「春の初日(The First Days of Spring)」その5

 「まだ何かが足りない… 何かが」


 印刷物や電子データでは感じ取れない、生物そのものが持っているものを見ようと、そう思っていた。そして叶うならば黒木のあれをもう一度直接、もっと長く見ることができればと思っていると、その機会は突如として訪れた。


 標本室を出て、また資料をと図書室の中をうろうろしていると、黒木環那(くろきかんな)が本棚を眺めているところに出くわした。すると彼女は時山に気付いたらしく声を掛けてきた。


 「あら、時山さん。こんなところで」

 「あっ、黒木さん…」


 何だかこの前の突拍子もない声の掛け方を思い出して恥ずかしくなるのと、自分がやや変態的に彼女のことに固執していることが見透かされているような気がしてたじろいでしまった。黒木の鳶色の瞳は、相変わらず澄んでいて綺麗だった。眺めている本棚に収まっているのは世界や日本の民間伝承、いわゆる怪異や妖怪に関する古典などを収めた棚だ。意外な趣味だと思いつつ、自分もそうしたものはあながち嫌いではないと思っていると、黒木が一つ質問を投げかけた。

 

 「この棚にあるような世界が… 例えば見えないものが見えたらどう思う?」

 「えっ?」

 「見えないけれど存在しているものって、あるでしょう? それに、貴女の作っている作品だって、そうだと思うけれど」


 黒木のいう通りだ。自分の作品は本来、自分以外には見えない。だから心の中にとらえたものをあるときは絵画として、あるときは彫像(オブジェ)として発露させている。自分にとっての創作とは、そういった行為だ。やはり、自分が彼女に見たものは間違いではなかったことが今わかった。原理はわからないが、彼女にはもう一つの姿があるのだ。


 「最近、私のように、別のものが見えた子はいる?」

 「あっ、ええ…二人」

 「一人はあの転校生の男子、もう一人は小さいオブジェみたいなものが…」

 「それは、これかしら?」


 黒木の掌に乗っている半透明の立体物は、間違いなく生徒会広報の小原尚美おはらなおみに見えた謎の物体だった。エマク・バキアの遠隔操作によって、黒木と時山は別次元に隔離されたが、周囲の人間には元の次元の景色が表示されるだけで、二人が消失したようには見えなかった。無論、時山も何が起きたかには気付いていない。


 「貴女、もしかして二か月くらい前に双子の夢を見なかった?」

 「えっ? どうしてそれを…?」


 二か月前に見た双子の夢以来、時山は自分の創作に関するインプットとアプトプットが劇的に向上したのを実感している。今の自分なら、流れる音楽でさえ絵画や彫像に変換することもできるという自負があった。


 「それは私も同じなのよ。そして、あの夢を見てから…貴女の見たものが現れたの」

 「それは一体…?」

 「力を与えられたというのが正しいわね」

 「力を与えられた… じゃあ、これはやっぱり、」

 「その通りよ。貴女の場合、自分の創造性と区別が付けづらいところではあるけれど、常人が認知しえないものが認知できる能力を授かったのよ。でなければ、私の姿を見て不思議に思ったりしない…」


 黒木の「力を授けた」という言葉は、あの夢の中で双子が言ったことと同じだった。夢の世界ではなく、現実の出来事だったのだ。そして、自分が転校生の海藤健輝かいとうけんきに見た「光の男」ともいうべきヴィジョンもまた、現実の姿だったのだ。


 「ところで、あれは貴女にはどう映ったかしら?」

 「えっ… すごく、きれいだった…美しかった…本当に」


 黒木の問いかけに邪気は無かった。そして、時山もまた無邪気に返したのだが、この場合はそれ以外の言葉が自分の中にないためだった。

 だが、どうしてもあの姿を形にしようと二日間も夜を徹して遅刻をしたというのは、やはり黙っておこうと思った。


 「あら、ありがとう。不気味なものウンハイムリッヒなんて言われてるものが、きれいだなんて流石は芸術家ね。いつかは、直接披露することになると思うわ」

 

 黒木は嬉しくなったものの、自らの能力を披露するとすれば「光のマン・レイ」と直接衝突するときになるだろう。時山の「創造」とは真逆の「破壊と暴力」を司るこの能力、その姿を彼女が美しいと思うかは、その時を待つ他はないと思っていた。


 「あれは、何て言う名前なの?」

 「名前…そうね。私は特に決めていないけれど、仲間内では青騎士ブラウエライターと呼んでるわ」


 時山にとっては、別の意味で馴染みのある名前だったが、あの青黒い金属のような表面と、騎士の甲冑に見立てたというなら、少し安直であるが確かにそうだと共感できる。


 「はどうする?」

 

 初めて黒木から名前で呼ばれたことに時山は戸惑ったが、この能力については一つの名前が浮かんでいた。 


 「何だろう… 閉じられたレズィユ・クロにしようかな」

 「うふふ、面白い名前を付けるわね」

 「あらゆるもが見えても、見えないものがきっとあると思って…」


 時山の認知能力であれば全てを見透かすことが可能でありながら、その眼を閉じる。見えないものがまだあるというのは、中々面白いセンスだと黒木は思った。


 「貴女にはこれから力を貸してもらうわ。お互いに仲良くしましょう」

 

 そう言い終わるや否や、その証にと黒木は時山の両頬に接吻するのだった。当然、余りに突然の出来事に時山は真っ赤になったが、隔離された異次元空間で誰の人目にも付かない。


 ただ一人、この空間を自在に操作できる小原尚美が、黒木の堂々たる浮気を「ふん!」と苦々しく眺めていた。

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