「ひとりにしてくれ(Emak Bakia)」(その4)

 野生の大型肉食獣、いわゆる捕食者プレデターと呼ばれる連中が狩りをするときは決して走らない。静かに、悠然と迫って来る。そして獲物が恐怖で駆け出して、躓いたところで一気に仕留めるのだ。


 そんなふうにエマク・バキアが展開した異空間を、小原こと蜂の巣ラ・リーシュが悠然と歩いている。標的は無論、光の男マン・レイこと海藤だ。


 「姿を消せるとは聞いてたけど… なかなかやるじゃない」


 しかし、いくら身を隠したところで反撃にはならず、自分の絶対的優位は変わらない。


 更に彼を警護していた自律型人造人間アンドロイドは全て完全に沈黙している。もっとも、あの程度の銃火器ではこの変身した姿には用を為さないことは周知だ。


 故に彼女は、悠然と時期到来を待つばかりだった。


 「さぁて、DALIの修理費用… 個人宛に請求されなきゃいいんだけど」


 三十六計逃げるに如かず。身を隠しても事態は好転しないのは海藤自身がよく判っている。今はナノ・マシンの周辺散布による光学迷彩に加えて、体表温度も偽装している。肉眼や感熱センサも回避できるが、一つだけ消せないものがある。


 「そろそろ相手も気付く頃かな?」


 視覚を消せても、物音は消せない。物音を立てないように裸足となっているが、身体構造変異ウンハイムリッヒの聴覚であれば、これは聞こえている筈だ。

 

 「来たな!?」


 音のする方へ、散弾が降り注ぐ。海藤は教室に飛び込むなどして遮蔽物を活用するが、それでも不十分、ナノ・マシンによる皮膚の硬化と、再生能力を常時動作させることで攻撃を相殺しつつ逃走する。


 だが、身体器官の一部とはいえ体力の消耗は不可避、どこかで決着を付けなければならない。散弾は廊下の窓ガラス、教室の壁を容易く破壊していく。そして粉塵を巻き上げながら、相手は怪獣映画の如くこちらに迫って来る。


 決して近づかない、一定の距離を保ちながら、機会を伺っているのが判る。それは互いに同じだ。


 逃走を続ける海藤が廊下を曲がった先には、本来の校舎にはない行き止まりに出くわしてしまった。エマク・バキアの空間操作で袋小路だろう。


 「ここいらで終わりかな…」


 ゆっくりとした小原の足音が、一度止まった。そして曲がり角からその姿が見えて、対面となった瞬間に蜂の巣ラ・リーシュが例の如く四肢のハニカム構造から散弾を射出、逃げ場は無かった。

 

 「全弾直撃、やったかな?」


 舞い上がった粉塵で海藤の姿は見えなかったが、散弾の全弾命中という結末を考えるとそのほうが良かったかもしれないと思った。だが、まるで血痕がないことに小原は気付いた。


 「まさか!?」


 仕留めたのは海藤本人ではない。袋小路となった壁にナノ・マシンを散布して表示した立体映像ホログラムだった。現に、壁面の一部はまだその表示を続けている。


 「さっきの台詞、モンスター映画だと反撃される時に言うんだよ」


 本物の海藤はナノ・マシンによって掌とつま先に真空状態を作り、イモリの如く天井に張り付いていた。この場合、光学迷彩も相まってカメレオンとでも呼ぶべきだろう。


 そして彼は小原に飛び掛かり、後ろから羽交い絞めにした。


 「この距離と方向じゃ、狙えないだろ!」

 「やるじゃない… アレのときも後ろからが好きなの!?」

 「こんな時に!」


 彼女も振り払おうとするが、ナノ・マシンで接触面を吸着しているためか振り解けない。人型の身体構造変異ウンハイムリッヒということで、オーバードライブによる急速分解で破壊できるサイズではないが、辛うじて相手の体表に傷を付けることはできた。


 「勝機ありってやつかな…」


 周囲に叩きつけられる前に、体内に流入させて動作と能力を凍結する。海藤が逃走の先にあった勝利を確信した時、急に小原の抵抗が止まった。


 「ふふふ、やっぱり阿蒙だ。まるで成長していない」

 「何をっ!?」


 海藤が叫ぶと同時に例の散弾が彼女の前方に放たれたが、その弾道は急変化してさらに細分化して威力を減衰、だが背後の海藤の四肢を貫くには十分すぎる威力だった。 


 「二段階の散弾、弾道操作まで…」


 驚くとともに海藤の四肢から感覚が失われ、ずるりと小原の背から離れた。彼の鮮血が小原こと蜂の巣ラ・リーシュの透明なボディを妖しく染め上げる。


 そして彼は足下にできた血だまりに倒れ込んでしまった。


 「兵は詭道也って、聞いたことないかい?」


 小原にすれば、海藤が背後を取るまで「想定済み」だったのだ。DALIを相手に技を見せたのも、光学迷彩の応用に驚いて隙を見せたのも、全ては自分の力を見誤らせるための策略だった。


 光の男マン・レイのナノ・マシンは応用が効く、それ故に生まれる慢心は必ずあると踏んでいたのだ。この小原尚美は単純な身体能力の優位だけではなく、戦う術を身に着けていた。


 「さっきの提案だけど、あれはそのままキミに返すよ。どうする?」

 

 激痛と出血のショックか、気を失った海藤からの答えはなかった。万能のナノ・マシンとはいえ、動脈や骨にまで達する重傷を回復させるには時間がかかる。


 このまま異空間に監禁すれば、光の男マン・レイの動きは完全に封じることができる。以前のように、携帯端末や情報通信網に侵入できるような援軍も呼べないことは、血だまりに浮かぶ粉砕された彼の携帯端末が証明していた。


 「異空間展開の瞬断まであと一分、他防御層への侵入無し… 上出来だな」


 更にはあの異空間を行き来する謎の黒い奴も近づいていない。


 よしと思った小原が指を鳴らすと、エマク・バキアの分身ともいうべき例の半透明のオブジェが現れ浮遊していた。そして、オブジェが海藤の体を起こすとそのまま空間を固定し、磔のようにしてしまった。

 

 「色々聞きたいことはあるけど、しばらくそうしててもらう」


 彼女がそう呟くともう一体、今度は小ぶりなオブジェが現れ海藤の両足を覆うように広がった。すると、空間の圧縮を応用して一時的な止血をした。まだ光の男マン・レイには役目がある。


 「またな。光の男マン・レイ…」


 彼女がそう言い残すとこれまで展開していた空間が収束した。そして海藤は文字通り異空間の監獄に繋がれることとなった。


 「終わったの?」

 

 小原が元の空間に還ると、沈んでいく夕陽に照らされる扶桑臨海公園に黒木環那が立っていた。二人の深いつきあいが為せる技か、申し合わせることなくこういうことができる。


 「ああ、後は双子の仕上げが始まれば本当の終わり」

 「そうね。最後の一仕事といったところかしら」


 ようやくこの戦いが終わり、あの双子が言った進歩と調和が訪れるのだと二人の気持ちは一つだった。

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