「溶ける魚(Soluble Fish)」その4

海藤の奮闘ぶりに感嘆したのは、斯波だけではない。この奮闘は初の間借人LODGERの接触者同士、人類初の異能力を用いた戦闘として記録されることとなった。


 この映像は米国本土の監視組織「L.O.WLodger Observe Workgroup」にもリアルタイムで共有されている。本件は米国が情報の最先端とはいえ、能力者同士の衝突は記録していない。これまで十年の記録を塗り替えるような十五分、光の男マン・レイの能力に関しては、想定以上の戦闘能力と成果を確認できた。


 斯波を含めたG.F.OとL.O.Wの緊急会議が現地時間の深夜に開催されることが決まった。だが、例の如く神出鬼没のルシール・オックスブラッドはその時を待たずに姿を現した。


 「…といったところでしょうか?」


 間借人LODGERを同類の能力で以って制するとが可能という実例は、懐疑的であった旧弊の米国防総省の連中も納得させるに十分だったと、斯波はルシールの表情から読み取れた。


 「女史、どこでそんな古い言い回しを? いつか私もL.O.Wの本部に顔を出させて頂きますよ」

 「いつでもどうぞ。先日の一件ですが、光学迷彩の応用からの相手の本体構造解析…」

 「女史… 前にも申し上げましたが、彼は我々にとって希望の光なんですよ」


 斯波のその反応こそ、若君の初陣を見守った何かのように見えるとルシールは思った。


 「本日をもって、在日米軍基地全てに光の男マン・レイを最重要保護支援対象として指令が下ります。戦闘行動が拡大した場合、即座に現地介入が可能です」

 「それは恐縮です。彼にA判定でもつけたいところでしたが、新たに懸念すべき材料もあったところです」

 

 斯波の懸念とは、ルシールも米国政府も懸念していることだ。


 間借人LODGER側が遂に敵対行動を開始したが、海藤が脅威であることを認識している。それだけではなく、本体が無意識化で能力を発露させるという未分化状態であるにも関わらず用意周到な戦闘展開は、


 「情報漏洩か、接触者による能力展開によるものか…どれも想定し得ることではありますが、目の当たりにすると頭が痛くなりますよ」

 「更に懸念すべきは、その勢力が彼の排除に失敗して懐柔に転じるという場合です」

 「その通り、光の男マン・レイが我々から離れた場合、


 これはまったく冗談ではない。光の男マン・レイの排除は、G.F.Oの関係者に留まらず、扶桑こと海上学園都市の悉くを破壊して殲滅することを意味する。


 「女史、それは十分に理解しております。学生のを見守るのも学長の役割ですが、今は適任者に任せております」

 「適任者?」

 「間借人LODGER側の諜報も懸念される以上、詳細は明かせませんが光の男マン・レイがおります」

 「くれぐれも、その適任者が互いの足を引っ張るようなことがないことだけをお願いいたします」

 「無論です。彼とは付き合いが長いですが、優秀な存在です」


 斯波とルシールが顛末を話し合う一方で、海藤は見事に午後の授業は全欠席していた。


 無理はなかった。能力の解放については、研究機関で耐久試験などもしていたため自分の体力との相関関係は、それこそ身体で理解していた。問題は生まれて初めての「戦闘」を経験したということだ。


 「頭で理解していたが、何か一つでも判断を誤れば彼の命を危うくした」


 自分の不覚悟が理解できたとき、精神的な疲労が一気に襲いかかってきた。

 それこそ今朝の河上義衛のようにその場で気を失いそうになる。その後、どうしても気分が優れず静養と言う形になった。


 さらに気持ちを重くしたのは、斯波から間借人LODGERとの接触が疑われる生徒のデータが共有されたことだ。


 必ず目を通せと言われたものの、これがどうにも気が進まない。これも判り切っていたはずだが、接触者が学校内にいるということは自分が知り合う誰かがそうであるかもしれないし、既に遭遇しているのかもしれない。

 

