第2話「溶ける魚(Soluble Fish)」

「溶ける魚(Soluble Fish)」その1

 心機一転、今日からは普通の学校生活と思っていた海藤健輝は、早々にその気持ちを挫かれる光景に遭遇した。


 昨日、挨拶に来た隣人の河上義衛かわかみよしえが道端で倒れているではないか。ぱっと見たところ外傷はないが、地面に突っ伏しておりピクリとも動かない。冗談にしては趣味が悪すぎる。


 「ちょっと!大丈夫!?」


 思わず声が出てしまった。


 潜伏している間借人LODGERの接触者が、自分の周辺人物を襲撃したというのも十分にありえる話だ。海藤が心音と呼吸を確かめようとしたら、急に河上がむくりと起き上がったので思わず尻もちをついてしまった。


 「あの、河上君…なんかその、大丈夫?」

 「ああ…健の字か。おはよう、学校は…何だ…まだ到着してないか」

 

 河上はあくびを一つして頭を搔いていた。どうやら想像した最悪の事態は回避されたが、どうにもこうにもよくわからない事態であることは確かだ。


 「学校って…?」


 なんでも今日は珍しく早起きしたので、これまた珍しく遅刻せずに登校してみるかと思ったが、その道すがら睡魔の「奇襲」を受けたのだという。河上の夢の中では、きっと登校していたのだろう。


 「人間、日ごろ慣れてないことはしないほうがいいってことだな」

 「でも、寮から学校まで十五分くらいなのに、よく遅刻できるなぁ…」


 河上のふてぶてしさに海藤は呆れてしまうが、この図太さはある意味では尊敬する。やはりこの少年と一緒に居ると、何かと面白いことが起きる。


 「遅刻するのが一人や二人いないと、風紀委員が廃止になってしまうからな」

 「そんなことはないと思うけど?」

 「しかし、マァなんだ。九郎判官のように奇襲するものは制圧するっていうのを学んだよ」

 「九郎判官って、何? 誰?」

 「牛若丸、源九郎義経だよ」


 河上の日本史講義が始まると、長かった。一之谷合戦がどうとか、千年前のことを昨日見て来たように話す。二人がこんな風にだらだらと雑談しながら登校していたが校門で足が止まった。


 遅刻とは違う問題に直面したのだ。


 「それで、二人そろって登校時間ぎりぎりになりました… そういうわけね?」

 

 その通りですとかしこまる海藤と河上の目の前には、朝の風紀取り締まりにいそしむ風紀委員の山岡蓮やまおかれんが立っていた。二人と同じく普通科一年。容姿も声もきりっとしており、他の女子より背が高く、今どき珍しく髪はシンプルに一本結、彼女の「曲がったことは嫌い」な性格を想像できるようで、まさしく風紀委員に「うってつけ」のような女子だと思う。


 そんな性格が最も嫌う規則ぎりぎりというシチュエーション、これを矯正せんと風紀委員の聖典たる校則を引用しつつ二人は彼女から指導を受けていた。よく通る声のせいか、彼女の言葉に文字通り耳が痛くなる。ここで、河上がとボヤいた。


 「来月、アレが空席になってる風紀副委員長に収まる」

 「そうなるとどうなるの?」

 「俺はアレと同じクラスだ。俺が今度遅刻したらにでもなるんじゃねえか?」

 「ああ、確かに寮の部屋からリモートなら遅刻しないから良いんじゃない?禁固刑も」

 「健の字、お前案外酷いことさらっと言うんだなぁ…」

 「ちょっと、さっきから人の話してる時に! 特に河上君!さっきから人のことアレだのソレだのって…!」


 海藤と河上のぼやきは、山岡の小言というには大きすぎるトーンでかき消された。  


 「わかった。わかった。わかった。ところで、お前さんが長々とご高説を宣ううちに、二人そろって本当に遅刻しそうなんだが、これは問題にならねぇのか?」

 「あっ… 確かに…」

 「校則には学校生活に不慣れな転校生にお灸を据えろとでも?」

 「そ、それは… そんなことは、ないけど…」

 「第一に、俺が道で寝て…もとい倒れていたのが発端。もとは善意だぞ」

 

 何とも言えない屁理屈と言い回し、これに山岡の勢いが止まってしまった。河上は「にしし」と笑って、悠々と海藤と歩いていくのを尻目に彼女は「キー!」となる。当初、海藤は傍で二人が険悪なムードになるのかとおろおろしていたが「ああこういうのは、ほっといたらいい」という結論に至った。


 二人は、卒業するまでこんなやり取りをしているはずだろうし、これまでもそうしてきたのが良くわかる。


 さて、海外からの転校生というのは、やはり話題になる。


 現地通学の生徒で少人数ということで、普段は閑散としている教室も俄かに活気づいて手狭にさえ感じられるほどだった。十代という狭い世界に突如として訪れる異文化、幾ら国際化が進もうともこの接触は賑やかなものになる。


 大げさに言えば、語学の壁は科学で取り除ける時代となったが、文化への接触というものは人類が一斉に好奇心というものを捨てない限りは無くなりはしないのだろう。まして、一番好奇心旺盛な十代という時期を生きているのであれば。


 「えっ? 高等部に部活動クラブチームはないの?」

 「うん。やっぱり、一番難しいのはそこなんだってね」


 もっとも学校の性格というか文化が出るのは部活動と考えていた海藤だったが、級友によれば高等部ではこの「扶桑」に住居する生徒数の都合から、団体競技は廃止されているという。だが、個人競技や伝統文化保全のために「武道」だけが残っており、集団活動における自主性の確立という大層な名目は、生徒会及び委員会活動が担っているという。


 「海藤君はどうするの?」

 「そうだなぁ… 風紀委員とか?」

 「えっ!? 朝、山岡さんにつかまってたのに!?」


 これには級友たちが笑った。初日から遅刻すれすれで来て、風紀委員とは面白い。面白過ぎる選択だ。


 この流れと雰囲気で、昼休憩は学食で親交を更に深めるか、購買部で買ったものを屋上でというのがだが、この海藤には間借人LODGERの接触者として密命があるのでそうはいかないのが現実だった。そんな時、斯波学長からのメッセージを受信した。 


 「一件。昼休憩時間、学長室へ訪問されたし」


 無論、これは間借人LODGER接触者に関する情報共有の隠語だ。

 学校内のコミュニケーションツールも、デジタルの悪戯好きな身内から盗聴されるということもある。肝心なところは対面か書面での通知としている。


 「ここのフロアからだと、あっちか…」

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