「果てしない謎 (L'enigme sense fi)」その3
「ここから抜け出す手段があるはずだと盗人は道化師にいう」
こんな古い歌の一節があったかもしれない。まてよ、道化師が盗人に言ったんだったかなと海藤は考えていた。ともかく、ここから抜け出す方法を知っているのは道化師でも盗人でもない。その方法を知っているのは、目の前に現れた小原尚美だ。
「こないだの
「それなら洗濯代でもあとで請求しようかな。それと、
「ああ、わたしの
「用件は何? 転校生向けの学校案内なら、もう大丈夫だけど」
「いちいち面白いやつだな君は… 簡単に言えば争ったところで仕方ない。お互い似た者同士、協力し合うのが賢明だと思うけど?」
「それは先輩からの部活動か、委員会への勧誘ってことでいい?」
「あと、
小原の一言を合図に海藤がしかけた。ナノ・マシンの硬質化による拳の保護に加えて放電、右手をスタンガンのようにして打撃を繰り出した。
「このショックで、ちょっとだけ能力が解放されれば…!」
しかし、ちょうど彼女の眼前で拳が止まってしまった。止まったというよりは、見えない何かにゴツンとぶつかった。
「当てたと思ったけど…」
「ね?言った通り、これで満足した?」
「異次元の景色をコラージュするだけじゃなく、本体を別の次元に隠して防御もできる…ってことかな?」
「ははは、察しが良いんだな」
成程、大した能力だ。そして、一連の発言から連中は組織立って行動していることが判った。確かに、
連中がこの次元での生存戦略として人間の繋がりを利用したのだとすれば、全く理に適っている。一種の進化を遂げていると言えるだろう。。
「言っておくけど、あの双子の目的は侵略とか支配…そんな脅威じゃない。それなのに、どうして…斯波禎一に協力してるのかな?」
どうやら連中は自分の行動もその背景も理解している。それに、自分の能力が優位である見せつけた上に、相手の弱点を嫌と言うほど理解させた上で交渉を進めるとは、なかなかのネゴシエーターだ。
「それはちょっと言えないし、さっきの申し出も…嫌だとしかいえないんだけど、どうする?」
「ふふふ、そうだと思った」
「それなら良かった。初めて意見が合ったし、この辺で解放してくれない?」
「いちいち癇に障る野郎だな。この空間から交換条件付きで君を解放するか、もしくはもうちょっと荒っぽい別次元に送り込んでハイと言わせるか…」
「あとは?」
「あとはそうだな…」
小原が言い終わるや否や、海藤は脛を蹴られて態勢を崩された。そこに、すかさず右ストレートを胴に撃ち込まれた。まったく、反撃の隙も無いほど美しい動作だった。なんとなく嫌な予感はしていたが、おそらく彼女と素手で勝負したところで勝てないほどの力量差がある。
「残念だけど、はいって言うまで痛めつける。私としてはこっちのほうが手っ取り早くていいんだよね… 男子にしちゃ細いから少し遠慮したけど」
彼女のプロファイルには現代格闘技の心得があるとあったが、どうも
こんな風に感心している暇はない。それよりも思考よりも激痛のほうが頭の中を巡っている。やられっぱなしになるものかと、態勢を整えたところへ更に彼女は「蝶のように舞い蜂のように刺す」という拳闘の理想形を五体に叩き込んでくる。
「何とか堪えた…!」
必死に海藤が組み付けば「柔よく剛を制す」の正解はこれだと言わんばかりに投げが入る。視点がぐるっと回転して打ち付けられてしまった。
「どう? こうやって直接ぶつかり合ってると、生きてるって感じがして好きなんだよ。どっちかの命がなくなるって考えると、益々熱くなるっていうかさ…!?」
乙女とは思えない格闘への習熟ぶり、見たことはないが古くは武士と呼ばれた軍事階級の人間とはこういうものだったのだろう。
ちゃんと人体を破壊する術を日常の一部として心得ている人間だ。海藤が体育の授業で少しかじったボクシングやレスリングの技術など、彼女の前では何の意味も無かった。拳打もタックルも、難なくかわされては反撃される。
