(四)

 彼女による、意外すぎる私の下着の利用方法が発覚した。

 想像の斜め上を行くというか、一周回ってやっぱり斜め上を行っているという感じで、うっすらと恐怖を覚えるものだったが、私の下着がこれ以上なく丁寧な扱いを受けているということだけは理解できた。

 当然、そんな怪しすぎる儀式を放っておくことはできず、下着の持ち帰りは禁止することとなった。

 しかし、その決定に、彼女はまるで納得がいかないようで、それはそれは熱烈な異議を唱えた。

 私としては、どうして下着のためにそこまで熱くなれるのかと、不思議で不思議でしょうがなかったが、兎に角、彼女の情熱を要約すると――寂しさを紛らわし、精神の安定を図るには、私の下着が必要――とのことだった。

 つまり、藤咲の考察は、見事に的を得たものだったわけだが――まったく、なんてやかましい要旨だ。

 そのうえ、その寂しさを紛らわす方法が、下着を神棚に祀るというのは、全体どういう了見なのだろうか。あまりに斬新で、理解が及ばない。

 とは言え、彼女の寂しいという感情を無視するわけにはいかなかった。それは、決して放っておくことのできない深刻な問題である。だから、ひとまず、これについての対策を考えることになった。

 いちばん手っ取り早いのは、会う頻度を増やすことだが、お互い、大学とアルバイトが忙しく、土曜日以外に会うことは難しい。

 では、どうしようかと、その次に考えたのが電話だ。これについては、双方、無理なく実施ができそうだという結論に至り、寝る前に電話をする時間を作るということで合意した。

 さて、これで一件落着かと思いきや、彼女は、まだ納得がいかないようだった。

 電話だけでは、まだ寂しい。南先輩の存在を近くに感じられるものが欲しい。

――と、彼女は訴えた。

 なるほど。着ていた下着を欲しがるのは、そういう理由からだったのか。

 たしかに、下着ほど、持ち主の存在を色濃く感じられるものはないだろう。

 納得である。

 そうして、下着の代わりになるものが必要になったわけだが、そこで私は、妙案を思いついた。

 その名も『疑似的添い寝サービス』だ。

 名前だけ聞くと、いかにも、先端技術を駆使した、夢のあるサービスのように聞こえるが、その実、私の使っている枕を、抱き枕として貸し出すだけである。期待させてしまっていたら、申し訳ない。

 しかし、下着ほどではないとは言え、ひとり暮らしを始めてから現在までの約三年間、毎日使用してきた枕だ。もはや、私の概念と言っても差し支えないだろう。

 そんなわけで、しばらくはこのサービスを試してみることで合意し、早速、次の土曜日から貸し出すこととなった。

 差し当たって、私は、新しい枕を用意しなくてはいけない。

 やれやれである。

 まさか、たった一か月のお付き合いで、こんなにも我儘わがままになってしまうとは。

 まったく、仕方のない子だ。

 我儘もこの位なら我慢するが、私は、これよりも数倍悲しむべき、人間の不徳の致すところを経験したことがある。

 時は遡り、およそ三年前。高校三年生の頃だ。

 その頃、私には恋人がいた。俗に言う『元カノ』というやつで、つまりは、女性の恋人だ。

 きっかけは、体育祭の競技中に、派手に転倒したその子、、、を引き起こし、救護所まで連れて行ったことだったらしい。

 その後、その子から突然呼び出され、例の救出劇のことを感謝されたと思ったら、その勢いのまま、付き合ってください、と。情熱的な告白をされたのだった。

 優しいところと中性的な見た目が好きだと、彼女は言っていた。そのどちらも、お前には特徴がないと、そう言われているような気がして、素直に喜ぶことはできなかったが、私は、その告白を承諾した。

 そもそも、その子とは、廊下でたまに顔を見かける程度の関係性で、その救助劇のときだって、顔なんてほとんど確認してなかったから、告白してきた人物と、私が助けた人物が同一人物だと判断するまでかなり時間を要したぐらいだ。それでも、彼女と付き合うことにしたのは、やはり、女性である私を好きになってくれる女性は希少だからだ。

 これを逃したら、もう恋愛はできないかもしれない。

 思えばそのときも、そんな曖昧な気持ちだった。

 それに、そのときは、既に指定校推薦で進学先も決まっていて、暇な時期だった。友人は皆、受験勉強に忙しくしているのに、自分はアルバイトぐらいしかすることがないという状況に、寂しさを感じていたのかもしれない。

 いや、自分の気持ちなのに『かもしれない』なんて、おかしな話だけれど。

 軽々しく承諾したことへの言い訳にしか思えないけれど。

 けれど、兎に角、私は、その子とお付き合いをすることになったのだった。

 それから、三か月ほどが過ぎた、とある冬の日。

 私は、その子の家に誘われた。

 名目は勉強会。

 彼女も既に受験を終えていたため、ふたりとも、そこまで勉強が必要だったわけではないが、穏当な理由は必要だったのだ。高校生らしい、健全な理由が。

 そんなわけで、一日あれば十分に終えられるほどしか出ていない冬休みの宿題を持ち寄って、彼女の部屋の小さなテーブルをふたりでいっぱいいっぱいに使って、黙々と取り組んだ。

