「不可視のライオン、馬、眠る女(Dormeuse cheval lion invisibles)」その2

 G.F.O監視班配下の解析用ラボでは、常に事実と根拠を示す証跡のみが陳列されるが、今は異様な雰囲気になっている。


 時山爾子の部屋から回収された作品が並べられており、その光景はさながら新進気鋭の現代美術家の特別展のようになっていた。海藤健輝かいとうけんきとナンシー・フェルジは、さながらその見学者のように見える。


 「これだけの量を気付かれずに…」

 「その言い方、まるで美術窃盗団の頭目ね」


 斯波が言っていた自律型人造人間アンドロイド「DALI」の性能とその柔軟な対応力には改めて関心してしまう。


 「そういえば、DALIには光の男マン・レイの光学迷彩を応用した装備があるとか。透明になれるなんて、まるで魔法じゃない」

 「それなら僕は共犯者ですね」

 「そういう言い方、嫌いじゃないわ。ところで彼女、芸術家としての実力は相当なようね」


 押収した作品はいずれも、この海上学園都市「扶桑」で仄かに光る双子グリマー・ツインズの出現兆候が確認されて以降に制作されたものだ。驚くべきことに、この三か月余りで油彩、水彩、彫刻、版画とかなりの数を完成させている。


 海藤はただ作品に圧倒されるばかりだが、ナンシーの能力は彼女の眼にその様子をありありと映し出していた。

 どうやら「閉じられた眼レズィユ・クロ」は、時山爾子という芸術家に新境地を開眼させたと見える。


 「依頼主クライアントには、マスターの完全複製品を引き渡す…変わった製作スタイルだこと」

 「はい。そっちのは只の記録。だから彼女の真作は記憶…いわば心の中にしかないんです」

 「記録と記憶は違う。貴方、なかなか芸術の本質が判ってるわね」

 「いえ、彼女の受け売りです。もしかして、そんなことも見ただけで…?」

 「あらいけない。自分だけが色々判ってて…貴方にも見せた方がいいわね」


 そういってナンシーは、バインダから真っ白のレポート用紙を取り出した。


 アナログ情報を操る自動作用オートマティズムとはいえ、まさか筆記でもするのだろうかと思ったが、そこは伊達に偉大なる先人パスト・マスターと呼ばれていない。


 ナンシーがレポート用紙にスッと右手をかざすと、彼女が見ていると思しき記憶の風景が紙面にレーザー刻印のように浮かび上がってくる。それだけではない、それが映像のように動く上に音声が聞こえるではないか。


 「まるで魔法使いですね…」

 「大昔に、本職から教えを乞われた事もあるわよ?」


 ナンシーが生きてきた数百年の歴史を考えれば、さもありなんと海藤は思う。


 「ミス・フェルジ、一つ質問してもいいですか?」

 「あら、貴方も弟子になりたいとか?」

 「ええと、何と言いますか… 出現した時代の文明レベルなら、その能力で世界を支配するとかも出来たのに、どうしてかなと…」


 海藤の質問に、ナンシーは特に驚く様子もなく「ああ、そんなこと」という様子だった。 

 「それは貴方がそうしなかったのと同じ」

 「僕がそうしなかったのと同じ?」

 「そうよ。これが私の答えということで、どうかしら?」

 「そうしてくれると、嬉しく思います」


 二人のやり取りの後、新しい記憶の映像ヴィジョンがレポート用紙に浮かび上がって来た。

 

 「そろそろ本命が出てくるようね」

 「本命…ですか」

 「そう、制作時期から察するに…貴方も気になっていることよ」

 

 ナンシーの表情がギュッと真剣になったので、海藤も覚悟を決めた。仄かに光る双子グリマー・ツインズは、時山に何を語ったのか。自分が知り得ないこと、残る接触者たちの能力と関心は尽きない。


 そして彼女がすっと差し出したレポート用紙に表示されたものに、海藤は驚いた。


 「な、何ですかこれ!?」

 「何って、貴方のことじゃない」

 「いえ、それは判ってます!」

 

 レポート用紙に刻まれたものは、制作を一緒に手伝ったあの日だけではない、海藤と初めて出会った時からだ。自分の言葉や仕草が、はっきりと何度もリフレインされている。そして彼は、段々とこの意味が判ってきた。


 「あの、ずっと貴方のことを考えてるみたいね」

 「ち、ちょっと! こんなときに止めてください!」

 「あら、何だかもう一つあるけど?」

 「一つで十分ですよ!」


 この女性の性格がよくわからない。人を誑かすというか、能力で揶揄うようなところはやはり魔女ではないのか。


 「冗談よ。こっちは正真正銘の重大事項、仄かに光る双子グリマー・ツインズとの接触時の記憶、斯波局長に速報案件よ。それに…」

 「それに…?」

 二人がそんなやり取りをしているところに、携帯端末へ監視班からの着信があり、二人は呼び出し主の観測班の下へ急いだ。

 

 そんな二人を呼び出した着信の少し前のことだ。


 ルシール・オックスブラッドは、監視班の頼れる相棒こと青島文香あおしまふみか共に一仕事というところだった。


 能力を強化したと思われる彌生武子やよいたけここと「蛇使いの女ラ・シャルムーズ・デ・サーペンツ」と、先の美堂敬介の一件で確認された「犬みたいな生物」の大群が映ったこの映像だが、検証するうちに幾つも妙なところが発見される。


