「春の初日(The First Days of Spring)」その3
生徒会の会長と広報が相談となれば、生徒会役員室あたりが相場だが、
「仕掛けは見えないけれど…前とは何か雰囲気が違うわね」
「さすが鈴寿、察しが良いね。異次元の展開方法を階層式、縦深防御に切り替えてみたんだ」
以前に
この脆弱性を突かれて、彼は奪還されてしまった。今回は前と違って、各階層が独立展開するから瞬断は起きない。理屈だと、前みたいに第三者の侵入や攻撃を別の層へ分散、現在位置の偽装も可能となる。
「ただし、複雑になった分は前より、疲れるかな…」
この短期間でのこの成長ぶりに、赤瀬川は驚く他はない。空間操作ということで、攻撃力こそないものの応用性は間違いなく「光の
「尚美のそういうところ、ホントに憧れるわね」
「人間、敗けた時の方が道を広げるってところかな。これは格闘技も一緒だけど」
これには赤瀬川も納得する。確かに彼女が嗜むその道には、そういうところがある。敗北には必ず原因が存在するのだ。これを活かさずにいる彼女ではないと、昔からよく知っている。
「ところで前から気になってたんだけど、空間を操作するってどんな感覚なの?」
「なんかこう、半透明のおもちゃのブロックみたいなのを弄る感じかなぁ…それを具現化するとコレができあがる」
小原が掌を開くと、小さくなった例の半透明の物体が浮かび上がってくる。これを見た赤瀬川は「うふふ」と笑いながら尋ねた。
「尚美の作品は、彼女の眼にはどう見えるかしら?」
「彼女? ああ、時山は芸術家だからなぁ。なんだか、私のセンスを問われるようで気が引けるね」
「あの子、自分の能力とセンスの区別がついていないけど、こちら側に引き込まないと…」
彼女こと時山爾子が発動させつつある透視能力はどうしても必要だった。
「念のために聞くけど、もう引き返せないところまで来ている。鈴寿、それでもやるの?」
「それはあの夢に示された通りよ。貴女も、環那も見た
「そう、この結末を決めるのはあの男ではない。少なくとも、
「尚美もたまには、らしくないことを言うのね」
「大昔の歌にあったんだよ。生きることに全力を尽くす、自分が正しいことに誰からの赦しもいらないって」
「誰の歌?」
「誰だったかなぁ…」
赤瀬川は、彼女のそうした飄々としたところが昔から好きだった。あの双子の夢、斯波や海藤たちが「仄かに光る双子(グリマー・ツインズ)」と呼ぶ存在に自分たちが見出された時でさえ、こんな様子だったのを思い出す。
「環那が彼女と接触して、連中が動き出すかも…」
「いや、環那の能力なら彼女の前を横切るだけで十分、必ず芸術家の心に刺さるはずよ」
この程度の接触であれば、連中がいかに監視していようとも学校の日常風景。あるいは健全な乙女の交流にしか映らない。いつの時代でも、学校生活というものは表向きの平穏であれば、大人は騙されてしまうものだ。時山爾子は自室で、もう一度同じテーマで作品を描いていた。少し前に、作品の搬入を手伝ってもらった海藤と河上への御礼にと書いた肖像画に、少し不満があったのだ。河上のほうは、会心の出来であったと思うが、どうも海藤のほうの出来栄えに納得がいかなかった。
「やっぱり、あの時に見たのとは違うなあ」
あの不思議な光をどうやっても絵筆で表現できない。苦し紛れに金泥を用いたが、金の輝きより遥かに柔らかく、温かみがある。さながら、海藤そのものが創り出したような光、生命の輝きともいうべきあの光をどうしても再現できない。
「ここまで見えるようになって、まさか自分の実力が追いつかないなんて、悔しいなぁ…」
アナログの画法で駄目ならばデジタルでもと試したが、やはり遠く及ばない。まるで人工照明のように見える。今、心の中にしか存在しないあの光をどうにかして取り出したい。こうなると、熱が入ってしまい徹夜してしまうのが表現者の悲しい性質(さが)。案の定、翌日はまさかの遅刻常連者、河上義衛(かわかみよしえ)と同じ時間帯の登校になってしまった。
「朝からツイてなかったなぁ」
そんな風に一人ぼやきながら午前中の授業を過ごしたが、やはり頭の中には「どうにかして」という気持ちが湧き上がってくる。昼休みも、そんな感じでぼんやりと廊下を歩いていると、生徒会副会長の黒木環那とすれ違った。彼女はいつも凛とした雰囲気を漂わせていながら、鳶色の瞳は優しい眼差しをしており、男女ともに癒しの存在でもあった。
しかし、時山はすれ違った時に違和感があった。何か今日の彼女は違う。見た目はいつもと違わない、けれど全く違うものが見える。
「黒木さん?」
時山が思わず声を出してしまったせいか、黒木が振り向いた。振り返る様子も、いちいち美しいのだがやはり何かが違う。
「どうかしたの?」
「あ…うん、何でもないです…」
「あはは、何でもないか。それじゃね」
黒木はほほ笑んで返すと、そのまま行ってしまった。しかし、時山はしばらく彼女の背中を眺めていた。それからの一日は、時山の頭の中には光の男は存在しなかった。代わりに黒木の中に見えたものが一杯に広がっている。午後の授業は完全に上の空となり、放課後に寮の自室に戻るや否や、片っ端から怪異異形に纏わる参考資料を開き、学校が管理する美術関連の電子アーカイブへアクセスしていた。
「あれは、一体何…」
第三者が著した文章によってその存在を「何か」に定義しようと試みた。それも適わないと判ると、やはり彼女は絵筆を取った。造形用の粘土をこねた。自分の絵筆でも、造形でも及ばないあの存在を、一体どう表現すればいいというのか。
「美しい」
わかっていることは、たったこれだけ。この言葉とは何と窮屈なものだろうか。あの存在を表現する言葉が他に存在していない。彼女の心に映った異形は恐怖ではなく、その圧倒的な美で以って存在しているのだった。
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