「溶ける魚(Soluble Fish)」その3
水を隠すなら水の中ということで、標的こと
「思った通りか…」
周辺の配管が破壊されたようなアラームが検知されていないと監視班から連絡があった。なにせ相手は液体だ。配管のみならず、隙間からいくらでも侵入できる上にセンサーや認証ゲートすらすり抜けることが可能だ。
どうも標的は逃げたというより、自分をおびき出したというほうが正しいかもしれない。
標的がプールに潜んでいるのは判っているが、飛び込んで「どうだ参ったか」という訳にはいかなかった。水飲み場で襲われたときと違って、どこまでが標的の本体か判別できない上に、水中でナノ・マシンを展開しても分散されて無効化されてしまう可能性がある。
さてと海藤が考えているところへ、例の水圧カッターが撃ち込まれる。そして今度は、五月雨にお見舞してきた。海藤は躱すのに必死になる。仕留めるなら狙撃するところだが、じわじわとこちらの体力消耗を狙っているようにも思える。
「ちょっと、遊ばれてるな…」
一方で海藤もただ逃げているわけでもなく、こちらも態勢を整えつつあり、相手の攻撃がはたと止んだ。
その理由は海藤がナノ・マシンの光学迷彩能力を応用し、中空に数体の残像を作り出していたのだ。単純動作であるが、海藤の直前までの回避行動等を記憶させているため、残像の遠隔操作が可能だ。さしずめ、昔の忍者漫画に出てくるような分身の術というやつだ。
この術中にある相手を観察していると、攻撃手法の他に判ったことが一つあった。
「残像に引っかからないということは、目視だけで標的を捉えている。体表温度とか赤外線も感知していないな…まだ、そこまで能力が解放されていないのかな…?」
液体を操るなら、自分に付着させた水滴から体表温度を感知するかと思ったが、そこまでの応用性はないと判断できる。案外単純な奴と思っていると、水面から鎌首をもたげるように姿を現した。大昔、ひと騒動を起こしたスコットランドの水棲怪物よりも恐怖と威圧感がある。
「あれが本体か…」
まさしく、液体の蛇。本物の蛇さながらに舌を出したりはしないが、残像に混乱している様子で残像たちを眺めている。海藤はこの隙に「あの本体を如何に確保するか」を考えていると、相手が動きを止めた。なんと今度は全方向一斉射撃に切り替えた。海藤が展開した残像を雲散霧消させるどころか、照明や壁を難なく破壊していく。
これで他に標的はないと言わんばかりに、水の鎌首がこちらを見ている。
「やばっ!」
驚いたのは例の水圧カッターではない。今度は水面から、水の球が飛び掛かって来たのだ。そして海藤の全身をその球体が吞み込んだ。
「まったくもって厄介この上ない…」
冷静に観察している暇はなかった。段々と手足の力が抜けてくる。なるほど、転校生が学校に馴染めず行方不明の末にそうなるというのが、こいつの筋書きか。やはり、相手は海藤側の動きを察知しているきらいがある。
「まあ、こうなる…こうなると思ってたんだ」
プール内ではナノ・マシンを展開しても全体に分散される可能性があったが、
「釣りは、撒き餌より
水の球体が勢いよく海藤の身体から離れると、今度は形状が不安定になり、やがて人型になった。流入させてやったナノ・マシンの発光でそのシルエットがはっきりとわかる。
そして、今度は自分がもがき苦しむ側になっている。全く未知の攻撃が齎すのは激痛と混乱。無理もない、相手が人類であれば身体の痛点をナノ・マシンで刺激されたような状態にある。頭を壁に打ち付けたりしているが、その程度で誤魔化せるものではない。
「さっきはかなり危なかったけれど…ごめんね。ちょっと気絶してもらうよ」
標的はひとしきりのたうち回ると、
生憎だが、午後の授業に戻れるならこのまま受けるほかは無い。
「やっぱり、完全にに乗っ取られていたのか…」
そんな気持ちもそこそこに、海藤は自分なりに観察を続けた。能力から身体構造を変化させる「
「無傷で済むのも、ただの幸運が重なっただけかな…」
そんな風に一息ついた海藤の携帯端末に、斯波からの連絡が入った。流石は教育機関用の耐久性に優れたモデルだ。フィールドワークにも対応して、防水も耐衝撃もばっちりというところかと納得する。
「海藤君、対象の行動停止を確認した。君も無事で安心している」
「斯波学長、ありがとうございます。申し訳ないですが、あとのことはお任せします」
「無論だ。時期に回収班が来る。君は十二分に対応した」
このメッセージが終わるや否や、斯波の率いるタスクフォース「G.F.O (Going for the One)」の徽章をつけた回収班の人間たちがなだれ込んできた。
「えっ!?早くない?」
斯波は魔法でもつかえるのか、余程の段取りがいいのか本当に間髪入れずの登場だった。この学校の建造に関わったのもこのタスクフォースである上に、いつでも現地対応班を派遣できるルートの用意があるというものの、ここまで迅速すぎるのは信じられなかった。
「水は方円の器に随うというけど、本当だねこれは」
組織の長がてきぱきした人間だとやはり配下もそれに似るのだと、今回の対応からそんな古いことわざを思い浮かべていた。到着した班はあっという間に二班に展開、一方は対象を確保して身体に異常が無いことが確認できると、あっという間に撤退していった。
「班長の福田です。海藤さん、対応ありがとうございました」
「あっ。ええ。こちらこそ、ありがとうございます」
「我々も実況見分が終わり次第、我々はも撤収しますが、何か協力できることがあれば対応いたします」
大の大人が、まるで若君の従者のように言い出すのでぎくしゃくしてしまった。こんな戦闘は生まれて初めてでいろいろと考えたが、多少の躊躇いはあるものの海藤には一つだけ思い浮かんだ。
「あの…すみません。着替えってありますか?」
海藤がずぶ濡れの様子を指差すと、福田は「ええ、もちろん」と答えると、海藤が今日来ていた私服とまるっきり同じものが入ったパックを手渡してきたではないか。
まったく段取りの良いバックアップだと、海藤は驚く他はなかった。
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