「春の初日(The First Days of Spring)」その2

 悩みが尽きない十代とはいえ、間借人LODGERの接触者が身近に感じられるとそれは一時間おきに増えていくような心地がする。時山爾子が描いた自分の姿は、明らかに意味を持っている。まるで自分が「光のマン・レイ」を知っていると思わせるような表現だった。


 「ひょっとして、彼女はまだ自覚がないのかな?」


 思い出せば、自分もそうであった。間借人LODGERの能力のうち「自動作用オートマティスム」に分類されるものは、能力が身体機関の一部としてごく自然に動作するため、その発露に気付かない場合がある。海藤もその例にもれず、幼少期に異常なまでに傷病の治癒が速いことからその兆候を掴んだことが、外次元の生命体との接触によるものだと判明する糸口になっている。

 

 「彼女の能力は自動作用オートマティスムそれも、突出した認知能力… その能力に無自覚ということも、十分にあり得ることだな」


 専用回線から斯波禎一しばさだかずに今回の件を共有したが、彼は概ね海藤の見立てを支持していた。現に監視班のメンバーも、何れの観測装置も突出した異常値を観測していない。


 そのことを考えれば極めて初期の兆候であり、可能であれば彼女の能力も最初に襲撃された「溶ける魚」の一件のように無害化する機会も十分に期待できる。


 「はい。半分は自分の想像、楽観的な憶測ですけれど…」 

 「いや、君の直観力は鋭い。L.O.Wのメンバーにも共有… その必要はなさそうだ」


 どうやら、海藤と斯波の通信はルシール・オックスブラッドには筒抜けだったようで「情報共有感謝いたします」というメッセージが表示されていた。前回の異環境展開デペイズマンの特別対応が完了し、何かと制限の多い契約故に姿こそ現さなかったが、相変わらずの仕事の速さだと二人は思った。

 

 「接触するなというのは、この学園都市では難しい。特別警戒対象として監視する」

 「ありがとうございます。こちらからの刺激は。極力回避します」


 これで悩みは一つ解決したが、もう一つ残っている。それは、自分自身が間借人LODGERの接触者と格闘した時に必要な技術を身に着けたいというところだ。

 

 自分の能力であるナノ・マシンによる攻撃は余りに威力が高すぎる場合もあり、回復困難の後遺症を残しかねない。本当に奥の手、できれば使うことを回避したい一手であった。それに、あの小原尚美のように本人が極めて強力と言う場合もある。


 「でも或る意味では、彼女も師匠マスターとは言えなくもないな…」 


 一応、オンラインでのプラクティスも存在しているが、こういった技術は相手が実際にあってこそ掴めるものがある。それはやはり、彼女との接触で学んだことだ。


 そこで海藤には一つ考えがあった。この学校では武道を含めた個人競技が盛んであるということで、何かその道の師匠マスターを探しに行こうと思い立ったのだ。放課後の活動については、完全に個人管理なので様子を見ておこうと武道場へ足を運ぶことにした。


 習得の効率さでいえば、武道よりも現代格闘技の方が遥かに効率的であるのだが、習熟度を分析されないために別の一手が欲しい。


 「こういう時って、とか言うんだっけ?」


 そんなことを考えつつ、武道場の扉を開いてみると、今日は稽古中の生徒がいないのか静かだった。その代わりに、何故か人の寝息のようなものが聞こえるのを海藤は不思議に思って辺りを見回した。


 「あれ?」


 道場の中を見回すと見覚えがある生徒がいた。いや、見覚えがありすぎる。あれは河上義衛かわかみよしえではないか。向こうも、物音でこちらに気付いたのかむくりと起き上がった。


 「何だ健の字、珍しくこんなところに寄って」

 「河上君こそ、ここで何しているの」

 「五限目辺りから自主休講して、ここで寝てた」

 「いやいや、そうじゃなくって…」

 「ああ、一応俺も放課後の活動なんてのがあってね。武道場ここに来て、こいつを振ったりするんだよ」

 