 問題はその時、今日のように自分は振舞えるのかと言うことだ。相手が顔見知りだったら、尚更そのように考えてしまう。


 「、あんなこともできたのかな。そうだろうな」


 およそ普通の十代が経験するはずもないこれからの苦難を「大丈夫」といったものの、迷いが生じてしまうのは魂の未成熟が故であった。


 「よぉ!」


 海藤に声を賭けたのは、河上義衛(かわかみよしえ)だった。だが、何かおかしい。本来、彼はまだ授業を受けているはずだが、堂々と自分と同じく帰宅の途についているではないか。


 「授業どうしたの?」

 「ああ、これはマァなんだ。立派な自主休講ってやつだよ…」

 「ごめん。立派な要素がどこにもないんだけど?」

 「俺は色々あるんだよ。健の字だって、似たようなもんだろ?」

 「えーと… そんなところかな」 


 そういえば公欠というのが規則に存在するが、この場合は学長判断の仮病とでもいうのだろうか。なにせ、担任も生徒もそのように情報共有されている。


 河上の色々が何かと気になるが、この出所不明の自信のようなものは何かと、海藤は面白いと思う。一つ確かなのは、しっかりと道草をしてきたことは「甘味処ほの果」と書いてある紙袋を携えていることから判った。 


 「どうせ暇だろ? 茶でも淹れるから部屋に上がっていけよ」

 「暇ってわけでもないけど… ありがとう」


 河上の招きに応じて海藤は彼の部屋を訪れた。同じ学生寮でそれもすぐ隣だったが、初めて訪れる同級生の部屋と言うものは、不思議な空間に感じられた。特に、部屋の真ん中に陣取る「ちゃぶ台」は自分の部屋にはない。これが、いかにもこの河上という少年の古臭さを思わせる。

 

 「登校初日からこの調子…健の字もこっち側だと判ると心強い限りだよ」


 そこに、河上が例の如く「にしし」と笑いながら茶を淹れて持ってきた。皿には和菓子にしては随分と斬新な一品が皿に盛られている。上が梅の寒天なのはその香りでわかった。下は生チョコレートのように見える。


 「店主の新作で、玉響たまゆらというらしい」

 「玉響たまゆら?」

 「柿本人麻呂の歌にあるだろ?『たまゆらに昨日の夕見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか』って」

 「そんな昨日今日の歌詞みたいに言われても…」

 「和歌だって歌だろ? マァなんだ。漢字で書くと玉の響き、その通りほんの微かという意味だよ」

 

 ちゃぶ台に乗せられた皿の上の作品に「へぇー」と思いながら黒文字で一口運ぶ。


 ぎょくの擦れ合う微かな音から「一瞬」という意味を持つとおり、梅の香りがすっと抜けてチョコレートの豊かな味が広がる。まるで厳寒を経て梅が風に香りを乗せるような、静かで確かなものを感じさせるような味わいだった。これには河上も満足な様子だったが、随分と繊細な感性を持っているのだなと海藤は思う。

 

 「ところで健の字、本当に何もなかったのかよ?」


 この一言に、彼は固まってしまった。何もなかったと言えば大嘘だが、LODGERの案件などは一切話せない。河上の何気ない質問ではあるが、学校内の接触者を思えば「ひょっとして」という考えもよぎった。


 「」 

 「ははは、それを聞いて安心した。転校生が初日に早退ってので、蓮の字…今朝会った風紀委員のアレも小耳に挟んでてな」


 そこで河上に、それとなく聞いておいてくれとお願いされたという。成程、海外からの転校生が初日早退というなら、早速生徒同士のトラブルか何かと考えるのは自然なことだ。河上も、山岡からその話を聞いた時はギョッとしたが、その他何も噂がないことや、さっきの返答でそんなことはないだろうと判った。


 「それにしても、彼女は少しお節介なところがあるんだね」

 「少しどころか、実家の母親の次にお節介だよ…」

 「実家の母親かぁ…」


 この一言に、海藤の表情に一瞬影がさしたように河上には見えた。


 「マァなんだ。お互い色々あるだろうが、明日こそ真面目に登校しよう」

 

 河上は海藤にこういって見せたが、翌日は見事に通常通りの遅刻であった。これは海藤の裏切りではなく彼の日常であるということを、筆者として弁護しておく。

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