第9話「不可視のライオン、馬、眠る女(Dormeuse cheval lion invisibles)」

「不可視のライオン、馬、眠る女(Dormeuse cheval lion invisibles)」その1

 東京湾上に展開する巨大人工浮島メガフロート、この海上学園都市「扶桑」には東京新区統合校を含めた本土からの移住者の居住区、多国籍企業の支店および関連機関と設備を展開する特別区が存在しており、本土と変わらぬ日常の営みが繰り広げられていた。


 その人工の大地に、非日常を常とするような区域が存在していることは殆どの住人が知らなかった。


 特別秘匿区域、関係者が「一〇九区」と呼称するエリアが存在する。


 通常の物理的アクセスはおろか、情報通信網を介したアクセスすらも完全制御されたこの特別区には、斯波禎一しばさだかずを局長とするタスクフォース「G.F.OGoing For The One」の本拠地が展開されていた。


 間借人LODGER案件の対応、特に仄かに光る双子グリマー・ツインズの再出現に即応するべく、最前線基地として二十四時間三六五日の輪番体制で監視と現地即応班を待機させている。本土の防衛組織および警察・公安機関ですらアクセスを許可された人間は極々一部であり、G.F.Oの構成員でさえ任務の所掌範囲によって厳重に管理されている。


 まさしく、前時代的な映画やドラマに登場するようなこの秘密基地では、まさにそのような景色シーンがここの日常となっているのだった。


 ここへ自在に行き来ができるものは、局長たる斯波を除いては光の男マン・レイこと海藤健輝か、米国の本家組織のメンバーであるルシール・オックスブラッドの他は無い。


 「危急の要件とは言え、この一〇九区には直接アクセスは不可能。そこで二人の協力が必須…そういうことよ」

 

 こうして突如として海藤とルシールに接触した姿なき来訪者は、G.F.O本部に辿り着き、二人の携帯端末に身を潜めながら斯波禎一の待つ局長室へ歩いていくのだった。


 「それに、貴女の能力はG.F.Oの専用通信網の防御を突破するには不十分」

 「流石はルシール、御明察よ。貴女に比べればこっちの能力は未熟そのもの…ハッカーの悪戯程度ね」

 「こっちの能力?」

 「ええ、後は斯波学長…いえ、局長からお話があるから期待して頂戴」


 彼女との接触した時の第一印象やルシールとのやり取りを聞いていると、もし現代に「魔女」とかそういう存在がいるとすれば、このような女性を言うのだろうと海藤は思った。魔女の現物も、彼女の正体もまだ知らないのではあるが。


 局長室の扉が開くと、斯波禎一が待っていた。


 「先ずは、二人に女史について秘匿していたことは詫びよう」


 この男には、余りに未知の部分が多すぎるとルシールは若干のいらだちを覚えた。自分の電子情報を自在に操る能力でさえ探し得ないものがある事実、これを受け入れがたいという、たかが知上の問題であると自制した。


 そして斯波の謝罪とともに、ようやく姿なき来訪者がその姿を現した。


 編み込んだ赤毛とグリーンの瞳が美しく、特にその瞳には一種の魔性を感じさせる。年齢はルシールとそう離れてはいないだろう。斯波の表情から、どうやらこの来訪者は我々にとっての敵ではないことが証明された。


 「私はナンシー・フェルジ、申し遅れましたが以後お見知りおきを」

 「女史には、英国を中心に欧州の間借人LODGERの動向調査を依頼している」

 「所属は秘密情報部SIS保安局MI5?それとも国防情報部DI?」

 「どれでもあって、どれでもない…全部といったところね」

 「随分と仕事熱心…素晴らしい愛国心だこと」

 「あら、私はそんなものの為にこの仕事はしていないの」


 普段のルシールらしからぬ反応とやりとりだが、斯波にはこれがよく判った。


 この超高度の情報通信社会にあって、彼女の能力を考えれば大抵の情報が未知であることは稀だ。目の前にいるナンシー・フェルジ、まさしくその未知の象徴だった。知らない事物に恐怖を感じない人間はいない。


 「フェルジ女史の能力は、筆記された情報記録の解析・改竄、更には記録された媒体を介しての空間移動だ」

 「アナログ情報の世界… 道理で私の能力でも特定できなかった訳です」


 これにはルシールも合点がいった。自分は電子情報記録に特化した能力を持つ「偉大なる先人パスト・マスター」と呼ばれるのであれば、彼女は電子計算機コンピュータが登場する以前のそれと呼べる存在だ。


