「無垢と経験の歌(Songs of Innocence and of Experience)」(その2)

 海上学園都市「扶桑」の総合文化祭が近づくにつれ、中心となる東京新区統合校の生徒たちの盛り上がりは居住区はもちろん、企業展示を行う特別区にも伝播している。


 祭典の日はどんな時代、どんな場所でもそういうものだが、特別秘匿区域「一〇九区」はそんな空気と無縁だった。


 G.F.O本部の局長室では斯波禎一しばさだかずはその厳粛な雰囲気を凝縮したような表情で思案に耽っているが、ここに来訪者があった。


 「世間は祭り一色だっていうのに、仕事の虫がいるもんだな」

 「お前か、今日は随分静かなご登場だな」


 斯波の目の前には、例の如くもう一人の斯波禎一しばさだかずが立っている。普段ならば、本家の方を揶揄ってやるのが定番だ。


 「まったく、華やか祭典の裏で仏頂面… 手許に猫がいたらマーロン・ブランドじゃねぇか」

 「アレか… 生憎だが、あまり好きな作品ではない」

 「何故? いい映画じゃないか」

 「私は猫が嫌いなんだ」

 「禎の字… 言うと思ったぜ」


 もう一人の斯波は「にしし」と笑いながら、頭を掻いていた。相変わらずの神出鬼没だが用向きは判っている。

 

 「それで、あの御姉様方の課題レポートはどんな仕上がりだ?」

 「ああ、教育的見地から言えばA判定といったところだが… 念のため場所を変えよう」

 「学長自らの解説は恐縮だが、手短に頼むぞ?」


 斯波が「混沌と創造の裏庭」を展開するのを察知してか、そんな冗談が出た。分岐タイムライン外に存在する専用領域、時間という概念を自在に斯波が操作する空間。そこでの仕事ということはそれなりに時間がかかるものだと、この相棒はよく知っていた。


 「安心しろ。すぐ終わる」


 偉大なる先人パスト・マスターことL.O.WLodger Observe Workgroupのルシール・オックスブラッドからの報告と、ナンシー・フェルジが時山爾子の作品から抽出した記憶をまとめたドキュメントをプラネタリウムのように一斉投射した。


 「これは中々…」


 もう一人の斯波は、いつの間にか黒糸縅の当世具足の姿に変化しており、興味深く見入っていた。もっとも、この姿では中身が空洞なので表情が判らない。


 「何だ、この間のは犬だったのか」


 光の男マン・レイを、あと一歩まで追い込んだ身体構造変異ウンハイムリッヒ、美堂敬介の能力は「アンダルシアの犬」と命名されていた、


 「ああ、アンダルシアの犬と時山爾子が命名した」

 「爾の字がなぁ… 生徒会の三人には余り関わるなと言っておいたんだが」


 時山の背後に生徒会三役こと赤瀬川鈴寿、黒木環那、小原尚美がいることがはっきりした。連中が仄かに光る双子グリマー・ツインズと最も近しいため、これ以上は深入りはさせたくない。


 「ところで、こいつはどうする?」

 「ああ、青騎士ブラウエ・ライターか」

  

 斯波が拡大した人型のシルエット、それはまさしく異形の騎士というに相応しい。


 甲冑を思わせる生物的な外骨格が青黒く金属光を放っており、頭部の逆立った様な蒼いたてがみと両腕の鉤爪、件の「アンダルシアの犬」とは桁違いの戦闘力であることは、もう一人の斯波がよく知っている。


 「中々の造形美、彼女の作品の中にあった映像ヴィジョンだが… 執心するのは納得だな」

 「そういうことじゃねぇよ。今の健の字… もとい光の男マン・レイじゃあチト難しいぞ?」

 「オックスブラッド女史は、在日米軍と連携してDALIの強化装備案を出しているが…」

 「現物を相手にすれば、ただの案山子だな」 


 斯波が見せたデータでは、人間の武装兵力を相手にするならば十分、装甲車両相手にもおくれをとることはなさそうだが、所詮は付け焼刃だ。


 「小原が異環境展開デペイズマン、黒木が身体構造変異ウンハイムリッヒとくれば、残りの赤瀬川は…?」

 「双子の能力を分散させた考えれば、自動作用オートマティズムだろうな」

 「容易に使わないところを見ると、例のアレか…」


 あらゆるエネルギー生成と操作、十年前の米国西海岸の事件を思えば個人で大量破壊兵器を携行しているようなものだ。


 「この扶桑が分岐タイムラインとの特異点である以上、破壊はしねぇだろうが…」

 「安全な大量破壊兵器など存在しない」


 個人の感情や欲求、エゴに左右されてはならない能力であり、こればかりは仄かに光る双子グリマー・ツインズの慧眼を褒めてやりたい。そして、使いどころがあるとすれば、思い浮かぶのはただ一つだ。


 「無意識下で接触した時、自分たちは分岐タイムラインを脅かす存在を討つ為に現れたと語っていたようだ」

 「ははは、呆れるぜ。ものは言いようだな」

 「仕掛ける側は必ずそうだ。文句だけは美しいが、ありもしない脅威と恐怖からの解放を大義名分に焚き付ける」


 どの分岐タイムラインでも、いかに優れた異能を有しても、人類そのものの性質は変わらないということかと斯波は自嘲する。


 「そして人知れず異能を授けられる十代ティーンエイジャー… 半世紀前のマンガじゃねぇか」

 「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にありというところだろう」

 「先兵を引き連れて、全てのものの王レイ・ディ・トゥットに挑む…とんだ謀反人だよ」


 この「全てのものの王レイ・ディ・トゥット」は文字通り全ての分岐タイムラインの文明や生命の創造を統べる存在だ。進化の行き詰まりや文明の崩壊に至った時は分岐タイムラインの凍結、或いは消滅さえて本流との整合を保っている。


 「全ての闘争、謀反は怨恨に根差したものだ」


 仄かに光る双子グリマー・ツインズが現れた目的は、分岐タイムラインの本流を遡上して、覚醒前の「全てのものの王レイ・ディ・トゥット」を討ち、分岐タイムラインの再構築、異能の人類たちの進化・再生をここから始めるというものだ。


 「あれから光の男マン・レイに、全てのものの王レイ・ディ・トゥットの兆候はあったか?」

 「まだ光の波長が変化した程度だが、これから覚醒は進んでいく」

 「すると、まだ蛹の状態… 超力招来の時を待つだけか」

 「その時が来れば全てが決着する。それまでは、頼むぞ」

 「マァ何だ。俺とお前の仲だ。健の字とは最後まで付き合おうじゃないか」


 斯波の目の前にはもう一人の自分ではなく、河上義衛が立っていた。

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