「果てしない謎 (L'enigme sense fi)」その4
海藤は気絶から覚醒すると、全身に残る鈍痛があの異次元の景色が夢ではなかったと思い知らされた。肉体的な消耗が激しく、自分の能力で回復もままならない。
とにかくあの
誰にどうやってここに運ばれたのか。少なくとも、自分はあの次元に閉じ込められていた筈なのだが。まさか、彼女が解放してくれたとは考え難い。
「気が付いたようで何より…安心なさい。ここは貴方のG.F.Oの医療施設よ」
海藤は突如聞こえた声に警戒したが、それは想像したものとは違っていた。そこには、艶やかな栗毛とグリーンの瞳が印象的な女性が立っている。
「もしや、貴女が?」
「その通り。私はルシール・オックスブラッド、斯波禎一氏から聞いていると思うけどこの事案の協力者。もっとも、今のところというところだけど」
「今のところ?」
「そう、今後どうなるかはあなた次第… それにしても、最初の現地対応が異次元だなんて驚いたわよ」
「一体どうやって…?」
「私は自分の身体を電子データ化して、情報通信網を移動できる能力…詳細は端末に入れておいたから、後で確認しておいて」
「えっ?」
海藤が自分の携帯端末を確認すると、確かにそれらしいファイルが共有されている。どうやら彼女が言っていることは本当のようだ。異次元空間の展開限界時間の隙を突いた一瞬の転送とは、彼女が居なければ海藤はそこに監禁されたままになっていただろう。それにしてもこのルシールの能力を見ると、彼女が敵に回らなくて良かったと思う。
「正直なところ上手くいくか不安もあったけれど、ここの監視班と通信網がかなり優秀だったから出来たところもあるわね」
「ありがとうございました…」
「それに、相手の追撃を逃れたのは適任者のお陰ね」
「適任者… 他にも協力者がいるんですか?」
「あら、貴方も知らないの? 少なくとも私と貴方より段違いの能力を持っているわよ」
余程の重要人物。あの斯波が、最も信頼する海藤相手にもに秘匿するということは、件の適任者とは相当な関係であることは確かだ。その人物は単体で
「今のところは、向こうを凌駕する戦力があると見せつけるだけでも十分。それに加えて正体不明となれば、連中も迂闊な接触はしてこなくなる。理に適った作戦ね」
自分が経験したあの異次元空間を自由に行き来できるだけではなく、我々が持つ能力を凌駕する能力を持った人間。果たして外次元の生命体をも凌駕する人間がこの学園都市に、それよりもこの世界にいるのかと海藤は考えるのだった。
そんな海藤が無事に帰還した一方で、勝利もろともあの場を逃げ去った
特に腹が立つのは、自分の能力に慢心していたことだ。
「どう?少しは落ち着いた?」
「もうちょっと…こうしてる」
彼女が不貞腐れるときはいつもこうだと、
昔なじみとはいえ、こうやって異次元空間に完全に二人きりというのも案外悪くはない。一目が無いなら、普段より更に激しいことになったとしても、誰にも気付かれないと思っているが、どうやら小原のほうがその願望を察した。二人の関係は、そういう関係である。
「そろそろ元気になったでしょ? 戻って来た時なんか、山本五郎左衛門と神野悪五郎にでも会ったって感じの顔色だったよ?」
「ごめん環那…それ誰?」
「あら、稲生物怪録に出てくる妖怪の頭目達よ。あらゆる怪異と幻覚を操って、稲生正令…平太郎という少年の勇気を試したのよ。知らない?」
「あのさ、古典怪談とか知らないから。それ、ゲゲゲのナントカみたないやつ?」
「あれは著者が二十世紀の大妖怪じゃない」
環那の怪奇趣味には本当に呆れる。例の接触後、自分以上に能力への順応が速かったのが彼女だ。いよいよ自分がその世界の住人になったという感動がそうさせたのだろう。
「ところで、
「やめときなよ。今回の件で鈴寿がいったん様子を見ると言っていたから… 環那の能力では目立ちすぎる」
「そうね。こちらもひとまず仕切り直し… 私たちも協力関係を見直さないとね」
いったん仕切り直し。黒木のいう通りだと小原は納得する。
そう、焦る必要はない。標的は自分が操る異次元空間よりも遥かに狭い、学園都市のそれも同じ学校に居るのだから。そう、焦る必要はない。忘れ物はいつでも取り返しにいけるのだ。
そして、ここに同じく忘れ物を思うものが一人いた。
「あ、そういえば…」
海藤は寮に戻る道すがら、自転車をあの異次元空間に置きっぱなしにしたことを思い出した。あの小原が違反切符を切って罰金を請求しに来るのか、いきなりこっちの次元に違法駐輪の撤去でぶん投げて来ることも考えられる。さらには、自分が「甘味処ほの果」で買い求めた金平糖もどら焼きも置いてきてしまった。
「
海藤は冗談ともなんとも言えないことを考えながら、忘れ物を思い出していた。するとその時、自分の自転車が唐突に現れたではないか。しかし、異次元から放出されたのではなく、隣人の
「おお、丁度いいところにいた。全く、自転車を忘れて帰る奴があるかよ」
「ああ、ごめん。色々あって忘れてきちゃったんだ。でもこれ、どこにあったの?」
「出先で見慣れないのが放置されてるのを見つけて、はてと思ってね。地区の防犯データベースに問い合わせたら健の字のだと来たものだから、引き取って来た」
「なんか、ありがとう…」
「何だよ健の字、しっかりしてくれよ。自分が置いてきた場所すら忘れたのかよ…」
「なんというか、ちょっと迷子になって、そこらをグルグル回ったせいか… 帰りは疲れちゃって…」
「確かにけっこう疲れてそうだが、ホントに大丈夫か?」
流石に異次元空間に監禁された上に、女子からボコボコにされていたとは説明できないだろう。仮に説明したところで、一体何を言っているのかと信じてもらえない。年相応の下世話な関心があるなら、とんでもない意味に誤解されかねない内容だ。
「なんというか、例えばピアノ2台に馬を2頭挟んで、そいつに宣教師二人をくくり付けて引っ張ってきたってくらい疲れて見えるぞ?」
「それなんかの映画だっけ?」
「ああ、確かブニュエルかマン・レイだったかな?」
河上が口にした名前に、海藤は思わずハッとした。
今の自分にとって、その名前はシュルレアリスト作家とは別の意味がある。ひょっとして河上は、知っているからいつもの調子でこんなことを言い出したのだろうか。出先で自分の自転車を見つけたというけれど、その出先とは海藤が監禁されたあの空間なのではないかと。しかし、それを問うことはあの映画の場面転換以上に脈絡が無さすぎる。
「あの映画も、妙な奴が自転車に乗ってたなぁ」
「あの映画、妙な奴しか出てこないと思うけど…」
河上の何気ない一言にそんな風に返して、海藤は今のところはこの考えは杞憂であることにした。果てしない謎に振り回されるのを、今日はここまでにしておこうと思ったのだ。
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