「蛇使いの女(La charmeuse de Serpents)」その3
自邸に伸びている専用プラットフォームには既に無人操縦車両が待機していたが、そこには思わぬ先客がいた。
例の如く彼に擬態した相棒が、何かを言いたそうな表情で「にしし」と笑っている。今この時、自分の姿を見るのは精神が苛立つ、本人が絶対にしないその笑い方はさらに神経を刺激させる。長い付き合いだが、どうもこいつにはそういうところがある。
「この状況、確かに自分で自分を殴ってやりたい気分だが… そういうお節介は無用だ」
「そいつは失礼」
「失礼はお前の常だ」
「禎の字、まさかこのまま見舞いに行って… 謝って済まそうなんて思っちゃいないだろうな?」
「そのまさかだ。途中で、見舞いの土産にメロンでも買っていこうかと思ってな」
「おいおいおいおい、俺は真剣な奴にふざけるのが好きだが、その逆が大っ嫌いなのは知ってるよな?」
「勿論知っている。見たところ、お前の方が先に寄り道していたと思うがどうかな?」
付き合いが長いと、おおむね考えそうなことがわかるものである。これには、もう一人の斯波が本人と同じように真面目な顔になる。
海藤が襲撃されたと判った直後、斯波の相棒は
そこで小規模ながら異次元空間の展開を察知して偵察、特定までは自分の領分で訳なく終わったが、問題はここからだった。
やはり
「どうやら、彌生君をお誘いするというのは、相当に難しかったようだな」
「御名答、この前の黒木よりは簡単かと思ったが… それも含めて罠だな」
斯波はこの仕組みを相棒が掌に広げた立体映像でもって理解した。
「海藤君の助命と
「
能力が停止し、昏睡状態となった海藤の潜在意識の中に侵入することは容易いだろう。連中側に引き込むか、十年前の決着のために彼を直接仕留めるか、いずれにせよG.F.Oの監視が届かない領域になる。
自分たちにとって、希望の光ともいうべき「光の
だが、もう一つ存在している場所があるのを斯波は知っている。そこは自分たちにしかアクセスできない領域だ。
「記憶の固執を使うが… やれるか?」
「言うと思ったぜ。前のダメージは八割五分、回復している。他の
記憶の固執というのは、彼らが持つ能力の一つだ。
歴史や文明を構成する
彼らはそこに存在する様々なマテリアル、
これを利用して
「そうと決まれば、さっさとやってしまおう」
「それは同意見だ」
斯波とその相棒が懐中時計を取り出し、互いに
「これで、光の
「構わない。遅かれ早かれ、彼はその扉と向き合う。だが、それまでは生きていてもらわねば困る」
「道理だ。俺たちの希望の光は、あの双子じゃない。光の
「頼みごとが続いてすまないが、海藤君が目覚めたら本当に見舞いへ行ってやってくれ」
「ふふ、それは斯波学長の姿で?」
「まさか。そういうときは、いつものお前の姿でいい」
十代の心身が苦境にあって確かな救済となるものが一つある。そう、十代にあって最大の宝とは悪友と呼ぶべき存在なのだ。
一方で海藤は、まるで嵐、雷雲の真っ只中に身を投じた心地だった。
「おい起きろ!もう時間だ。遅刻するぞ…!」
夢から覚める時、こんな声を久しぶりに聞いた。一体いつ以来だろう。来日して、この海上学園都市で生活を始めてからはすっかり聞いていない。思い出されるのは、
「と、父さん…?」
「何だと? 俺だよ。大親友の
「え、ええ?」
聞き覚えのある声は父ではない。確かに名乗った通り、河上ではないか。あたりを見ると、案の定ではあるが普通病院に担ぎ込まれていたようだ。あの一連の騒動のあと、彼が病院に見舞ってくれたのだろうか。
「あれだけ派手に転んで、無事だってのは不幸中の幸いの最善例みたいなもんだよ…」
「なぁんだ。河上君、アレをどっかで見てたの?」
「マァ何だ。ちょっと近くを通りかかったからな。しかし、丸一日眠ってたから、てっきり悪い方向ばっかり考えてたが…これで安心した」
「丸一日…?」
言われてみれば体が軽い。あれほどの高熱も激痛も、今は少しも身体に残っていない。そして、はっきりわかることは「
まさか、河上を目の前に使って見せたわけではないが、あのカフェで椅子から転げた時に付けた擦り傷がない。あの事件も、目の前の景色も夢ではない。自分の能力とともに、完全に回復しているではないか。
「健の字、問診代わりに一つ聞きたいことがあるんだが…」
「病み上がりなんだから手短に頼むよ?」
「ああ、もちろん。
例の河上特有の、にししという笑い方がいつになく味わい深い表情になっている。見られていた。
あの彌生武子との一連のやり取りを見られた。その上、完全な誤解を受けていると海藤は思った。傍目には確かにそう見えるが、そうではない。何と言っていいものかと、海藤も頭を掻くしかなかった。
「いや、何て言うか… あれは不可抗力っていうか…」
「またそんな漫画みたいなことを言っても、俺の目は誤魔化せないぞ?」
「そっちだって、覗いてるなんて趣味が悪いんじゃないかな」
「マァ何だ。夢のような現実の後に、とんでもない事になって気の毒だよ」
「夢… そうだね…」
悪夢という河上の一言に、はたと思い浮かぶものがあった。海藤はあの高熱と激痛の中で意識を朦朧とさせながらも、一つだけ確かなものがあった。
そう、あの「
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