「無垢と経験の歌(Songs of Innocence and of Experience)」(その3)

 総合文化祭はその前夜を繰り返す迷宮に陥ることなく前夜祭当日を迎えた。


 東京新区統合校の展示には海上学園都市「扶桑」の住民たちが一般客として訪問、プレの人気投票も始まっておりリアルタイムで得票の様子が個人の端末に共有されている。

 

 明日は本土からの一般客を迎えるため、展示の最終調整などはこれが最後の機会となり、生徒たちはまだまだ忙しかった。居住区や周辺設備の交通整備、路面電車の特別ダイヤとなり、いよいよ非日常の到来を告げるようであった。


 そんな中で東京新区統合校高等部、男子寮一号棟はどんよりとした空気が漂っている。


 「レトロ・ミレニアム」というコンセプトで、博物館顔負けの二〇〇〇年代当時のガジェット展示などをやっているのだが、本当に都内某区を思わせる雰囲気が漂っている。


 食うか食われるか、そんな殺伐としたギーク文化の雰囲気さえ完全再現したような光景であった。この歴史的風景の再現度が極めて高度であると、来訪者数は確かなものがある。


 そこで来るものと言えば男、男、男、それも同族の大先輩世代というところで、交わされる会話のディープさは真言のように重く、めんどくさい。会場には一種の瘴気のようなものが漂い始めている。


 「来場者からの得票はいい感じだけど…」

 「違うんだ… 何か思ってたのと違うんだ…」


 この様子に頭を抱えているのは、企画を採用した寮長と副寮長こと河上義衛かわかみよしえ海藤健輝かいとうけんきだった。


 「健の字…こっから連中をどう持ち直す?」

 「どうって、まさかあんなことになるなんてね…」


 展示準備、実機稼働については海藤の知己であり、この道に詳しい青島文香を頼った。


 女史の到来は男子寮の面々を一気に湧かせた。


 少し年上の綺麗なお姉さんという存在は、暖かな西の風ゼファーの到来とともに女神ヴィーナスの顕現のようだった。


 なおかつ、半世紀も前の電子機器ガジェットのコレクションや偏見という名の知識のコレクションを「すごい」と褒めるのみならず、自分などはプロフェッショナルでありながら「詳しいんだね」と共感されてしまうと、日ごろ陰の者として生きる男子などは完全にKOされてしまう。


 ここで事件が起きた。


 自らを肯定、好意を抱いていると勘違いもとい、妙な勇気を持った一人がこともあろうに青島に「交際している人はいるのか」とダイレクトに尋ねたのだ。


 「うん、いるよ」


 そして彼女の無邪気で真っ直ぐなこの一言、男子一同は敗戦の一報を聞いた最前線の兵士のような顔をして虚ろな目で遠くを眺め出した。


 文化祭前夜に、全ての野心や期待はここに潰えた。


 この女神ヴィーナスとのロマンス、その可能性は未来永劫に再現することはないのだ。合戦が佳境を迎える前に総崩れとなったのだ。


 「松尾山の小早川… 今なら石田治部の気持が判るなぁ…」

 「どっちもよく知らないけど、予想外の出来事って認識でいい?」

 「その通りだ…健の字。第一、そういうことは先に伝えておけよ!」

 「いや、文姉ふみねえのプライベートまで知らないよ!」

 「あっ! 何だその呼び方!?」

 「えっ、ああ、昔からそんな感じで呼んでるけど…」

 「まさか、お前…ははぁーん?」

 「何その、ははぁーんって!?」

 「前の彌生武子の件といい… よし、わかった!」


 河上は手をポンとたたいて、いつもの「にしし」と笑う。間違いなく、とんでもない誤解を産んでいる。その上、この状況でその誤解は海藤の生徒としての生命を危うくする。


 「いや、違うって!」

 「いいか! 勝った者は、常に負けた者達の怨念を背負って生き続けるんだ!」


 いつの間にか河上の背後には、その怨念ともいうべき寮生が集って「おのれおのれ」という視線を海藤に向けてくる。


 「男子諸君、お取込み中に恐縮だけど、ちょっといいかしら?」


 一同の視線が向いた先には、風紀委員副委員長にして文化祭実行委員会の一人である山岡蓮やまおかれんだった。


 「ああ、連の字! 丁度いいところに来た! ここに校内風紀を乱す最大の敵パブリック・エネミーがいるぞ!」 


 河上が連れて行ってくれと言わんばかりに海藤を指差した。


 「何を今更、アンタの自己紹介してるのよ…」

 「山岡さん、もしかして展示巡回?」

 「その通り、ちょっと確認したいことがあったから」

 

 彼女はずいと「特別巡回中」の腕章を海藤に見せた。相変わらず、こういうものが何故か似合うなと思った。


 なんでも、ここの得票を監視してたら特定年齢層への偏りと異様な高評価の連続、寮長の河上の日ごろの行いから「よもや」ということが運営委員会で懸念されたらしい。


 一般人に対して河上の妙な行動が波及しては、一大事となる。故に大目付の山岡がやってきたというところだ。

 

 「とりあえず、変なことはしてなさそうだから安心したわ」

 「蓮の字、話は変わるけどよぉ… そのカッコは何だ?」

 「えっ? 女子の委員会有志で喫茶店やってたんだけど、言わなかったっけ?」

 「そりゃ知ってるけどよ…」


 文化祭委員会融資も展示および模擬店を出しており、女子がやはり二〇〇〇年代のリバイバルブームに乗っかってメイド喫茶をやっているのは知っている。


 男子生徒一同は、三年生の双璧と呼ばれる彌生武子と黒木環那がそろっていることにどよめいていたが、海藤からすれば前者はあの時のコーヒーよりも苦い思い出がある。

 

 「喫茶店なのにメイド…不思議なコンセプトよね。どうして当時流行ったのかな?」

 「そうじゃなくてよ。蓮の字のはメイドというより執事じゃねぇのか?」

 「僕もそう思う…」


 山岡のいでたちといえば、白手袋とネクタイ、ぴしっとしたシャツにベスト、濃紺のジャケットとパンツスタイル。背の高い彼女のシルエットを際立たせている。


 「ああ、これね。頼まれてコレにしたの」

 「頼まれて…? あのな…何か妙だとは思わねぇのかよ」

 「だって、執事もメイドも仕事は同じでしょ?」

 「いや。そうじゃなくって…」


 山岡は普段のサッパリした性格と風紀委員としての面倒見の良さから、一部の女子から独特の人気を集めているのだが本人はまったく自覚がない。要するに、文化祭に託けて自分たちの願望を成就させた奴がいるということだ。


 「まぁとにかく、明日は本番なんだから頼んだわよ?」

 「ああそうだな」


 前夜祭で委員会が「異変」と認定して動くほどの瘴気を漂わせるこの展示、本土からさらに「その筋」の来訪者が増えたら妖怪大戦争か幻魔大戦でも始まるのではないかと、河上と海藤は再び頭を悩ますのであった。

 

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