第7話「蛇使いの女(La charmeuse de Serpents)」

「蛇使いの女(La charmeuse de Serpents)」その1

 青葉薫る五月の連休、勝手気ままの権化である河上義衛かわかみよしえは繁華街などをぶらぶらしていた。すると、この退屈凌ぎには十分すぎるほどの話題を見つけた。


 「おや? あれは健の字だが、あんなところで何を?」

 

 通りがかったカフェのオープンテラスに、彼の隣人にして親友の海藤健輝かいとうけんきが座っているではないか。何だかそわそわしているのだが、本人が美少年なことに自覚がないためか、そんな風にして腕時計を眺めるだけでも絵になる。


 察するに誰かを待っているようで河上は「もしや」と思ったが、その予感は的中した。待ち人は特進科の三年生、彌生武子やよいたけこだ。もともと美人として全学年の男子から注目を集めているが、私服とメイクということも手伝ってまるでどこぞのモデルか女優のように見える。


 「おいおいおいおい、随分とまあ手の早いこと、健の字がまさかの年上狙いとは…」


 こんな絶好の機会を目の当たりにしてただただ通り過ぎるのは損だと言わんばかりに、河上は悟られまいとこそこそとカフェに入店する。そしてく二人の席が見える場所を選んで座り、注文したエスプレッソを文字通り苦々しく啜りながらその様子を眺めていた。


 「全く俺の周りのと言ったら、蓮の字と爾の字くらいしか浮かばんが… まったく隅に置けない奴よ…」


 思い浮かぶ山岡蓮や時山爾子と、あの彌生武子は確かに違っている。別に二人が可愛くないとかそういうのではなく、彌生は二人より遥かに成熟した女性の落ち着きとを保っており、どこの誰が見ても美人と言える佇まいだった。


 「マァ何だ。いいじゃないの、親友の挑戦を見守るってのも一興…」 


 そしてやはり河上はいつものように、にししと笑いながら海藤の健闘を見届けようと思った。二人とも、何かを話しているがここまでは聞こえなかった。しかし、なんとなく空気が一瞬張り詰めたかと思ったら、急に彌生は海藤の頭を近づけると、彼の唇を奪った。あまりの衝撃に、河上は一瞬時間が止まったように思えた。


 「ちょっと待て!」


 心の叫びとともに、思わずエスプレッソを噴き出してしまい隣の客からドン引きされた。しかし随分とまあ大胆なことを人前でと河上は呆れてしまった。あの二人の隣にもカップルがいたが、余りの大胆さにそちらのほうが赤面してしまっている。


 そして彌生はというと、まったく周囲の視線も気にすることなく、海藤に一言「ごきげんよう」という仕草とともに、すたすたと歩いていった。

 

 「おいおいおいおい、待て待て待て待て」


 河上も流石に動揺を隠せなかったが、彌生に接吻された海藤はもっと酷かった。よほど刺激が強すぎたのか、顔を真っ赤にして椅子から転げ落ちている。まるで漫画のような光景に、河上は「色男め。ざまぁみろ」なんて若干下世話なことを思ったが様子が妙だった。海藤がいつまでたっても起き上がってこないので、不安になってきた。それは周囲の人間も同じようで、人だかりの声も大きくなり騒がしくなってきた。


 「まずいな。もしかして頭を打ったか?」

 

 河上が人だかりをかわしながら海藤の傍に寄り、声を掛けてみたが返事はなかった。やはり打ち所が悪かったのかもしれないと思っていると、救急隊がやってきた。そこで搬送時の付き添いの方をという隊員の声に、すかさず河上は「こいつの友達なんで」と同伴することにした。

 

 「まったく、一体何だってんだよ健の字…」

 

 トレッチャーに横たわる海藤を心配そうに除いてみると、どうやら、彼の顔の紅潮が明らかに緊張や恥じらいのそれではないことに河上は気付いた。明らかに、彼は発熱しているではないか。やはり車内の救急隊員も不自然すぎる高熱に気付き、不思議そうにしていた。ひとまず冷却等の応急処置をしつつ、救急隊員は海藤の携帯端末に記録されている学校用のからの情報も確認したが、やはりそういった類の情報は一切なかった。

  

 「彼から直接、持病やアレルギーだとか聞いたことありませんか?」

 「いや。普段の彼は名前に健がつく通り… 健康そのものですよ」

 


 その海藤は熱にうなされながら、彼女との遭遇の場面が脳裏に蘇っていた。


 あの過激な淑女が海藤に接触してきたことに不思議はなかった。彼女は間借人LODGERの接触者一覧にその名前がある。このため連絡手段も監視を避けるためにわざわざ手書きの手紙だ、それも香水を香らせるという思わせぶり、呼び出されて顔を合わせてみると、画像データで見るより遥かに美人なところにも圧倒されそうになる。


 外見のみならず、何かひらひらと舞う蝶のような会話の妙に精神的にも成熟していることが伺えた。そんな彼女の言葉で、はっきりと覚えている言葉がある。


 「毒って、どんな味がするのかしら?」

 「さぁ、試したことありませんから」

 

 この海藤の答えに彼女はほほ笑んで唇を奪った。それが最後に見えた景色、そこからは今のように高熱と歪んだ景色がちらちらと見えるばかりだった。


 「今まで、自分の能力で風邪だって引いたことがないのに…」


 光のマン・レイは超高性能のナノ・マシンの展開を能力としており、その本来の性能は能力者を保護することにある。故に、この能力を自動作用オートマティスムと呼ばれる体内器官のように扱える海藤にとって、並大抵の疾病は勿論だが毒物などの有害物質も短時間で無害化できる。


 それが追いつかないとなればこの毒は相当強烈なものだと言えるが、今は指一本動かせない。それどころか、ナノ・マシンによる自分の体内スキャンすら出来ない状態だった。だとすれば、生命維持にも関わることは明らかだ。この猛毒のようなものから身を護る術が、一切なくなってしまう。


 「これはちょっと、まずいな…」


 もし、彼女に再会することができたら「とんでもない味だった」と言い返したいところだなと思ったが、高熱と全身に広がって来た激痛に耐えかねて海藤の視界は再び暗転した。


 このまま起き上がれなければどうなるのか、そんな一言を最後に意識も段々と遠のいていくのだった。

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