第5話「アンダルシアの犬(Un Chien Andalou)」

「アンダルシアの犬(Un Chien Andalou)」その1

 深夜、妙な生き物が徘徊している。


 こんな話が出て来たのは、五月の連休も前の頃だ。突拍子もない言い方だが、それ以外の表現方法がなかった。


 かつて海上学園都市「扶桑」では「遺伝子操作で生まれた危険な生物を飼育・実験をしている」などという、旧世紀の遺物のような噂が広まったこともあった。


 理由としては、各国から様々な研究機関を招聘し、なおかつ非公開ということから想像力はどんどん膨らんでしまった。そして、極めつけは四足歩行ロボットの屋外歩行支援を「それ」と誤認した訪問者がSNSを介して「証拠」を共有した。


 この手の話題は昔からSNSでは好まれるが、自らの想像力を「世の中の真実」とする変わった人々の他は真に受けることはなかった。このように、人間は見たいものしか見ない。秘匿されるものは人間の想像力を逞しくするのは永久不滅の法則なのだ。こんな前例が証明するように、大抵はそこに確固たる証拠や根拠はなく誤認か捏造、端的に言えば存在しないのだが今回は違った。


 目撃者が複数確認されている上に、撮影した位置情報や端末情報の異なる映像が流通しており、データの複製や組織立った誤情報の拡散や悪戯に片づけることができなかった。


 妙な生き物の外見は、それこそ妙の他に表現がない。


 大型犬くらいの体躯で四足歩行、その四肢はまるでワイヤーを巻きつけて出来たようになっており、胴体には毛ではなくウロコタマフネガイのように金属の鱗で覆われている。

 更に細長い頭部には眼のようなものが確認されず、にやりと笑ったように口が耳元まで裂けるように大きい。無理やりに、これを何かの誤認だというなら、そのカラーリングで似ている動物は三毛猫といったところだ。


 この怪獣と宇宙人を山と言うほど産み出した日本という国にあって、永遠に幼児性を捨てることのない男子を熱くさせてしまうのだった。学校の近くでも、二体がうろついていた動画は極め付きの一手だった。


 生徒たちに鮮烈な衝撃を与えており、一種の熱狂を産んでいる。日本本土の学校ではかつて、独自の怪談などの一種の土着信仰が流行った時期がある。こうした古い文化も一周すれば最新に見えるようで、ましてや過去の文化を持たない東京新区統合校では尚更だった。これには、男女の隔てなく様々な憶測が飛び交うことになった。


 無論、海藤の隣人にして悪友の河上義衛かわかみよしえも、この話題に乗り気というか深夜に遭遇したら「捕獲する」と大張り切りしているほどだった。


 「健の字はアレ、何だと思う?」


 ここでまさか「間違いなく間借人LODGER、それも身体構造変異ウンハイムリッヒ」とは言えなかった。


 海藤もまたこの熱狂の中にあったが、関心は全く違うところにあった。身体構造を変異させる個体の現物を見るのは初めてだった。前の「溶ける魚」は水ということでまだ理解できたが、今回は余りにも異形過ぎる。

 

 「怪獣、怪人は日本の専売特許だけど…」


 自分の能力であるナノ・マシンを体内に侵入させて制御する方法も、果たして通用するのかと懸念材料は尽きない。「光の男マン・レイ」と呼ばれているが、まさか怪獣を退治することになるのだろうか、それは大昔から「光の国の使者」がやるべきことだろうと考えていた。


 「そうだなぁ… 仮にスーツアクトだとしたら重心移動が人間のそれと一致しないし、似てるとしたらラクダだけど、あんな小さい個体はいないよ」

 「それならAIが生成した画像を立体映像ホログラムにした古典的なやつか?」

 「それはどうかな? AIの動作予測は生き物の痛点の概念がないからもっと不気味になるし、映像で見る限りじゃ立体映像ホログラム特有の表示遅延もない…本当に何だろうね?」

 「おい、健の字… やけに詳しいが、お前の仕業ってことはないよな?」

 「えっ、やめてよ。ちょっとそういうの知ってるだけ…」

 「正直に言えよ。あれだけの作品が創れるなら、俺が支援者パトロンになる」

 「支援者パトロンって… 一体、何するの?」

 「この騒動で一山当てるに決まってるだろ! これだけの作品なら、爾の字も真っ青だ!」

 「多分あんなのを作品と言い張ったら、呆れられると思う」


 河上は最後の一言もどこ吹く風で、いつものように「にしし」と笑いながら手で円のサインを作っていた。まったくもって、そういうことには抜け目がない。

 それ以上に気になったのは、彼が最後に言った爾の字こと時山爾子のことだ。あの遅刻の件もその後、何ともなく終わってしまい、接触者でありながら特に目立った兆候はないとはいうものの、気がかりだった。


 そして、ひょっとしてこの妙な生物も何か彼女が関わっているのではないかと、そんないやな予感もしてきた。まさか、あの生物の創造主ということはあるまいかと。


 「えっ、アレって犬なの?」


 生徒会長の赤瀬川鈴寿あかせがわすずと広報の小原尚美おはらなおみは、時山爾子ときやまにこが例の妙な生き物を「アンダルシアの犬」と命名したのにはてなと首を傾げた。二人としては模様から猫ではないかと思っていたらしいが、何とも情けない感性だと黒木環那くろきかんなは呆れていた。