 河上がずいと海藤に差し出したのは黒い竹刀袋だった。しかし、その紐を解くと中から姿を現したのは所謂二尺三寸、紛れもない刀だった。流石のこれには海藤も驚いた。


 「大丈夫、鍛錬用の刀身で刃はついてないよ」


 大丈夫と河上はいうものの、日本刀など資料や映像作品でしか見たことがない。いくら安全だと言われても、何か不思議な迫力に気圧されてしまう。


 「河上君、剣道かなにかやってるんだっけ?」

 「うーむ。ちょっと違うな。何と言えばいいかな…マァ何だ。ってやつかな。今日はそのうち、居合の型でもと思ってね」

 「居合…? 何だか時代劇でしか聞いたことないけど、それって役に立つの?」

 「ははは、随分な質問だな。それなら一つ試してみるかい?」

 「斬られるのはちょっとなぁ…」

 「ははは、んなこたぁねえよ。この柄を押さえて、俺に抜刀させなきゃ健の字の勝ち。簡単だろ?」


 河上はいつもの調子で笑いながら、すっくと立ち上がり居合刀を帯の代わりにベルトに差し込み柄に手を掛けている。何だそんなこと、刀の柄を押さえれば抜刀なんかできないだろう思いながら、海藤は河上の居合刀の縁頭を両手で押さえた。それがどうだ、いつの間にか河上は抜刀しているではないか。きらりと光る刀身が姿を現しており、驚いた自分の顔が映っている。


 「手を当てる直前に抜いた? いや、明らかに自分の方が動作は先だった」


 全く不思議だった。例えるなら、同じタイミングで駆けだしたのにいつのまにか相手はゴールにいるようなものだった。見落とすような動作は、お互いになかったはずだ。いや、ひょっとしたら自分が見えていない動作があるのだろうかと海藤は思う。こればかりは、自分のナノ・マシンで河上をスキャンしても判らないだろう。


 「気付いたかい?」

 「ごめん、全然… 一体どうやったの?」

 「なーに、答えは簡単。腕じゃなくて身体を動かして鞘を払ったのさ」


 河上が今度は壁向きに柄を押し当てて、さっきと同じことをやって見せた。なるほど、こうすれば、相手は抜刀の初動が掴めない上に、体捌きと合わせて僅かに踏み込むだけで初太刀を繰り出せる。


 「さて、次は俺は両手を自由にするから、柄から刀を抜いてみてくれ」

 「もっと簡単に見えるけど、もっと難しいんだろうね」


 答えはその通りだった。海藤が柄を奪ったその瞬間に諸手が上に弾かれ、しまったと思った時には河上の貫手がみぞおちのあたりを捉えている。河上が小柄なこともあり、完全に死角になっている。体勢、体格の不利を転じる技、なるほどこれは海藤が探していた技術だと思った。


 「これが座った状態なら横に相手をいなして、がら空きになった首を絞めることもできる」

 「凄いな。自分の武器を使わずに相手を制するなんて… まるで魔法だよ」

 「マァ何だ。人間っていうのは、使。武器そのものが持っている動作は単純明快。これを如何に環境に順応させるのが、効率よく動かすのかが兵法… 今風に言えばロジックというやつかな。これが両輪にあって技になるんだよ」


 古武術とか剣術に不案内な海藤にも、河上の実力がよくわかった。そして何より、この河上という少年はあの小原尚美より先を行っている。上手く言えないが、彼女のように単純な強さで終わるものではない。一種の作法にも似た洗練されたものが、この技に隠れている。


 「なんだか河上君が真面目なところ、初めて見たかも…」

 「かもしれないな。俺が唯一、真面目にしてるのはコレだけだ。面白いじゃないか。人間を破壊するための術だってのに、ちょっとした加減で人間を活かす技にも変わるんだから」

 「これ、教えてもらえる? 河上君の都合のいい時でいいから」

 「ああ、全然いいよ。長いこと一人でやってるから退屈してたんだ」


 一朝一夕で身につく技術ではない。しかし、その背景に対しての理解はいくらでも進められる。自分は海藤の言うところによれば、自分の「光の男マン・レイ」の能力だけを考えていた。故に動揺し、打つ手がなくなったと今更ながら反省する。なるほど、思わぬところにいい師匠がいたものだと海藤は思うのだった。


 十代の悩みを解決するのは、いつも親友という存在なのだ。

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