(三)
彼女――立花菜々子と交際を始めてから、一か月の月日が流れた。
お互い通っている大学は異なるため、会うのは、週一回、土曜日に開催される学習支援のアルバイトの際だ。アルバイトは大抵、昼前に終わる。退勤後は、最寄り駅付近の飲食店で昼飯を共にし、それから、私の自宅へと向かうのが定番の流れである。私の自宅に着いた後は、ふたりで映画やドラマ、アニメなどを観ることが多く、そのためにモバイルプロジェクターも購入し、鑑賞を楽しんでいる。
そのまま、彼女が家に泊まっていくこともある。そのため、寝間着や歯ブラシなど、彼女の生活用品が私の自宅に次々と備えられ、半月もしないうちに、ほとんど半同棲に近い状態に仕上がってしまったのは、自分でも流石にどうかと思った。
アルバイトの同僚には、私たちが付き合っていることは内緒にしている。仕事中に変な気を遣わせてしまうのを避けたいというのもあったが、何よりも、同性同士のカップルであることが
多様な性のあり方が尊重され、受容され始めている昨今において、あからさまに差別的な態度を取られるとか、そんな心配はないのかもしれないが、やはり、アルバイトの同僚という小さなコミュニティの中で、ふたりの存在が浮いてしまうのは確実だろう。
しかし、それも仕方のないことだとは思う。母数全体からみれば、やはり同性同士の恋愛というのは極少数であり、それを、普通か普通じゃないかの尺度でみれば、普通じゃないに当てはまるのだろう。一般には、理解しがたい部分の話だ。
だからといって、抑圧されるのは御免被るが、世間一般に対してこちらの常識を押し付けることもまた、よろしくないことであると、私は思う。
我々、マイノリティに必要なのは、マジョリティからの理解であり、共感ではない。そう、理解さえ示して頂ければ、あとは無関心でいいのだ。『積極的無関心』とでも言えばいいだろうか。
『みんな違って、みんないい』ではない。
『みんな違って、どうでもいい』の態度こそが肝要なのだ。
関心を示す必要はない。
そういう人がいるのだと、そう理解だけしてくれれば、それでよいのである。
……いや、これは、あくまで、私、一個人の考えだ。適当に読み流してくれて構わない。
さて。
私は彼女という恋人のいる生活を送り、彼女を観察すればするほど、彼女は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。
私が脱いだブラジャーやら、パンツやらの下着類を自分のものだと主張し、洗濯籠からそれを漁り、ストックバッグに入れ、アタッシュケースに入れて持って帰ろうとする。そのアタッシュケースはそもそもどこから持って来たのだ、という問いは、また別の機会にとっておくとして――どうやら、彼女は、恋人同士という関係になったことで、所有権という概念を忘却してしまったとみえる。
それでいて、下着を彼女の手から回収すると、少し不機嫌になるから手に負えない。
仕方ないから、普段あまり身に着けることのない下着を衣装ケースから取り出してきて、彼女に渡そうとすると「そうじゃないのです!」「着ていたものでないと意味がないのです!」と
困った子である。
本当に仕方ないから、不承不承、脱いだばかりの下着を渡すと、たちまち上機嫌となり、遠足の準備をする小学生の如く、大変嬉しそうにバッグにしまい入れる。
私は、彼女の将来が心配である。
彼女が持ち帰ったあとのことについては、何も聞いていない。いや、聞けないと言った方が正しい。なんとなく、触れてはいけないような気がするのだ。だから、私の下着が、いったいどんな風に扱われているのかは、私にはわかりかねる。想像にお任せしよう。
だが、後日――会うのは週に一回であるため、大抵は一週間後――には、きちんと洗濯された状態で返却される。それも、丁寧に小さく折りたたまれた状態で、毎回、お洒落な紙袋に入れてくる。
この上なく律儀だ。
そのことを、大学の友人――
私は、先に書いた、
「――ということがあったんだけどさ、どう思う? 私としては、彼女の将来が心配で堪らないのだけど……」
「いやあ、すごいわかるわあ。うん、超わかる」
「えっ、もしかして、藤咲の彼女さんもそんな感じなの?」
「ああ、いや、そうじゃなくて。恋人の下着が欲しくなるのわかるなあって」
「お前もそっちなのかよ!」
ちくしょう!
相談する相手を間違えた!
「いやあ、まあ、今は同棲してるし、ばれたら思いっきり殴られるから、計画するだけで、実行には移さないけど――やっぱり、彼女が推しで、私はガチオタだからさ、集めたくなっちゃうんだよね。もう、オタクの
うん、だから仕方ないね。
と、藤咲は悟ったような表情をする。
「じゃあ、もう、この話はおしまいだよ。そっち側の藤咲に聞いてもしょうがないわ」
「待って待って、そんなことはないでしょう。
「私の恋人を、キモオタ呼ばわりしないで」
「いやいや、あなたの恋人は、もう十分にキモオタだよ。むしろ、キモオタでしかないね」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん!」
「いいや、そのくらい言わなきゃだめだね。どうやら、君は、彼女さんのキモさを甘くみている節があるようだからさ」
「甘くみている……?」
これでも、彼女の抱えている感情の深刻さについては、理解できているつもりだったのだが……
「じゃあ、聞くけどさ、――瓜宮の彼女さんは、下着を持ち帰って何をしてると思う?」
「そ、それは…………、わからない……」
「はい! それ! ほら、わかっていない。――いや、違うね、わかろうとしていない。それについて考えるのを意識的に避けている」
「う、」
「図星でしょう」
藤咲は、私の額を指さし、にやにやと笑う。
「ほら、彼女さんは何をしてると思う?」
「…………っ!」
くそう。
これはもう、新手の拷問だ……。
「……に、匂いを、嗅いだり、とか……?」
私は、恥ずかしさを押し殺して、そう答えた。すると、藤咲は大袈裟に首を横に振る。
「甘い、甘いよ、南ちゃん」
本当にそれだけかな――――?
