「果てしない謎 (L'enigme sense fi)」その2

 その日、斯波が率いるタスクフォース「G.F.O」の監視班から共有された「光の男マン・レイ、海藤健輝が突如消失」という一報は大いに彼を動揺させた。


 斯波は急ぎ自宅から専用回線で各班から情報共有を受けているが、海藤の自宅周辺や移動範囲にも証跡が一切確認されないという情報ばかりだった。


 「監視班、個人用端末の位置情報は?扶桑全域の映像記録は?」

 「完全消失です。我々に提示している信号波形も追跡不能になっています」


 監視班班長の青島文香あおしまふみかによれば、端末の盗難や破損は通信会社へ警報はなし。加えて、彼が自己防衛用に展開しているナノ・マシンが発する信号も絶えているという。

 あの能力すら完全に消失しているとすれば、本人が死傷している可能性もあるが、どこにも戦闘の形跡がないと現地即応班の福田からの連絡もあった。

 それに、相手側も彼の能力を目の当たりにした以上、前回の一件よりも強力な戦闘力を持った個体の衝突になるのが自然だと考えている。


 「他に考えられることと言えば…やはり、異環境展開デペイズマンか?」

 「御明察、それもかなりの上位個体だと判断できます」


 聞き覚えのある声に、斯波はルシール・オックスブラッドならばこういう時に必ず姿を現すと思っていたが、早速のご登場だった。流石の女傑も、この事態に動揺の表情を隠せないでいた。


 「女史、詳しくは先ほどL.O.Wに情報共有した通りです」

 「はい、確認いたしました。そして僭越ながら、前回の越権行為への補償として一部捜索を協力をしております」

 「それは助かります」

 

 斯波の端末にその証跡データが共有された。学園都市はもちろん国内外のあらゆる地域に彼が拉致拘禁された痕跡は残されていない。このデータが示すように、現時点で海藤こと光の男マン・レイを追跡できる情報は地球上に存在していないことになる。


 「拉致拘禁されたとすれば、一体どの領域に…」

 「少なくとも、私の専門領域である部分にも、その痕跡はありません」

 「それは厄介ですな…」

 

 ルシール・オックスブラッドにはもう一つの名前がある。彼女がこちらの次元に出現したのは二〇一〇年前後と推測されており、彼女の行動は所謂旧来の「マルウェア」の振る舞いとして各国のあらゆる端末で確認されていた。


 しかし、実際はその逆で、彼女の振る舞いがマルウェアの研究開発を加速させた。特に二〇三〇年から十年間は、その「実像」が諜報機関等で共有されたことから重要人物としての追跡が試みられたが、その悉くは失敗した。


 能力としては人間や物体の電子データへの置換および超高速転送、電子データならば自由自在に操作可能、このようなものを捕縛する術は人類には存在しない。そう、かくいう彼女も外次元からの生命体であり、現在制定された間借人LODGERの分類では「自動作用オートマティズム」にカテゴライズされる。


 このように彼女の能力は現代社会にあって最強最悪の脅威でありながら、存在を示唆するのみで長らく潜伏を続けていた。


 人類との直接接触を開始したのは「仄かに光る双子グリマー・ツインズ」の登場以来となる。多くの情報共有と捜査への協力を受諾するとともに、米国政府は彼女を「偉大な先人パスト・マスター」としてその存在を認め、各国にはその存在を秘匿している。もっとも、仮に情報が漏洩したところでその情報を消去することなどは、部屋を掃除する労力と変わらない。


 「女史すらアクセスできない領域と言えば、それこそ別次元か…」

 「その空間を操作、維持できるほどの能力を持つ個体は限られます。例えば…」

 

 ルシールの言わんとすることは判る。それだけの生体エネルギーを持っているのは「仄かに光る双子グリマー・ツインズ」の他は思い当たらないが、あの個体が出現した兆候や振る舞いは検知されていない。


 「女史、恐縮ですが監視班の青島と協力して対応を継続願いたい。バックアップは、先日話した適任者が対応する」 


 斯波の「適任者」が非常に気になるが、ルシールは依頼されるや否やG.F.Oの本部監視班の下に姿を現した。

 本部はこの次世代型海上学園都市「扶桑」で最高のセキュリティレベルを設定したエリアに存在しており、物理アクセスはタスクフォースのメンバー以外は完全秘匿されている。しかし、通信網が存在する以上は彼女の前で如何なる電子的障壁はまるで問題がなかった。


 「というわけで、またよろしくね文香」

 「はい、対面での業務はかなり久しぶりですね」

 

 青島は監視班の立場からルシールとは既知の間柄である。彼女は学生時代に情報通信技術を専攻し、この東京新区の情報通信網の構築にも携わった一人だ。無論、今回の消失騒ぎの主である光の男マン・レイは父親についてもよく知っている。そのため、この一件はどうしても解決に助力したいと考えていた。


 「ところで、どうします?」


 小動物のようにくりっとした彼女の眼がルシールは好きだった。しかし、今はこの瞳に誓えるような答えも行動も持ち合わせていなかった。


 「完全に私もお手上げよ。ところで文香、例の適任者について何か知ってる?」

 「適任者…? ああ、斯波局長の隠し玉ってやつですよね。我々も存在は聞いていますが、詳細は一切…」

 

 ルシールは「如何にもあの男らしい」と思いやれやれという感想の他はなかったが、今度は青島が頬を膨らましてプンプンしだした。こういうところも、極めて可愛いとルシールは思う。


 「女史、覗きなんてドン引きですよ。やめてください」


 ルシールはしれっと、青島の端末にアクセスして「適任者」とやらの正体がないか探っていた。そして、彼女の発言も本音であることと情報がないことがわかった。しかし、彼女の端末にはルシールがアクセスする時はアラートが出るらしい。まったく、こういう抜け目のなさも、彼女が青島を信頼する理由だった。


 「これは推論ですが、標的が別次元に居たとしても、それだけの能力なら大きく体力を消耗するはずです」

 「光の男マン・レイを救出する瞬間があるとすれば…無意識のうち、息継ぎのために顔を出す瞬間、そこが好機ね」

 「はい、おそらくそう長い時間ではない筈ですが…やってみます」

 「文香、各所の観測ポイントの反応を全部集約して頂戴。あとはそのまま、彼を取り返してくる」

 

 青島はこういう風にルシールが自分自身の能力を理解し、為すべきことを躊躇わないところを尊敬して信頼するのであった。

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