第4話「春の初日(The First Days of Spring)」
「春の初日(The First Days of Spring)」その1
春休みも終わり、二〇七九年度の新生活が始まった。
入学式は海上学園都市に生活する寮生のみならず、
普通の学生であれば何でもないことなのだが、海藤は生徒会役員の顔ぶれに見覚えがあった。生徒会長に
この三名は間借人の接触者とされる生徒の一覧に名を連ねている。特に最後の一名はついこの間、極めて苦痛を伴う物理的接触を果たしている。
「
なんとなく海藤はそんなことをひとり毒づきながら、益々身近になる脅威について考えるのだった。自分の能力である「
いろいろと理由はあるものの単純なところでは、圧倒的力量差を個人で見せつけられてしまったが故の「何とかして強くなる方法はないか」というところもある。これは極めて健全な男児の心に違いなかった。
そんな海藤だが、友人の
「友は近くに置け、敵はもっと近くに置けとは言うけどよ。蓮の字、随分なことを考えたもんだよ…」
「あれ、寮長制度のことまだ恨んでるの?」
「当たり前だ。風紀委員の副委員長ってポジションをフル悪用してるぞあれは…」
河上の遅刻は、風紀委員の
これには一同、なるほど妙案だと思った。
そして新年度の寮生心得には「寮長は寮生の手本であるべし」とある。これによって風紀委員のみならず、寮生全員の目からも行動を管理するというのはなかなか考えたものだ。
余談だが、こんなことをされて困るのは河上くらいしかおらず、他の寮長に任ぜられた生徒は特に反発もなく、何か学校行事に参加するように乗り気だった。
今の二人は、ちょうどその寮長任命式が終わった帰りだった。高等部、一号棟の寮長に河上が、副寮長には海藤という抜け目のなさ。これについても、何か月岡の思惑を感じさせていた。
「健の字、それに俺はこう見えても週に一回くらいは登校門限に間に合ってるぞ!?」
「そういうの、週に一回くらいしか遅刻してないぞ…っていうんじゃないの」
「この小さな積み重ねをなかったことにするのは、風紀委員の横暴じゃないのか?」
「いやぁ、それを支持するのはちょっと無理があるよ…」
「な、何だと。お前はこっち側だと信じてたのに! もうだめだ。副寮長をここで解任する!」
「それには風紀委員の承認がいるけど大丈夫?」
「そんな残酷なことを! まるで体制側のようなことを言う!!おのれおのれおのれ」
海藤と河上がドタバタやっていると、女子寮の方向へ一人でドタバタしている女生徒がいるのに気付いた。
何やら、寮へ大きな荷物を運ぼうと必死になっているが、その大きさときたら、彼女の姿をすっぽりと隠してしまうほどだった。あの様子だと、荷車の電動アシストが停止してしまったものと思える。
「どうしたんだろ彼女、あんな大きなの運んで…」
「ありゃ、
海藤はそんな様子で誰だかわからないでいたが、河上の方が同学年の女子だと気付いた。
「知り合い?」
「ああ、この学校きっての芸術家だ。それに、ちょっと変わったところがある」
「芸術家ってそもそも変わってると思うけど?」
「爾の字は自分の作品を残さない。例えば絵画でも彫像でも、作品の写しを譲ったり展示会に出して、ホンモノのほうは破壊する」
「えっ? なんでそんなことを?」
「だから、ちょっと変わってるって言っただろ?」
「まさしく奇才というか、何というか… ということはアレは作品か何かかな」
「捨てに行くのか、出品するのかわからないが、えらく難儀してるように見える」
「それは同意見」
「マァ何だ。ちょいと手伝ってやろうじゃないか」
「それも同意見」
海藤は、案外彼のこういうところが評価されていて寮長なんてものになったんじゃないかと思った。
考えれば、理由はどうであれ転校生の自分に一番最初に顔を合わせた生徒は彼だった。それに、彼女を手伝うことはやぶさかではないが、どうしても海藤はその小さな芸術家に接近しておく理由があった。
彼女の名前は、
「二人ともありがとう! ほんっと助かったよ」
海藤の予想は幸いに外れたが、その作品の大きさと重量も想定外だった。
せいぜい大判のカンバスを何枚か重ねたやつとか、そんなものを思っていたが、その正体たるや中身を満載した冷蔵庫だった。
それも、海外のミュージシャンとコラボした作品らしく、なんと、中にはこれまでリリースされたSP盤に始まりLP盤はもちろんカセットテープやCD、挙句には配信形式の音源にアクセスする端末まで内蔵しており、まさしく全ての媒体形式に収録された彼らの音楽作品を収納している。
これは音楽を「日常の消費物として、冷蔵庫に収納された食品のように」というコンセプトで彼女が製作したという。余談だが、彼らの音楽はさらによくわからないコンセプトで知られている。
「道理で只の冷蔵庫にしては重いなって…」
「一台、五百万円だけど、どう?」
時山の冗談交じりの一言に海藤と河上は首を横に振ったが、彼女の作品には引力のようなものがある。そして、どういったところからそんな発想が浮かんでくるのかと自然と考えさせられてしまう。
「爾の字、これお前の部屋に入らないだろ? どうするんだ?」
「しばらくは、作品製作用の部屋に入れておこうかな。他の人の作品だし、いつもみたいにするのは…ちょっと違う気がするの」
「あの、ちょっといいかな?」
河上と彼女の会話に、海藤が割って入った。なんとなく、河上から聞いた彼女の奇妙な製作スタイルについて聞いておきたいと思ったのだ。
「好奇心から聞きたいんだけど、何でせっかく作った作品を壊すの?」
「ああ、それね。何て言うのかな…
「どういうこと?」
「絵でも、彫刻でも、本当は心の中から産まれたもので、自分の手で形にしたものはその複製でしかない…そんな感じかなぁ」
この答えに、時山という若い芸術家の底知れなさを感じた。やはり、奇才と呼ばれているだけはある。彼女の答えは河上も初耳だったらしく、何か一本取られたという顔をしていた。どうにも、自分たちとは全く違う思考回路を持っているようだった。
数日たって、海藤は学食で河上を待っていると時山に再会した。
この時もやはり、彼女は小脇に何か抱えていた。おそらく何らかの作品だとは思うが、場所が場所なだけに例の冷蔵庫を思い出してしまい「今回は随分と小さいな」などと考えてしまった。時山は海藤を見つけると、寄ってきてその包みをすっと手渡した。
「この前は本当にありがとう。これ、御礼の代わりになるかわからないけど」
「なんかごめんね。わざわざありがとう」
あの部屋には確かに製作の道具はあっても、途中の作品もスケッチの一つも何もなかったのを少し口惜しく思っていた。あの言葉を聞いて、海藤は益々彼女の創作世界に興味を持っていったのだ。そう、もっと彼女を知りたいと。
「へぇー、爾の字の作品とは大した返礼だな」
「確かに、すごい返礼だよ」
海藤は河上と昼食を済ませて、包みを開いてみるとアクリルで額装された一枚の抽象画が現れた。技法としては、書道の範疇に入るのだろうか。黒から白に至る滲みを背景に、象形文字のような記号を重ねた立体物が二つ、中央に描かれている。そこに隠されたお互いのイニシャルから、海藤と河上の肖像であることが判る。
なかなか面白い作品だと二人は見ていたが、海藤はあることに気付く。河上は黒い墨で描写されているが、自分は金泥を用いて描写されており黒い背景に配置されている。さながら、
彼女は心の中にあるものがホンモノと言っていた。ならば自分の本当の姿は、彼女にこう見えたのかと海藤は思うのだった。
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