「アンダルシアの犬(Un Chien Andalou)」その2
「
斯波から共有された情報にある通り、海藤は数日前に彼と遭遇していた。
しかし、自分が山岡につかまって河上について尋ねられていた時、遠巻きから「ああ、いつもの」という様子で見ていたくらいで、言葉を交わしたり直接的なコミュニケーションは無かった。珍しい苗字以上に印象的なのは彼のルックスだ。随分と中性的な容姿、いわゆる耽美系で色白、あの切れ長の眼は男子でもハッとする。
一応は風紀委員らしく、ちょっと気になる生徒がいると呼び止めるのだが、ここからが大変に問題がある。軽く相手の髪をかき上げて「ピアス、空けてない?」とか、唇のあたりを見て「ルージュ塗ってない?」などと尋ねて「違う」と答えると、微笑みを返す。どうやらこの一連の仕草、この距離に女子は参ってしまうようだった。
これは海藤を含め男子生徒側から言わせれば、風紀委員と言う割には随分と風紀を乱すような行為ではないかと思う。まったくけしからん奴と筆者も書いていて思う。
「本人の活動は早朝、能力の発動は深夜… ちょっと面白いかも」
更に気になるのは、深夜の学校に現れた理由だ。
人目につくなら、深夜より白昼堂々と出てきたら良いのではないか。そのほうが余程、注目を集めるし自分や斯波が関わっている案件を露見させる機会になるはずではないだろうか。そうなると、深夜にしか活動できないということは、能力の発動に必要な条件とみるのが正しいだろう。
「学校の付近に現れた例の生物は二頭。どっちかは、攪乱用のダミーかなぁ…」
ひょっとしたら、自分のように残像を展開できるという可能性もある。
それも、両者に特徴があるというのは、どちらが本体かを攪乱するためと見るのが正しいだろう。攻撃パターンは二頭の連携、野生の肉食獣の狩猟に似てくるかもしれない。下手をすると、こっちが狩られる側になるのは明白だった。
そんなことを考えながら、海藤は自身の能力「
遭遇のリスクは極めて高いが、自室で過ごしていて他の生徒に危害が及ぶことを懸念しての行動だった。それに、万が一の場合はG.F.Oの現地即応班の支援がものの数分で到着する。
深夜に学校をうろついていると「遅刻防止に深夜から登校したらどうか」と常習犯の
「来たな…?」
鳴き声は低く、まるでウッドベースのグリッサンドのようにブーンブーンと呻いている。明らかにこの世界の生物ではない。
そして尾行する足音ときたら、金属がアスファルトにぶつかるような音だった。成程、どうも見た目に違わずかなりの強度を持った肉体のようだ。打撃によるダメージはもちろん、或るいは銃弾も通さない堅牢さであることは容易に想像できる。
やはり、こういう怪獣じみたルックスは魅力的で、できることなら間近でじっくりと見ていたい気もするが、そんなことをしている暇はない。
人的被害を最小にするなら、最低でもこの敷地内で片づける必要があるなと気持ちは既に切り替わっていた。
「さて、どう戦うか…?」
深夜、怪物と対決するのはホラーやアクション映画の定番だが、いざ当事者となって向き合ってみると、本当に同じリアクションしか取れない。
ならば今の自分に出来ることは、息の続く限り逃げる以外の選択肢はなく、深夜の外周のランニングが始まった。深夜徘徊への懲罰だとしても、まったくこの時代にナンセンスなペナルティではないか。
「とんでもない猟犬だよ。まったく…」
ナノ・マシンの表面展開で光学迷彩を用いていたが、驚いたことにあの二頭はしっかりと追跡してくる。海藤の姿がはっきりと見えているのだ。
最初に遭遇した「溶ける魚」は原始的に視覚で目標を捕捉していたが、こちらはかなり進んだ追跡能力、嗅覚と聴覚が相当に発達している。まさに猟犬だといっていいだろう。
もっとも彼がこの恐るべき追跡者が「アンダルシアの犬」という別名を持っていることを知る由は無かったが、知れば大いに納得しただろう。
「しまった!」
暗がりを走りながら考え事をしていると、思わず足をとられて体勢が崩れる。この一瞬を狙われて、海藤の脇腹あたりに一頭が食らいついた。
しかし、そんなことをどこ吹く風で海藤はぴんぴんしている。それもそのはず。海藤と背丈が同じくらいの街路樹に、残像を投射したのだった。それも体表温度を自分と同じにしてある。見事に罠に引っ掛けてやった。街路樹に嚙みついている一頭に躓いて、もう一頭は派手に転んだ。
「でも、罠に引っかかるあたりは、そんなんでもないのかな」
だが、そんな余裕も直ぐに消え失せた。二頭の攻撃力と来たら、それどころじゃない。あの怪獣みたいな見た目はコケ脅しじゃないのがすぐにわかった。
さっき自分の残像を被せた街路樹の幹は、セロリでも齧ったみたいに歯形がついてちぎれかかっている。
あの咬筋力と牙は、自分のナノ・マシンを体表に凝縮硬化展開して防げるレベルではない。大きな口に咥えられているのは抉られた幹。その大きな口は益々大きく見え「次は外さない」と笑っているようで不気味だった。
さらにスッ転んだもう一頭は、あの体表の金属製の鱗でアスファルトを容易く削っているではないか。地面に激突する衝撃を緩和するために、あの鱗に振動を加えて鑢のように使ったのだろう。
あんなのでじゃれつかれたら、自分なんか大根みたいに摺り下ろされてしまうのは確実だったが、時すでに遅し。二頭は海藤の頭上に飛び掛かって来た。
ここはシンプルに、あの鱗で摺り下ろしてやろうと考えたのだろうか。この距離ならば、如何なる迷彩を用いても逃れることは困難。どちらに飛び退いても、仕留められる。
「やっぱり、犬っぽいところがあるな… 咥えたものは
一頭の口にはまだ齧り取った木片があり、そこからナノ・マシンを体内に侵入させて
バタバタともがいたあと、二頭とも大人しくなった。
「さて、犬の飼い主と御対面かな」
これで本体が御堂敬介と確認できれば制圧完了だったが今回はそうスムーズに終わりそうもなかった。二体とも、元の姿に戻っている。しかし、どちらも御堂敬介ではなく、名前も知らない女生徒が倒れているではないか。
「あれ…? どういうことなの?」
海藤が二人に手をかざして、ナノ・マシンで身体スキャンを行ったところ先ほどの攻撃がダメージになっていないことが判った。そしてもう一つは、あれだけ走り回っておきながら、本体は熟睡しているのだ。声を掛けても、起きる気配はない。もっとも、ここで起こしては別の問題になりかねないので止めた。
「さっきも言った気がするけど、どういうことなの…?」
事態が益々わからなくなる。なんと、あの奇妙な生物のうめき声は一向に止まず、足音も聞こえるではないか。それどころか、どんどん音源が増えて海藤を包囲していることに気付いた。
さんざん逃げ回った体力消耗と、戦闘と防御のためにナノ・マシンもフル活用、特に生体ハッキングはかなりの消耗になる。この状態で、これだけの数を相手にして勝てるかと言えば難しいというのが正直なところだ。
どうやら相手は、この時が来るのをずっと待っていたのだ。自分の手の内は、全部見透かされている。
「ホントにとんでもない猟犬だよ。狩りの方法をちゃんと判ってる…」
囲んでいる個体を数えると、ざっと猟犬は十三匹、まさに十三人の刺客が自分を取り囲んでいた。
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