 そうして、数時間後、ふたりともに一段落したとき、なんとなくそういう雰囲気になった。

 なんとなくだ。

 なんとなくその雰囲気に流されて、なんとなくベッドに誘われて、なんとなく押し倒されて、なんとなく唇を交わした。

 そして、私は言った。


『私、ネコなんだけど……いい?』


 そのときの彼女の表情が忘れられない。

 懐疑と嫌悪とを半々に混ぜたような、失望を匂わせた表情。

 そして、彼女は言った。


『え、気持ち悪い…………』


 その瞬間、私は理解した。

 彼女は私に、見た目通りの私を――男性らしい女性を、求めていたのだと。

 そのとき、私が感じたのは、理解されないことへの悲しさではなかった。

 期待に応えることができなかった後ろめたさだった。

 そして、彼女に共感した。

 男性にも見間違われるような私がネコだなんて、そりゃあ変だよな、と。

 だから、私は言った。

『ごめんごめん、冗談だよ』

 彼女の機嫌を必死に取り直した。そして、猫を可愛がるように優しく撫でて、彼女とやるせない思いを一緒に掻き混ぜた。

 それからのことは、あまり覚えていない。

 だが、そのときから、私は、決してネコであることを、おくびにも出さないと決心した。

 その後のふたりについては、これと言って特記すべきことはない。気づいたら卒業していて、そのまま疎遠になって、自然とその子との関係は解消していた。

 振り返ってみれば、始まりから終わりまで終始曖昧な恋愛だったが、味わった苦さだけは、いつまでもはっきりと覚えているのである。

 大人ぶって、ブラックのままコーヒーを飲んだ、中学生のあのときのように――


「――南先輩、何か考え事ですか?」

 私は、ふと、我に返り、返事をする。

「ありゃ、なんでわかったの?」

「何か思い悩んでいるような顔をしていたので」

「うそ、顔に出てた?」

 私ははっとして、顔を押さえる。

「はい。口がぽかんと開いて、目が中心に寄ってました」

「そんな阿保みたいな顔してるの!?」

「あはは、冗談です、冗談」

「もう、やめてよ…………」

 心底、安心した。

 思い悩むたびに阿保面あほづらおおやけにするなんて、文字通りの『お目汚し』だ。

「それで……、ブラックコーヒーと中学生がどうしたのです?」

「待って、あの馬鹿みたいなモノローグ、口に出してたの!?」

「いえ、頭の中に聞こえてきました。テレパシーというやつです」

 彼女は、びびびっと言って、頭の上で指を二本立てる。

「まじか……、ななちゃんの前ではうかうか考え事もできないな」

「うふふ、これも冗談ですよ。ぶつぶつと口に出してました」

「まあ、そうだよね。ななちゃんが超能力者じゃあなくてよかったよ」

「ええ、今はまだ使えませんが、そのうち」

「会得する予定なんだ…………」

「はい、先輩のことなら、なんでも知りたいですから」

 そう言って、彼女は微笑んでみせる。

「そうなったら、きっと嫌われちゃうから、私はいやだな」

「何を言っているのですか。私は何があっても嫌いにはなりませんよ。どんな先輩でも、私は大好きです」

「どんな私でも……?」

「はい。逆に嫌いになってもらえるとお思いなのですか。私は厄介オタクですよ? 何があっても、絶対に嫌いにはなりません」

「厄介オタクって……」

「まったく、大変な人に目をつけられてしまいましたね。日頃の行いを悔いてください」

「は、はい……すみません…………」

 なんか、よくわからないけど怒られた……。

 とりあえず、言われた通りに反省していると、彼女は「冗談はさておき」と、話を切り替える。

 どこまでが冗談だったのだろうか。

「今のところ、私はエスパーじゃないので、言われたことしかわかりません。まったく、察しが悪くて嫌になってしまいますが、伝えたいことは言葉にして頂けると助かります」

「うん。それはもちろん」

「逆に、先輩は私の考えていることがわかりますか?」

「いや…………」

「じゃあ、私は今、何を考えていると思いますか?」

「え、当てるの? なんだろう。わかんない……」

「正解は、内見のときに蕎麦を持って来た人に対する突っ込み、でした」

「それは『早すぎる』だよ!」

「ショートコント『内見のときに蕎麦を持って来た人』」

「突然なんだ!? てか、いいよ! もう落ちはわかってるから!」

 私は、ほぼ条件反射で突っ込んでしまう。

 その反応に、彼女は、けらけらと笑う。

「あはははは、先輩の反応は新鮮でいいですね」

「それはどうも……」

 あまり褒められた気はしないが……。

「兎に角、どうやら私たちは、どちらもテレパシーを使えないみたいなので、言いたいことはお互い言い合えるようにしましょう」

「そうだね。そうしよう」

「では、早速、何か私に伝えておきたいことはありますか?」

「――――っ」

 何が、

 何が、言われたことしかわからないだろう。

 まったく、私は、年下の後輩に気を遣わせて……。

「いいや、何もないよ」

「……わかりました。先輩がそれでいいなら、いいのです」

 そう言って、彼女は微笑む。

 私も、精一杯の笑みを作ってみせる。

「うん。大丈夫だよ」

 私は、恋愛をすることさえも諦めていた身だ。恋愛ができるだけ幸せで、その幸せを大事に嚙みしめながら、その日その日を暮らしている。うっかり、ネコであることを自白してしまったこともあったが、何も無かったことにできている。願ったって彼女はタチにならないし、そもそもタチの意味すら知らなそうだが、欲を言っても際限がないから、生涯タチの振りをしながら、秘密のネコで終わるつもりだ。

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