 「例の異環境展開デペイズマンと連携して侵入したとしても、これは妙…」 


 現地即応班の福田班長からの連絡で、出現地点とされた地下通路や閉鎖されたシェルターの防犯装置セキュリティが破壊された形跡もなかった。第一に、床には未踏の雪原の如く土埃や汚れが広がっていたというのだから、益々以って判らなくなる。


 いかにエマク・バキアと連携して異次元空間を移動しようとも、物証は必ず残る。

 

「現地もそうですけどこの映像を解析チームの田宮と沙魚川はせがわで精査したら、もっと妙なんです」

 

 青島が示した映像には、例の生物が蠢いているのだが、一部を拡大すると確かに妙な個体が確認できる。まるで、画像編集のトリミングを失敗したように頭や手足が見切れている個体がいるではないか。


 「第三者の改ざんではなく、元々こういう形で映っている…?」


 そんな筈はない。見えているのに見えないものなど、幻覚や錯視そのものではないか。


 「なんだか記録っていうより、誰かの記憶みたい…」

 「文香、今なんて?」

 「あっ! すみません。独り言です」

 「記憶…彼女、人の記憶も見えるって光の男マン・レイに言っていたのよ」

 「人の記憶が見える…? でも、この映像とどう繋がるんですか」 

 「これは推測だけど、彼女は見るだけじゃなく、創れるのよ。幻影を…」

 「なら、この映像は…!?」 

 「恐怖ほど長く残る記憶はない、それで幻影を創った」

 「でも、このカメラに幻影を投射する機会は」

 

 ルシールが青島専用の端末ラップトップに触れると、時山爾子が展示品制作の為に移動して回った位置情報が表示された。話している間に、彼女の意識は海上学園都市「扶桑」の通信網を駆け巡っていたのだ。


 「成程、企業展示用の制作取材ですか…」


 企業専用のパスなら、G.F.O旧設備に一部アクセスできる。この幻影を捉えたカメラは、そのエリアに該当していた。目的は言うまでもなく現地即応班などのG.F.Oの戦力分析と陽動、そして警備の展開状況からの本部位置特定だ。


 そんな二人の間に、その現地即応班からの緊急連絡と映像が共有されたが、どうやら予想は的中したようだった。

   

 どうにも体に上手く力が入らない上に、どうにも視界がはっきりとしない。作品制作の徹夜明けよりもずっと酷い。首筋に残る刺激的な感覚、恐らく拉致されたときに鎮静剤か何かを投薬されている。

 

 「これ、夢なのかな?」


 そんな彼女の思いも空しく、あの晩の出来事が紛れもない現実だと証明するように、部屋に現れた兵士が一人ベッドの脇に立っていた。しかし、彼女が未だに現実と信じられないのには理由があった。


 本調子ではないが「閉じられた眼レズィユ・クロ」で透視した時、その厳つい強化装甲と防護服に包まれた正体が、余りにも非現実的過ぎる。


 「頭のてっぺんからつま先まで、全部人工物…?!」


 超硬度炭素カーボンの全身骨格、人間との身体的接触を考慮してか体温を保つ特殊シリコン製の外皮、道理で最初に接触した時に見えた「体温」が人間のそれであった筈だ。


 こんなSF映画にしか出てこない兵士が存在するのかと驚いてしまう。


 確かに、海上学園都市「扶桑」には接客用あるいは警備用ロボットなどは随所で活躍しているが、ここまで人間に擬態したような機体は見たことがない。


 「一体、何のために私を…きっとこれは夢よ…」

 

 きっとこの兵士は、人間とアンドロイドを判別するのが目的だ。いつか見た映画に出てきたような、感情を刺激して判別するような、そんな検査を受けさせられる夢なのだと時山は思った。自分も連中の仲間で、誰かに捕えられた。そして、誰かが助けに来てこの夢は終わる。


 「そう、きっとそんな夢…夢…」


 必死に自分へ言い聞かせながらも、見え過ぎることの恐怖から逃れられない。この兵士の記憶領域を読もうとしたが、自分の能力が不安定なのか強固な暗号化がノイズのようになって、断片的な単語しか読み取れなかった。

 

 「捕縛」「分析」「措置」


 特殊な能力を持つ自分が捕えられたとすれば妥当な理由だ。何らかの組織が動いているのか、それも信じがたいことだがこの異形の兵士とともに現実を、恐怖と共に受容しなければならない。


 「誰か…誰か助けて…」


 再び混濁する意識の中、様々な映像ヴィジョンが頭の中を駆け巡る。


 初めて絵筆を執って自分だけの世界を創造した記憶、コンペティションでの受賞や作家同士の衝突、甦る思い出と感情という名の色彩の氾濫、はっきりと見えているはずなのに、何もかもが見えなくなっていく。


 通常の彼女であれば、創造というアウトプットと強烈なエゴで精神世界には不要な色彩の一切は存在しえないのだが、投薬によってその制御が上手くできない。

 

 「あの光…優しくて、暖かな光…」


 そんな彼女が最後に思い浮かべたのは光、光の男マン・レイこと海藤健輝の中に見えたあの光だった。 


 斯波の周囲が俄かに騒がしくなった。


 G.F.O本部の局長室で専用回線を開き、本土や関連機関と緊急の会議を開催、参加者一同が大いに取り乱していたが、その原因は斯波もはっきりと確認していた。

 

 「皆様、御静粛に…今、こちらでも目視しております」


 彼の端末には、監視班から共有された映像が表示されている。それには、この扶桑を覆う全天周ドームの向こうに燦燦と輝く太陽がはっきりと二つ見えていた。

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