「蛇使いの女(La charmeuse de Serpents)」その3

  斯波禎一しばさだかずは、海藤が収容された病院へ向かう。


 自邸に伸びている専用プラットフォームには既に無人操縦車両が待機していたが、そこには思わぬ先客がいた。


 例の如く彼に擬態した相棒が、何かを言いたそうな表情で「にしし」と笑っている。今この時、自分の姿を見るのは精神が苛立つ、本人が絶対にしないその笑い方はさらに神経を刺激させる。長い付き合いだが、どうもこいつにはそういうところがある。


 「この状況、確かに自分で自分を殴ってやりたい気分だが… そういうお節介は無用だ」

 「そいつは失礼」

 「失礼はお前の常だ」

 「禎の字、まさかこのまま見舞いに行って… 謝って済まそうなんて思っちゃいないだろうな?」 

 「そのまさかだ。途中で、見舞いの土産にメロンでも買っていこうかと思ってな」

 「おいおいおいおい、俺は真剣な奴にふざけるのが好きだが、その逆が大っ嫌いなのは知ってるよな?」

 「勿論知っている。見たところ、お前の方が先に寄り道していたと思うがどうかな?」


 付き合いが長いと、おおむね考えそうなことがわかるものである。これには、もう一人の斯波が本人と同じように真面目な顔になる。


 海藤が襲撃されたと判った直後、斯波の相棒は彌生武子やよいたけこの行方を追跡していた。


 そこで小規模ながら異次元空間の展開を察知して偵察、特定までは自分の領分で訳なく終わったが、問題はここからだった。


 やはり小原尚美おはらなおみが罠を張り巡らせていた。異次元の多層防御の中に空白の異次元空間が機雷のように敷設してあるのがわかった。気づかずに飛び込んで、うっかり触れれば例の空間爆縮でそのままお陀仏だった。


 「どうやら、彌生君をお誘いするというのは、相当に難しかったようだな」

 「御名答、この前の黒木よりは簡単かと思ったが… それも含めて罠だな」

 

 斯波はこの仕組みを相棒が掌に広げた立体映像でもって理解した。異環境展開デペイズマンは、我々の能力と一部共通するところがあるが、これがただの下位互換でないことがわかる。連中は未熟な分、自分自身の力で進化させることが出来る。


 「海藤君の助命と光の男マン・レイの能力停止という交換条件…赤瀬川の次の手札はこんなところか、それとも…」

 「光る双子グリマー・ツインズが直々に出向いてくるってところだろうな」


 能力が停止し、昏睡状態となった海藤の潜在意識の中に侵入することは容易いだろう。連中側に引き込むか、十年前の決着のために彼を直接仕留めるか、いずれにせよG.F.Oの監視が届かない領域になる。


 自分たちにとって、希望の光ともいうべき「光のマン・レイ」がまさしく風前の灯になっている。光の男マン・レイが用いる生体ナノ・マシンはここにしか存在していない。ましてや人工的に生成・再生することもできないため、自然な再起動を待つ他は無かった。


 だが、もう一つ存在している場所があるのを斯波は知っている。そこは自分たちにしかアクセスできない領域だ。


 「記憶の固執を使うが… やれるか?」

 「言うと思ったぜ。前のダメージは八割五分、回復している。他の分岐タイムラインとの同期に問題はない」


 記憶の固執というのは、彼らが持つ能力の一つだ。


 歴史や文明を構成する分岐タイムラインの中には、多種多様な選択とその結末が存在しているが、これらのうち過去にも未来にもなり得ず「凍結」されたものが無数に存在している。


 彼らはそこに存在する様々なマテリアル、破片フラグメンツを自由自在に収集、再構築することが可能であった。彼らが何らかの外傷を負った際などは、この能力で超常的回復を実現できる。今は斯波の相棒が先の戦闘の傷を癒すべく、その真っ最中であった。


 これを利用して本流ここで活動を停止している光の男マン・レイに、他の分岐タイムラインから活動しているナノ・マシンを流入させることで自己再生周期のリセットと強制再起動を行うという段取りだ。


