「世の中の仕組み(Structure of the World)」その3

 殺風景で真っ白な異次元に、色彩が微かに見える。


 それは乙女二人が、熱く激しく絡みあって紅潮した肌、そこに伝う汗の輝きだった。互いの温もりを求めたのは恐怖からの逃避、生を体感するための自然な行為であった。


 「失ったものを数えずに、残されたものを数えることだ」

 「尚美、もうちょっと何か良いこと言えないの。台無しよ」

 「ああごめん。でも、立て続けに2人もやられた上に、あんなこと聞いたからなぁ」


 赤瀬川が斯波から明かされた事実、なかなかに衝撃的な内容だった。自分たちに残されたもので何ができるか、何が遺っているのか。良いように言えば可能性というものがある、間借人LODGERの接触者は自分たちを除いてまだ四人いると考えれば、希望はまだ潰えてはいないはずだ。


 「なあ環那… 鈴寿の言うこと、信じられるかい?」

 「もちろん。何事にも上には上がいるもの。そんな大層な怪異なら、一度くらいはお目にかかりたいわね」

 「タイトルも階級も桁違いの相手かぁ…」

 「尚美、まさかおじけづいちゃった?」

 「ははは、まさか。何のために毎日毎日、強くなろうと努力してると思ってるのさ?」

 「それは、よく知ってる」


 黒木は小原の腹筋を指でそっと撫でた。柔らかな脂肪をうっすらと残し、その下に隆起する筋肉の感触がある。まるで大理石の彫刻、そのままじっとしていれば本当に美術品のようだ。そして近頃、小原がもともと短い髪をさらに短くし、中性的な顔立ちは貴公子を思わせる。そのせいか、周りに居る他の女子がうるさい。こればかりは彼女を嫉妬させる。


 「機会があるなら、学長にも一発くらいはお返ししたいところだね」

 「あら、とんだ不良ね。学長に一発… 停学どころか、退学になるわよ」

 「一回くらいなら泥まみれの人生も悪くはないって、誰かが言ってたよ。それに…」

 

 今度は小原の手が、つつと黒木の太ももあたりに伸びる。これに不快感はない、彼女の癖はよく知っている。まったく、こういう段取りを忘れないのが良いところだと黒木は思う。


 「それに、環那がいるならどこだって、どうなろうとも構わない」

 「そういうこと、そういうのを待ってたのよ…」


 再び二人は、互いの吐息がわかるほどに顔を近づけたが、そこで止めた。


 「ところで環那、気付いてる…?」

 「やれやれだわ… 何か余計なのが紛れ込んでいるようね」

 

 黒木は相変わらず優しい顔だが、全く怪しからん奴だと怒りがふつふつと湧いてきた。こんなに乙女の美しい誓いを、そしてそのその証をと言う大事なときに、まさか覗くような変態が異次元にも存在するとは大変許しがたい。


 「姿を現わせというのは、無粋なところかしら」

 「こいつは失礼。近くを通りかかったら見慣れた方が、美人と一緒に盛り上がってたんで… 。悪趣味というやつだな」


 聞き覚えのある声に小原は即座に別次元を展開すると、真っ白だった空間は普段の校舎を複製した景色に変化した。完全に臨戦態勢で、随分と気張っている様子の彼女をみかねて、黒木はすっと手をかざし彼女を制した。

 

 「御用向きは何かしら? 前は恋人が随分お世話になったみたいだけど」

 「全くその通り… アンタの趣味に合わせれば山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもん神野悪五郎じんのあくごろうみたいに、また勇気を試させてもらおうか」

 「さっきから口が達者なようだけど、そろそろお黙りなさい。今度は貴方が泣いて逃げることになるわよ?」


 彼女の言葉とともに蒼い閃光が走ると、そこに立っている影は黒木ではなく異形の影だった。


 身の丈は二メートル強、全身は青黒い金属光とも発光とも付かない輝きを放っており、その生物的な外装甲は当世具足の意匠を思わせる。また、その四肢の逞しさは生物というよりは機械的にも見える。掌の鉤爪は粟田口の短刀を並べたかの如く、頭部は蜘蛛のような眼球が二列並び、逆立った様な碧い鬣が金属的な光を放っている。


 「どうやらそっちは窮利易子クリエキス比衛子督ヒエストの姉妹か?」

 「あら、宮地水位なんていい趣味してるじゃない。でも私は、造物大女王や無底海大陰女王より怖いわよ?」

 

 

 彼女がそう言うや否やその巨躯を大きく捻り、強烈な右の拳打が繰り出された。人間の格闘技の動作なら余りに稚拙な「力任せにぶん殴る」というフォームだったが、それこそ間近で見ていた小原は別個に次元の壁を造って防御するべきような威力だった。


