? 前衛はまず私を止める事、後衛は合間を縫って攻撃する事。状況を確認してから動くのじゃ遅い、全部予想しなさい。その上で……次々と変わる現場に対処する能力を求められるのよ?」


 それだけ言って、お母さんが踏み込んだ。

 馬鹿かって言いたくなる程土埃を上げ、そんなモノを見ている間には間合いを詰めて来る。

 それに対し、ガウルは盾を構えるが。


「それじゃ、また同じよ?」


 真っすぐ構えたガウルの盾に着地するようにして、母の身体は真横の状態で停止した。

 いや、うん。

 これは人間じゃないって。

 思わず乾いた笑いが漏れた次の瞬間、母は盾を乗り越えてガウル兜に踵を叩き込んだ。

 が、しかし。


「筋肉!」


 そう叫んだ彼が、叩き込まれた後の足を掴み取ったではないか。

 嘘でしょ? お母さんの蹴りとか、意識が飛びそうになる程強烈なのに。

 などと思っている間にも、戻した脚に引っ張られる様にして倒れ込むガウル。

 しかし意地でも放さないつもりらしく。


「脚はもう一本ある! アリス! 止めるんだ!」


「う、うん!」


 彼に向かって振り上げられた踵を大剣で防ぎ、その後は武器を投げ捨てお母さんの脚にしがみ付いた。

 コレで、二本押さえた。

 だったらもう、移動は出来ない筈。


「「エターニア!」」


「今度はもう、ビビらないですからね!」


 それだけ言って銃を構える彼女は、迷いなく引き金を引いた。

 その先にあるのは、拘束された母のお腹。

 普通なら、心配する所だろう。

 でも、彼女の魔法がぶつかり残滓を残して消え去った頃には。


「覚えておきなさい。こういう時の為に、前衛は常に防御魔法と……“腹筋”を鍛えるのよ」


「やっぱりこの人おかしいですわ! 私の魔法、腹筋で防がれたんですけど!?」


 駄目でした。

 お腹の部分の服は弾け飛んだが、膜の様に張った防御魔法とバッキバキの腹筋は無傷。

 もう無茶苦茶だよ、ウチの母。

 魔弾を防いだ母は、まず体重の軽い私を振り回しながらガウルに叩きつけ。

 いつまでも手を放そうとしないガウルに対して、身体ごと包み込む様にして投げ技を使った。

 結果、私とガウルは投げ飛ばされる事態に陥り。


「あ、あぁ……えっと」


 エターニアは接近を許してしまった母に、首をガッシリ掴まれた。

 後衛術師が完全に捉えられた状態、つまり私達の負け。

 この事実は確定事項な訳だが。


「諦めるの? アリス。怖いからと言って、この状況で負けを認めるの? だったら……戦士は諦めなさい。彼等は、自らの手が血で汚れる事等気にしない人物じゃないと成し得ない仕事をしているのよ? 貴女には、その覚悟が無い。だったら、諦めて仲間の死を見届けなさい」


