「不可視のライオン、馬、眠る女(Dormeuse cheval lion invisibles)」その3

 海上学園都市「扶桑」の頭上に突如として、もう一つの太陽が現れた。


 当初、晴天のひび割れが現われそこから銀の回転する円盤が見えた。徐々にそれは一つの太陽として輝き出した。


 扶桑の住民たちは「ああ、全天周ドームを用いた何かの広告だろう」とか「総合文化祭に向けた映像作品のデモンストレーションか」と思っていたが、その時間帯が換気と動作確認のために解放されていることに気付くや、それは興味から驚嘆へ変わった。


 「何だこれは!?」


 もう一つの太陽は徐々に極光オーロラのような光を放ちながら扶桑の市街地を照らし始めるのだった。


 そして、異変はそれだけでは終わらなかった。地表めがけて猛スピードで突進したかと思えば、飛燕の如く翻って通常位置に戻るというのを何度か繰り返している。


 最早、この様子を呑気に眺める者はいなくなった。


 居住区ではまさに騒乱の様相を呈しており、区域ごとの指定シェルタに自主避難する者、野次馬根性でもう一つの太陽を撮影配信し始める喧しい連中がいるかと思えば、静かに合掌しながら太陽に祈る集団さえ現れた。


 この様子はG.F.Oが海上学園都市「扶桑」の随所に設置した定点カメラや、偵察ドローンによってリアルタイムで監視班へ共有されている。


 「一九一七年のファティマの聖母…太陽の奇跡の再来じゃないの」

 「それならローマ教皇庁ヴァチカンに連絡すれば、奇跡と認定するかしら?」


 監視班の画面を見るナンシー・フェルジは、まるで一度見て来たかのような反応だったが、彼女が生きてきた年月や能力を考えれば不思議はないかとルシール・オックスブラッドは思う。


 「斯波局長は関連機関と折衝中…」

 「私たちの腕の見せ所ってやつかしら?」

 

 この現象を間借人LODGERの能力ということを秘匿するならば、まさしく二人が言うように「奇跡」という表現しか見当たらなかった。だが、そんな奇跡ともいうべき超常現象を、彼がうるさ方とすったもんだしている間に解決しなければならない。


 「不条理な太陽なんて、カミュじゃないんだから…」


 海藤はこの余りに不条理な太陽を、いつか読んだ古い物語に重ねていた。極光オーロラの色彩を放って踊る太陽を目の当たりにしては、あの死刑囚が言った「太陽が黄色かった」という一言のほうがよっぽど道理が立つ。


 光の男マン・レイのナノマシンも生物や物体を解析する能力は持っているが、そのためには直接触れる必要があり、あの高度では届くはずもない。


 ルシールがG.F.Oの監視班と現地即応班が共有した情報データを空間に投影してみせると、もう一つの太陽には紫外線UV赤外線IRは観測されずその上、光源と思われる機械装置や生物の類もない。

 

 「やはりこれは時山爾子…閉じられた眼レズィユ・クロが生み出した幻影」

 「えっ!?」


 海藤が驚く一方で、ナンシーが「同意見」という様子で頷いていた。


 「ルシール、ちょっとこれを見て」

 

 ナンシーが手渡したレポート用紙には、揚羽蝶の翅を六枚重ねた車輪のような紋章が刻まれていた。どうやら彼女も同じものを見つけたということは、紛れもない事実だった。


 「貴女、この紋章はどこで?」

 「押収した彼女の作品よ。そして貴女は、例のカメラの記録でこれを…」

 「ええ、その通り。そして、あのもう一つの太陽を解析したら、案の定よ」

 「おそらくこれが能力発動のトリガー…そんなところかしら」


 万物を見通す眼は、万民の眼を盲目にする幻影をも生み出す。芸術家という強力なアウトプットを持つ資質と自動作用オートマティズムはかなりの相性であり、急成長を見せたようだ。


 「彼女と接触した時は、能力を完全制御しているように見えたのに…」


 海藤は時山が色調するのと同じだとか、自分が見たいものを見ると語ったのを思い出していた。身体器官のように能力を発動させる自動作用オートマティズムが制御できないとすれば、前に自分が「毒」にやられたように、何かしら外部からの影響があったのではないか。


 「拘束時に鎮静剤を使用… 無意識状態の本体を保護するため防衛反応が暴走かしら…」

 

 彼女の身柄を確保したのは自律型人造人間アンドロイド「DALI」であり、拘束どころか未知との遭遇だ。彼女が感じた恐怖とストレスは通常のそれとは大きく異なる。


 「無意識状態ゆえに能力が不安定でも、このまま暴走が続けば」

 「本土での現出確認は不可避、そうなる前に彼女を覚醒させましょう」

 

 市民の騒動が暴動になれば二次災害は無論、異環境展開デペイズマンほどの有効範囲はないものの、本土の首都圏が巻き込まれればいよいよ収拾不可能な事態になる。


 「外部からのショックで覚醒させるのは…?」

 「悪手ね。防衛機能の暴走だとしたら、更に悪化させることになるわ」


 今のところ、幻影はもう一つの太陽が奇妙なダンスを披露するようなもので済んでいるが、これからもっと攻撃的かつ煽情的なものになれば、最悪を絵に描いて額装して展示するようなものだ。それこそ時山爾子の最新にして最恐最悪の作品と評価を得るだろう。


 「それにしても、どうして太陽だったのかしら?」

 「特に攻撃や陽動の意図もなく、ただ衆目を集めるだけ…」

 「恐らく、それが目的なんじゃないんでしょうか」


 海藤の一言に、ルシールとナンシーは言葉を止めた。


 「あれは例えば、信号ビーコン…救難信号のような」

 「本体の危機を知らせる救難信号…でも、彼女の協力者たちは全員本土よ?」

 「ええ、それは判っています。何と言っていいのか…」


 ルシールは言葉に詰まる海藤の様子が不思議だったが、これにナンシーがピンときた。なるほど、その理由はちょっと前に彼をからかったときに見ている。


 「呼ばれているのは貴方、光の男マン・レイということかしら」

 「は、はい…」

 「二人の関係からすれば自然だけれど、まったく…」


 ルシールは半ば呆れてしまった。まるで眠り姫を起こしに行く王子様ではないか、余りにロマンチック過ぎるというものだ。


 「罠ということもあり得るわよ?」

 「それは承知の上です」

 「第一、どうやって彼女を目覚めさせるつもり?」


 まさか、キスで目覚めさせるとでも言い出さないか不安になる。


 「あの眼なら、僕の能力…光が見える筈です」

 「何かその確証は?」

 「前にもらった作品に、確かにその光が描かれていました」


 この光が、自分が敵対する存在ではないという信号ビーコンとして覚醒させることができるのではないか。彼女の心の中にある「本物」の中に、光の男マン・レイの光が置いてあるのなら可能性はある。


 「ルシール、事態は急を要するわ。今は彼に任せましょう」


 ナンシーの訳知り顔に、この魔女ときたらと思いつつも今はそれ以外の選択肢はない。

 

 「致し方なし…それにしても、斯波氏への報告が困るわね」

 「ああ、それなら決定的な証拠があるから大丈夫」

 「あっ!すみません。彼女の居所、聞いてませんでした!」


 例の証跡をルシールに差し出される前に、海藤は何とか気を逸らそうと必至だった。

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