 「そうと決まれば、さっさとやってしまおう」

 「それは同意見だ」


 斯波とその相棒が懐中時計を取り出し、互いに竜頭リューズを引っ張ってやると、時計がぐにゃりと曲がって液体のようになり激しく発光した後、インクのように空間に染みこんでいった。


 「これで、光のマン・レイは、全てのものの王レイ・ディ・トゥットに通じる扉を開くことになるが…」

 「構わない。遅かれ早かれ、彼はその扉と向き合う。だが、それまでは生きていてもらわねば困る」

 「道理だ。俺たちの希望の光は、あの双子じゃない。光のマン・レイの他はない…」

 「頼みごとが続いてすまないが、海藤君が目覚めたら本当に見舞いへ行ってやってくれ」

 「ふふ、それは斯波学長の姿で?」

 「まさか。そういうときは、いつものお前の姿でいい」

 

 十代の心身が苦境にあって確かな救済となるものが一つある。そう、十代にあって最大の宝とは悪友と呼ぶべき存在なのだ。


 一方で海藤は、まるで嵐、雷雲の真っ只中に身を投じた心地だった。


 身体からだの内外を苦痛が嵐のように駆け巡っている。これに苦しむ声はとうに出なくなった。痛みと同じく、様々な言葉が夢と現実のコラージュのように駆け巡っていく。その言葉に応えるための声も、答えもすべては夢の中に消えていく。やがてこの嵐の晴れる先に死があるのかと想像したとき、真っ黒だった景色に再び光が戻って来るのだった。


 「おい起きろ!もう時間だ。遅刻するぞ…!」


 夢から覚める時、こんな声を久しぶりに聞いた。一体いつ以来だろう。来日して、この海上学園都市で生活を始めてからはすっかり聞いていない。思い出されるのは、米国むこうで両親と過ごしていた幼少期の記憶。そして、この聞き覚えのある声に自然と自分も反応していた。


 「と、父さん…?」

 「何だと? 俺だよ。大親友の河上義衛かわかみよしえだ」

 「え、ええ?」 


 聞き覚えのある声は父ではない。確かに名乗った通り、河上ではないか。あたりを見ると、案の定ではあるが普通病院に担ぎ込まれていたようだ。あの一連の騒動のあと、彼が病院に見舞ってくれたのだろうか。

 

 「あれだけ派手に転んで、無事だってのは不幸中の幸いの最善例みたいなもんだよ…」

 「なぁんだ。河上君、アレをどっかで見てたの?」

 「マァ何だ。ちょっと近くを通りかかったからな。しかし、丸一日眠ってたから、てっきり悪い方向ばっかり考えてたが…これで安心した」

 「丸一日…?」

 

 言われてみれば体が軽い。あれほどの高熱も激痛も、今は少しも身体に残っていない。そして、はっきりわかることは「光の男マン・レイ」の能力が回復していることだ。

 まさか、河上を目の前に使って見せたわけではないが、あのカフェで椅子から転げた時に付けた擦り傷がない。あの事件も、目の前の景色も夢ではない。自分の能力とともに、完全に回復しているではないか。


 「健の字、問診代わりに一つ聞きたいことがあるんだが…」

 「病み上がりなんだから手短に頼むよ?」

 「ああ、もちろん。彌生武子やよいたけことはいつそんな関係になった?」


 例の河上特有の、にししという笑い方がいつになく味わい深い表情になっている。見られていた。


 あの彌生武子との一連のやり取りを見られた。その上、完全な誤解を受けていると海藤は思った。傍目には確かにそう見えるが、そうではない。何と言っていいものかと、海藤も頭を掻くしかなかった。


 「いや、何て言うか… あれは不可抗力っていうか…」

 「またそんな漫画みたいなことを言っても、俺の目は誤魔化せないぞ?」

 「そっちだって、覗いてるなんて趣味が悪いんじゃないかな」

 「マァ何だ。夢のような現実の後に、とんでもない事になって気の毒だよ」

 「夢… そうだね…」


 悪夢という河上の一言に、はたと思い浮かぶものがあった。海藤はあの高熱と激痛の中で意識を朦朧とさせながらも、一つだけ確かなものがあった。


 そう、あの「仄かに光る双子グリマー・ツインズ」を確かに見た。いや、彼女たちと接触したのだ。

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