「それじゃ、これで終わりにしておくよ」
躱されたと同時に海藤は背後を取られた。彼女の腕が首回りをがっちりと固めて、裸締めの形になる。向こうから触れることが出来ても、本体が別次元に居る以上はこのまま締め落とされるしかない。正真正銘、海藤はこてんぱんに打ちのめされて気絶した。
「死んじゃいないけど、まぁ
完全に気を失っているのを確認し、小原はふうとため息をついた。
自分のほうも、あと数秒で身を隠している次元との接続が瞬断される。人間の反射よりもわずかの瞬間だが、次元の整合性を取るために元の次元に戻る。不可能ではあるにせよ相手の反撃を回避するためだったが、どうやら予想が外れた。なんと、海藤こと
「えっ!?」
まさか自分がやったことをそっくり御返されるとは、何という屈辱。
どうやら斯波の下についた
その対象もまとめて始末することだと思った瞬間、自分の背後に気配を感じて飛び退いた。しかし、気配はしたが姿は見えない。まさか、戻って来たのか。ナノ・マシンの展開で光学迷彩に応用できることは知っているが、この次元ではあの能力は使えない筈だ。さらに驚くことが、もう一つあった。
「どういうことだ…?」
自分が展開していた次元とは別の景色が眼前に広がっている。そこに広がるのは永久に続くような回廊だった。それも東洋西洋のあらゆる寺院や古城が混在するような、無限の回廊だ。そして、やはりそこを百鬼夜行か魑魅魍魎というべき存在が何かを唱えながら進んでいっては姿を消す。
「マァ何だ。ちょっと待ちなさい」
突然声が聞こえたのでぐるりと見回すと自分の足元が消失して、どこかへ落下していく。
これは自分の能力ではない。再び、海藤と格闘した学校の景色に戻ると今度もやはり様子が違う。あちこちを生徒が行き交って賑やかな景色になっている。
何気ない雑談、物音いずれも聞き取れる。だが、明らかに異常なのは、どの生徒も自分と同じ顔だったことだ。これには流石の小原も背筋が凍った。自分の能力を超えた存在が何処かに潜んでいる。自分が展開する次元に介入できる存在など、見当もつかなかった。
「ひとりにしてくれ、なんていうから少し賑やかにしてやったが…どんな気持ちだい?」
声が聞こえると全ての生徒は姿を消した。今度は自分が起動装置として用いるオブジェのイメージが目の前にある。無論これは自分が展開したものではない。
「あんまり気分はよくないかな? 自分の空間にずけずけと入ってきて…」
「冗談はよしてくれ。さっき男を連れ込んでたのはどこの誰だ?」
「あいにく、私は男に興味はないから」
「マァ何だ。今日のところは、とっとと尻尾を巻いてお引き取りしやがりなさい」
今度は海藤が乗っていた自転車が、無人のままスイスイと自分の周りをうろついている。
「もし私が、とっととお引き取りしやがらない場合は、どうする?」
「選べ、どれでどう斬られたい?」
次の瞬間、自分の周囲を幾振もの刀が取り囲んで、彼女の四肢にぴったりと張り付いている。その様はまるで刀の林、茎の銘を見なくともそれと判る刀身の刃紋、さらには自分の身体を別次元に格納しているにも関わらず感触が伝わってくる。
下手な動きをすれば、妙な話だが次元もろとも両断されるのは容易に想像できた。
「わかった。これから、とっととお引き取りいたすとするよ」
「判ればよろしい。仲間にもよろしく伝えておいてくれ」
小原は能力展開を終了し、自分が本来いる次元に戻った。それと同時に、戦慄と冷や汗がとまらなくなった。
「何だよ…あいつは一体…?」
その性格と経験から戦士としての素質はあるものの、自分たちの能力に匹敵するかそれ以上の存在を自覚したときの恐怖は、如何にしても逃れられなかったのだ。
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