 「本物の芸術家アーティストを前にして、そういう発言はどうかしら?」

 「あー、ごめんね。ウチらは、いっつもこんな感じだから…」

 

 黒木の御小言もどこ吹く風で赤瀬川は笑っている。


 彼女は三人のうちで一番小柄で背丈は自分と同じくらいだが、時山の眼には大きなエネルギーの流れのようなものが見える。それは小原や黒木が持っている力とは、比較にならないものであるというのが判る。最も近い例でいえば、夢に現れたあの双子のそれであった。


 「今更だけど、に巻き込んでしまってゴメンね」

 「あっ、それは良いんです。あの夢が、嘘じゃないってわかったから、この能力で三人みたいに何か出来ればって…」

 「へぇー案外、芸術家ってのも根性があるんだな」

 

 時山の万物を見透かす眼はともかくとして、その「芸術家」という性質を少し軽んじていた「格闘家」の小原にとっては意外だったようだ。

 そういう風に、人をからかうようなところがあるのを環那はよく知っているが、今はそういうところを見たくないと思った。


 「尚美、そんな言い方しないの」

 「わかってるよ… それならコレ、鞄のどっかにでも入れておいて」

 

 小原が時山にぽいっと投げてよこしたのは、黒木が見せてくれた例の半透明の不思議なオブジェだった。


 「万が一の時、こいつにエマク・バキアって言えば音声認証で作動する」

 「エマク・バキアひとりにしてくれ…?」

 「そう。私の能力は異空間展開だ。そこなら、いつでも私が駆け付ける」

 「あ、ありがとうございます」


 時山は三人と行動を共にすると、不思議な感情が湧いてくる。それは、何か言い知れない巨大なものに挑む気持ち、叛逆という一種の創造への加担だった。

 なるほど、見えないものに挑んで、破壊するという意味でこの三人は自分と同じ芸術家だ。だからこそ、居心地がいいのかもしれない。

 

 「でも、あの双子の夢は私も驚いたよ。でも、環那と尚美も同じのを見たって言うから」

 「そうね。なんて、初めてだったもの…」

 「ちょ…ちょっと環那!」

 「え、えええっと、それは…?」

 「あっ!爾子ちゃんはその辺、全く気にしなくていいから!」


 何事か揉めだした二人を宥めつつ、赤瀬川もあたふたしていた。この様子から、どうやら自分の能力では見通してはならないものがあると時山は察した。


「どうやら連中も戦略を練ってきたようだ」


 この未確認生物UMA騒動は当然だが斯波とG.F.Oも把握しており、例の如く青島文香を班長とする監視班によって対応が続けられていた。


 これまでは行動を秘匿しつつ、光の男マン・レイへの接触を試みたようだが、その真逆だ。自分たち存在とその能力を秘匿するのではなく、積極的な開示を始めているように見える。この日本本土から隔離された海上学園都市、人々が向ける好奇の眼は未だに健在、これを引き付けるには十分すぎるトピックであるし今回は過去のように「虚偽」ではない。


 「大衆の好奇心を利用するとはな…」


 現にこの海上学園都市「扶桑」のみならず、テレビや動画配信でも広く取り上げられている。今度は、自分たちが姿を隠すのが難しくなる。学園都市の内外に敵を作るとは、潜伏している連中はさらに連携を強化していると斯波は思った。


 「生徒会の三役が騒動の黒幕とは… まるで漫画だ」


 現に、その先兵として広報の小原尚美が光の男マン・レイと先に接触、このデータを基に異空間を操作する異環境展開デペイズマンとして認定された。

 残る二人が仄かに光る双子グリマー・ツインズとの接触者か同等の能力を有しているというのが妥当な線だろう。

 生徒会の自治を侵害するようで学長や指導者としては気が引けるがどうやら特別指導が必要だ。あの双子に何を吹き込まれたか知らないが、彼女達がやっていることは行き過ぎた自警団的な行為に他ならない。


 「青島君、監視対象で、例の生物が確認された時間帯に動きのあったものはないか辿ってくれ」

 「承知しました。ところで、例の拡散されている動画は、どうしますか?」

 「アレはL.O.Wのメンバーに対応依頼だ。これで暫くは、女史には頭が上がらなくなるな…」

 「オックスブラッド女史には、超勤手当でも付けないと後から怖そうですね…」


 情報通信網と電子計算機に関しては、ルシール・オックスブラッドの能力が大いに活躍するところであるが、これに釘付けにさせるのも連中の狙いであることは明確だった。


 超高速の電子情報の改ざんと削除、いくら彼女の能力とは言え時間がかかる。どうやら連中は既に、こちらの体制を理解している。彼女の存在も認識しているとすれば、思い当たるのは一人しかいない。


 「そうだな。たった今、協力の代わりに在日米軍が生体サンプルを欲しがっているから、可能であれば提出するように女史から要望があった」

 「あっ…何というか、流石ですね… それと対象者が割れました。美堂敬介、普通科二年の男子です。光の男マン・レイとの接触は、この期間で一度。それも、朝の登校時間のほんの数十秒です」


 なるほど、その短時間ならば朝の「風紀取り締まり」の時にすれ違った程度かと斯波は思ったが、この標的を目視するには十分すぎる時間だった。即座に、海藤宛てに必要な情報共有を指示した。


 次の目撃例は、間違いなく彼と対象が接触している光景になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る