 それだけ言って、母の掌はエターニアの首を握り締めた。

 演習とか、訓練とかそういうのじゃない。

 本当に殺すつもりなんじゃないかって程、指に力を入れている。

 その証拠に、エターニアは随分と苦しそうな声を上げているのだ。

 だったら、私に何が出来る。

 前衛の私に出来る事、それは。


「ぜぇやぁぁぁ!」


 二人の間に飛び込み、“大樹”を振り上げて母の手をエターニアから外そうとするが。


「ちょっと遅いかなぁ」


 タンッと軽い音のするサイドステップだけで、簡単に回避されてしまった。

 相変わらずエターニアは捕まったままだし、私の攻撃は躱されたが。

 しかしその先には。


「ガウル!」


「分かっている!」


 無手の状態のガウルが、ガシッとウチのお母さんを抱きしめる様にして拘束する。

 鎧を着ているので、普通ならソレだけでも相当痛い筈なのだが。

 ウチの母は、「あらあら~、掴まっちゃった」とか言いながらニコニコしてるし。


「そこだっ!」


 今度は回避出来ない筈。

 と言う訳で振り上げた武器を、母に向かって振り降ろそうとすると。

 相手はクスクスと笑いながら、掴んだエターニアを此方に向けて来た。


「ホラ、仲間を盾にされちゃったわよ? どうするの? ……って、あら? ブラックローダー?」


 私が今手にしているのは、合体させた大剣状態のブラックローダー。

 当然エターニアに向かってそんな物を振り下ろす訳にはいかず、ビタリと空中で止める訳だが。

 それと同時に、空から降って来た“大樹”がお母さんの腕に激突し、拘束を解除する事に成功した。


「エターニア!」


「ゲホッ、分かってますわ!」


 解放された彼女は、ゼロ距離で“拡散式”を連射し始めた。

 流石にコレには焦ったのか、攻撃を受けながらもガウルの拘束を振り解き、再び距離を置こうとするお母さん。

 でも、ココで逃がしたら同じ事になる。

 だったら一気に攻め込むべきだ。


「このままっ! 休む暇を与えないよ!」


 全力で踏み込み、途中で落ちていた“大樹”も拾ってから。

 未だ体勢を立て直していない母に向かってブラックローダーを振り上げる。

 まだ、この武器を人に向けるのは怖い。

 もしかしたら、ちょっとした間違いで相手を殺してしまうかもしれない。

 でも、お母さんなら。

 魔女の娘なら、絶対に防いでくれる筈。

 そう信じて、グッ奥歯を噛みしめ恐怖を押し殺してから。


「いっけぇぇ!」


 騒音をかき鳴らすチェーンソーを振り下ろしてみれば。


「甘いっ!」


 母にしては珍しく鋭い声を上げて、ブラックローダーの両側に拳を叩き込んで止めてみせた。

 いやもう、笑っちゃうくらい強い。

 普通振り下ろされた大剣を、拳で挟んで止められるものなの?

 とか何とか考えながらも、ニッと口元を吊り上げて見せる。


「私の勝ちだよ、お母さん」


 もう片手に持った“大樹”の切っ先は、既に母の首元に突きつけられていた。

 大剣を双剣みたいに扱うっていうのも、なかなかどうして意味分からないけど。

 それでも、意表を突く事は出来た様だ。


「あらら、コレは一本取られちゃったわね。はい、良く出来ました」


 にっこりと微笑みを浮かべる母を見てから、ぶはぁぁぁっと盛大に息を吐き出した。

 か、勝ったぁぁ……。

 もはや体力なんて欠片も残っておらず、ブラックローダーを仕舞ってからその場に座り込んでしまった。


「か、勝ったって事で……よろしいのですわよね?」


 エターニアはビクビクしながら私達に近付いて来て、私の身体を支えてくれて。


「ご教授、ありがとうございました」


 お母さんに対してズシッと頭を下げるガウルは、まだまだ元気そうだ。

 凄い、一番ボコボコ殴られていたのに。


「はい、皆さんよく出来ました。それじゃ今日はここまでにして、ご飯にしましょうか。アリス、手伝ってくれる?」


「う、うい……」


 正直、もう寝てしまいたい程疲れているんだけど。

 でもこの人に全部調理場を任せてしまっては、二人に生焼け肉とか食べさせる事になりかねないし。

 ヨロヨロする身体をエターニアに支えられながらも、皆揃って家の中へと戻って行く。

 でも、勝った。

 お母さんから、一本取ったのだ。


「まさか大剣二本を同時に使うとはねぇ、びっくりしちゃった」


「へへへ……」


「でも、次は通用しないわよ? ちゃんと他の作戦も考えておくように」


「……はい」


 その“次”とやらが、明日ではない事を祈ろう。

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