「世の中の仕組み(Structure of the World)」その4

 その日、斯波禎一しばさだかずは自分しか居ないはずの学長室に妙な気配を感じ取った。


 そして突然、この部屋にあるはずのない黒電話のベルが鳴り始めた。やがて音は騎兵隊の進軍ラッパに変ったが、斯波の表情は一つも変らない。それどころか、これを怪異とも異変とも捉えずに淡々と仕事をこなしていた。


 目下、本土の教育機関との会合であるとか、講演のまとめなどを書き進めていく。すると今度は、机が視界から消えて壁面の書庫が揺れる。まるで二十世紀初頭に英国で確認されたポルターガイストを思わせる現象だったが、彼には驚愕も恐怖もなくため息だけだった。

 

 「おい、さっきから下らんことは止せ」

 「私とお前の仲だ。こんな挨拶も、たまにはいいだろ?」

 「今はそういう気分ではない」


 この一言で学長室の異変は沈静した。というよりも、もともと何も起きていなかった。今、彼の目の前にはこの怪奇現象の主が立っているのだが、それは紛れもない自分であった。もう一人の斯波禎一しばさだかずの登場に、本物の斯波は一向に驚く気配もなければ興味を持とうともしないためか、もう一人の斯波は頭を抱えてがっかりしている。

 

 「判った…一度だけ聞こう、その眼は何だ。その顔は何だ?」

 「ははは、光の男マン・レイの二番煎じは受けが悪いか」

 「あの時、覗きではなくさっきからのバカ騒ぎを見せてやれば…黒木環那くろきかんなの反応も良かっと思うが?」

 「待って、あれは不可抗力だ。盛り上がっていた所を通りかかったんだ…」


 こいつはそういう性分であることを斯波はよく知っているが、今回のばかりは笑って済ませられる範疇を超えている。互いに能力の全開放には至らなかったにせよ、あれだけの攻撃を仕掛けて敗走させるとは敵もさるもの引っ搔くものというやつだ。


 「覗きの代金は、だいぶ高くついたようだな?」

 「ああ、まったくその通りだ」

 

 もう一人の斯波が立っている場所に、今度は黒糸縅の当世具足に身を固めた武者がふんぞり返って胡坐をかいている。その胴には蹴り砕かれた穴があり、あの碧い閃光の雨を受けたせいか、全身が水玉模様のように穴だらけになっている。異空間の爆縮から脱出するのも難儀しただろう。


 「禎の字も、大将の赤瀬川はどうだった? もっとも、学長が生徒会長と密会なんて妙なことを書き立てられても困るぜ」

 「あの曹操孟徳に手を付けようなどと、微塵も思わんよ」

 「ふふふ、孟徳とは懐かしい名前じゃないか。赤瀬川が頭なら、小原と黒木はその両翼…劉備玄徳に従う美髯公と張飛というところだ」

 「それはいい例えだ。あの連中も居候先を悉く潰して、仕舞いには両翼を失ってしまった」

 

 大陸の英傑の末路を間借人LODGERと託けるとは、いかにも禎の字らしい言い回しだともう一人の斯波は思った。連中が仄かに光る双子グリマー・ツインズを支持し、光の男マン・レイを脅威として排除を試み続けるのであれば我々も相応の応酬で返礼するだけだ。


 「全てのものの王レイ・ディ・トゥットの到来まで、我々は光のマン・レイを支えねばならない」

 「禎の字、そいつは無論だ。マァ何だ。そんなら…そっちはそっちで生徒指導をしっかりと頼むぜ?」

 「それならお前は仮初にも学生だ。少しは真面目に登校したらどうだ?」

 「マァ何だ。そこは、制度とか規則に反抗するの十代の特権をフル悪用させてもらうよ」

 

 斯波が何処かで聞いた言葉におやと思っていると、来訪者は忽然と姿を消していた。まるで祭囃子、いつも来るときは騒がしいが去り際はいつも静かだ。


  「こうしてみると、爾子の新作として通用しそうなものがあるわね」

 

 件の赤瀬川はというと、時山爾子の能力「閉じられた目レズィユ・クロ」で残りの間借人LODGERの接触者の分析を依頼していた。


 自分たちに残された戦力はそう多くはない、最初の刺客となった「溶ける魚」のような未分化状態の不完全体である個体の特定、または「アンダルシアの犬」を撃退する契機となった光の男マン・レイの生体スキャンによって暴かれた弱点を同じくしているものを調査分析するのは、損失拡大の抑止から必要な事だった。


 しかし流石は芸術家、彼女の絵筆によって顕れた能力の数々はいずれも美しい。時間があれば、何れ自分の能力がどう見えるのかを描いて欲しいとも思っているのだが、それは何か気恥ずかしくて申し出ることが出来なかった。


 「あれ、これは誰?」

 「ああ、これ… ちょっと気になって描いたのが混ざってたかも… よく海藤君と一緒にいる河上って子」

 「河上? もしかして、遅刻常習犯の河上義衛かわかみよしえのこと?」

 

 生徒会長にまで幼馴染の悪癖が把握されていることに時山には「あちゃー」と頭を抱えてしまう。


 「前に見た時とは印象が違うから、ちょっと描いてみたんだけど…」

 「今と昔で違う…だからこんな構図なのね」


 その作品は左右に現在と過去の姿が対になっているが、筆遣いや構図は明らかに違っていた。


 過去の一枚は、まるで硯のような漆黒の四角形。そして現在の方はというと、その四角形の真ん中に雷鳴のような線が金泥で描かれており、四角形一面に大小の白い天がある。


 時山は観察対象の心象、内面に隠されたものも暴き出すのなら、この河上に何かしらの変化がこの直近であったのだろうか。ここで赤瀬川はあることが思い当たったが、その様子から察するに時山の方も思うところは一致しているようだった。

 

 「もしかして… 海藤君と河上が…だった…?」


 成程、心情あるいは肉体的な変化がそうした形で反映されたのではないかと、十代の乙女らしい飛躍する想像力が先走っていた。


 さらに女子同士の噂はデジタルデータの世界的拡散よりも早い。当然だが、あの日あの時、道場で繰り広げられた二人の景色は、今や全校生徒に広まっている。

 特に女子の間で広まってしまったのは、あの不思議なところのある海外からの転校生というところも大いに手伝っている。


 「まさか、台記のような世界がこの学校で…」

 「あの二人だと寧ろ、賤のおだまきっていう感じがするけど…」


 この一件の余波で、どうやら二人には似たような隠れた趣味があることがここで判った。ひょっとしたら、この間借人LODGERの一件ががなくとも彼女たちはどこかで繋がったかもしれない。

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