「…………え?」
藤咲は、相変わらず、にやにやとした笑みを浮かべながら、言う。
「例えば、××――××するとか」
「××――××!?」
「それだけじゃあないよ。○○○――で、××――××しながら、△△○○したり、とかね」
「○○○――で、××――××しながら、△△○○!?」
あの、ななちゃんが……?
えっちな話題に対して、思春期の少女の如く初心な反応を見せる、あの、ななちゃんが……?
「瓜宮の彼女さんだって人間なんだもん。そのくらいキモいところがあっても不思議じゃあないよ。むしろ自然じゃない?」
そうなのか……?
それが自然なことなのか……?
「いや、でも……、やっぱり、あの子がそんなことをするなんて、私には考えられないんだけど……」
「瓜宮、現実から目を背けちゃあいけないよ。瓜宮だって薄々感じていたんじゃない? だって、脱いだばかりの下着にこだわる変態だよ?」
「そ、それは……」
「いいこと? 瓜宮がしてることは、理想の押し付けだよ。彼女さんには純真であって欲しいという理想の押し付け」
「理想の、押し付け……」
瞬間、視界がぐにゃりと歪むような感覚に陥った。
押し付け――。
それは、私がいちばんしたくなかったことではなかったか。
「理想を押し付けたって、お互い傷つくだけだよ」
藤咲のその言葉は、私自身が痛いほど感じてきたことではなかったのか――。
「ああ、ごめん。生意気に説教じみたこと言っちゃった……」
と、藤咲は、俯いて黙り込んでしまった私を心配してか、そんな言葉をかけてくれる。
「いや、ありがとう。おかげで目が覚めたよ」
本当に目が覚めた。
そうだ。
私の恋人は、ありのままの私を受け入れてくれているじゃあないか。
であるならば、私も、彼女のありのままを受け入れるべきだろう。
オタク気質なところも、キモいところも、全て含めて彼女なのだ。
彼女の全てを愛する、恋人になろう。
「そっか。ならよかった」
藤咲は、安心したように笑う。
「もしかしたら、彼女さんは一週間会えないのが寂しいのかもね。だから、脱いだばかりの下着を欲しがるんじゃあないかな」
と、藤咲が、彼女の行動についての考察を口にしたところで、授業開始のチャイムが鳴り、私の相談は打ち切られた。
私は、急いでノートや筆記具を準備しながら、なるほどと思った。
ななちゃんは寂しいと感じていて、それを紛らわすために下着を持って帰りたがっている。
それはたしかにあり得そうだ。道理にも合っている。
だが……
だが、もし仮にそうだとしても、やっぱり、脱いだ下着を渡すというのはいかがなものだろうか。
私にも、絶対に渡したくない期間はあるし、いくら寂しさを紛らわすためとはいえ、○○○――で、××――××しながら、△△○○なんて、よくない気がする。
いや、絶対よくない。
今はそれで、寂しさが紛れていても、いずれ効かなくなる可能性だってある。麻薬のように、段々と要求のレベルがあがっていくかもしれない。
藤咲の恋人さんのように殴ってわからせるのは論外としても、何かしら手を打たなくては、この先、どこまで増長するかわからない。
――いや、待てよ。
そもそも、ななちゃんが私の下着を持ち帰って家で何をしているのか、その本当のところはわからないじゃないか。藤咲の話も、あくまで自分を基準とした予想だ。実際は○○○――で、××――××しながら、△△○○なんてことはしてなくて、大人しく匂いを嗅いでいるだけの可能性だってある。
いや、それも、健全か不健全かで言ったら、間違いなく不健全で、できればやめて欲しいが、寂しさを紛らわすことで心の健康を保てるのであれば、そのくらいは許せる。
うーん。
どうなのだろう。
実際のところ、私の下着で何をしているのだろうか。
…………。
――いけない。
気になって授業に集中できない!
今、考えてもしょうがないことも、本人に訊いてみないことにはわからないことも理解しているのだが、どうしても思考がそちらに…………
……いや、そうか。
訊いてみればいいのか。
好機逸すべからず。早速、私は、教授にばれないよう、こっそりと鞄からスマホを取り出し、彼女にメッセージを送る。
『持って帰った私の下着って、どうしてるの?』
すると、すぐに返信があった。
一件のメッセージと、一枚の画像。
私は、目を見張った。
『神棚に
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