 紙媒体と電子情報媒体の歴史の長さを比較してみれば、その能力が如何に有用であり、応用が効くかと言うのは明確だった。


 「その通り… そして貴女と光の男マン・レイに披露したのはその応用…蔵書も全て電子情報化アーカイヴされた影響かしら」

 「蔵書?貴女には所属組織ではなく、収蔵先を聞くべきだったかしら?」

 「面白いことをいうわね。私が出現した場所はボドリアン図書館、そして設立された頃から拠点にしてたのよ」

 

 ボドリアン図書館と言えば設立は十四世紀、現在の形式になったのは一六〇〇年の初頭だ。例えば魔術や心霊術、そんな神秘主義が科学リアリティとそう遠くない距離感を保っていた時代ではないか。


 「そんな時代から、間借人LODGERの存在が…?」

 「そうよ。当時は違う呼称だけれど…大なり小なり事件を追いかけてきたの」


 光の男マン・レイこと海藤の年相応の好奇心にナンシーは何やら嬉しそうに答えた。確かに、彼女が出現したという年代では英国でポルターガイスト現象なども確認されている。なるほど、現在確認されている間借人LODGERを思わせるような怪奇事件は事欠かない。


 「それなら、何か歴史的な事件への関与も…?」

 「折角だからお話したいところだけど…それは極秘扱い」


 ナンシーはそういって、海藤の純粋さをやや揶揄うように微笑した。この点については大いに気になるところであったが、彼はそれ以上に彼女の能力について知りたいことがあった。


 「その能力…筆記の情報の解析ということは、絵画のようなものでも?」

 「その通りよ。絵画やネガフィルム、アナログ媒体なら大抵のものは」

 「少々手荒になったが、G.F.Oで時山の身柄と作品は無事に確保された。フェルジ女史には早速協力を願いたい」


 ここまでが斯波の指図と判って海藤は少しだけ安堵した。


 時山爾子が「閉じられた眼Les yeux clos」の能力が発露した期間の作品を解析すれば、背後関係は全て洗える。それだけの物証があることは、海藤自身が彼女の工房アトリエで目撃している。


 残る間借人LODGERの接触者たちの能力、何より仄かに光る双子グリマー・ツインズの動向すら辿ることが可能になる。あの双子が電子的記録にも関連情報が存在しないとなれば当然アナログの世界、あるいは人間の記憶を直接辿らなければならない。これほどの適任者はいないだろう。


 「斯波局長、もちろんです。こちらこそG.F.Oと技術開発班の協力に感謝します」


 ナンシーの言葉に海藤は「こういう任務は現地即応班じゃないのか」と疑問に思ったが、ルシールは何かに気づいた様子だった。


 「斯波氏…まさか、この短期間で艤装完了を…!?」

 「オックスブラッド女史、あの映像の個体に備えて稼働まで急ぎました。私はせっかちなので」

 「そして、初陣にしては上出来…といったところでしょうか」

 「無論です。対人接触に関しては期待値を大きく超えております」


 一体何事かと思って質問しようとした海藤を察してか、彼の携帯端末にルシールがデータを転送してきた。厳秘扱いで読了後自動消滅、どうやら相当の情報のようだ。


 「こ、これは…!?」

 「貴方や現地即応班の支援用に開発を進めていた自律型人造人間アンドロイドよ」

 

 以前に接触した美堂敬介の一件、完全に能力を発露した身体構造変異ウンハイムリッヒの戦闘能力の高さと危険性から、この開発を進めていたらしい。


 表向きは民間用として「扶桑」に展開する欧州系企業への協力を取付け、一般エリアの開発設備で基本構造フレームワークの生産。そして肝心要の間借人LODGERに太閤装備と動作に関する機能類はすべてG.F.O本部内工廠で仕上げている。


 共有されたデータには実機の性能紹介として動画があった。四機が強化装甲の防護服とフェイスガードを装備して模擬戦闘を披露しているが、自律型ロボットとは次元の異なる動作の滑らかさと精密さには驚く。

 

 「すると、これが時山さんの身柄確保を…」

 「無論、死傷は一切ない。彼女の眼がこれを何かと認識する前に、全てを完了させている」


 斯波がやってのけたのは相手の利点を欠点に転じる一種の兵法だった。成程、見えてしまうことが却って恐怖になる。そして恐怖すれば自ずと動きが止まる。


 「ところで、この自律型人造人間アンドロイドにも何か呼び名があるんですか?」

 「攻防の二用途Double rollを主眼にした対間借人Anti-LODGER要撃機Interceptorというコンセプトの頭文字から、DALIと技術開発班は命名した」

 「DALIですか…」


 マン・レイにダリ、さながらシュルレアリスムの展覧会のような名前が揃ったものだ。それならば、DALIの頭部にはあの鯰髭をつけてはどうかと思った。


 



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