 この一撃は階層状で展開した異次元空間をぶち抜き、まるで窓ガラスを割ったように空間に亀裂が走り破片が中空を舞った。


 「久々に見るけど、ホントとんでもない戦闘力だよ…青騎士ブラウエライターは…」


 この青騎士ブラウエライターの攻撃力に関しては黒木の感情、特に怒りに比例するところがあるが、これは怒り心頭であることの証左だ。


 幾ら友人、恋人の姿とは言えその圧倒的強さに恐ろしくなる。超次元の索敵と捕捉、そこからの攻撃というのはあくまで基本攻撃でしかない。通常の次元では余りに威力が高すぎるため、その使用は奥の手としていた。


 自分たちの能力は「仄かに光る双子グリマー・ツインズ」が持つ能力を分散、個人に最適化して継承したものであり、互いが暴走したときには三すくみのようになっており抑止力にもなっている。


 だが小原は、今の彼女を異空間展開で封じられる自信はない。


 「さっさとそこから出てきなさい」


 空間に空いた穴から姿を現わしたのは、青騎士ブラウエライターの体格の倍はありそうな大百足だった。


 飛び出すや否や喉を狙ったようだが何の躊躇いもなく頭部を捉えると、青騎士ブラウエライターがその爪を太刀のように変形させて一息に引き裂いていった。ぼたぼたと垂れる体液の緑色が、青騎士の体躯をさらに妖しい光沢で彩った。


 「これで御終い? 怪異の大頭目を名乗るなら、もう少し粘りなさい」

 「そうだな… 昔から童子退治には、作法ってものがあったな」


 大百足がどんどん黒ずんで、積んだ瓦のように崩れ落ちるとその中からすっくと一人が立ち上がる。


 それは黒糸縅の当世具足に身を包んだ一人の武者に見えた。その真っ黒な外見に、ド派手な純金の鞘に収まった四尺はある大太刀が映えた。その表情は面当てをしているせいか見えないが、目玉だけがぎょろりとこちらを捉えている。どうやら、まだ戦うつもりらしい。


 非常に興味深いが、見とれている暇はない。すると武者はすかさず跳躍して背の大太刀を抜き払うや、彼女の脳天を狙った。


 「さっきから芸がないのよ!」


 今度は強烈な回し蹴りを見舞ってやると、鎧武者の胴を容易く粉砕して胴丸の破片がそこらに飛び散ったが具足の中身は空洞だった。よもや変わり身と思ったが、どうやらそうではない。飛び散った具足の破片全てが、武者に姿を変えている。そして、数はどんどんと増えてきているではないか。


 「さて、数を用いるのは卑怯とは言わないな?」

 「ええ、全然。いくらでもどうぞ」


 そういって青騎士ブラウエライターが腕を組んで仁王立ちになると、例の碧いたてがみが徐々に発光しだした。

 これに小原は「まずい」と思ってさらに自己防衛用の階層を厚くした。その次の瞬間、咆哮ともつかない大音量とともに、碧い閃光が雨の如く降り注いできて武者たちを悉く貫通破壊していく。


 「これはこれは、少々侮り過ぎたか…」


 しかし、相手もさるもので次から次へと武者の数は増え続け、只管にそれを青騎士は破壊し続けるのだが、この攻撃力を考えればこの異次元空間を破壊しかねない状態だった。傍らでオハラが、狙いがそれと判った。己の力が劣るのであれば、相手の力を最大限に発揮させて自滅させるのは兵法の常道だ。どうやら、自分と黒木を空間の消滅とともに始末するつもりだ。


 「環那、キリがない! ここは退くぞ!」

 「逃げるって何処へ!?」

 「こっちだ!」


 黒木は小原の声に変身を解いて、元の次元への脱出口に身を投じた。彼女はそこで、エマク・バキアが異空間収束の際に見せる現象が違うのに気づいた。普段であれば周囲の色彩を徐々に吸収していくのだが、今回は一気に白から真っ黒になって消えたことだ。同時に、あの武者たちも諸共に消失してしまったではないか。


 無事に撤退すると、小原の自室に戻って来たのが判った。互いに能力を使いすぎたせいか、あの異空間で肌を重ねていた時よりも息が上がっているのには笑ってしまった。本当に熱くなり過ぎていた。


 「ごめんなさい。ちょっと、熱くなり過ぎたわ…」

 「大丈夫、こうやって戻って来たんだから…」 

 「尚美… 何かいつもと違ったけど、一体何をしたの?」

 「あれは、空間を急速に圧縮して消滅させた。あいつが脱出できたか知らないけど… 多少なりダメージにはなったはずだよ」

 「助かったわ。それと、あられもない姿を見せてごめんなさい」

 「正直、あれはあれで好きだけどね…」


 小原がそう言うや否や、黒木をベッドに引き倒して唇を奪った。


 「ちょっと、尚美…!?」

 「まだ熱いままだから、いいでしょ?」


 再び肌を重ねる二人の気持ちは同じだった。自分たちの絆は何があろうとも断ち切れるものかと言わんばかりに、更に激しく交わるのだった。

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