姫と自分と温泉旅館


 


 大切な、好きな人だと思ってしまったのなら、性別なんて関係ないと、そう言える自分で在りたいと、そう思う。




   ●




 最初は、流行りのSNSで良く流れてくる人だなと、そう思っていた。


 フォローしている人のフォロワーくらいの距離感で、互いに共有された投稿を眺めて『こんな人が居るんだな』って思うくらいの、そんな距離。


 ちょっと変化があったのは、自分が描いたイラストに、その人がいいねをしてくれたこと。


 マイナー寄りのキャラのイラストだったから、反応してくれたことが嬉しくて、ついその瞬間にフォローしたんだけど、そしたらその人も直ぐにフォローを返してくれて、変に喜んだのを覚えている。


 それからは、ついそのキャラや作品のイラストを描く機会が増えて、その人が反応してくれたらガッツポーズするみたいな、そんな一方的な親近感というか、目標意識みたいなのを感じて、ちょっとイラストへの励みになって居たり、内心で感謝していた。


 そんなある日、ちょっと趣向を変えようかと、キャラに着せる衣装のアンケートを取った所、その人がアンケートを拡散してくれながら、



・『一番目の踊り子と悩んだけど、四番目の水着、いいと思います!』



 っていうコメント見た瞬間、例えアンケート結果がどれであっても水着は描こうと決めたよね。うん、我ながら単純な男だな自分。


 アンケートがきっかけになったと言うべきか、それ以降はお互いに直接コメントをする機会も増えて行き、その人、――話題とかから多分男性なんだけど、何故か他の人からは姫様って呼ばれていたので、自分も姫様って呼んでるけど、何度か話をしていく中で、なんとなくその理由が分かった。



 人の話を聞くのが上手いのだ。



 まずこっちの話をしっかり全部聞いてくれて、その上で何処をどうしたいのか、どうしてそうしたいのかを並べて整理してくれる。


 だから話していて非常に心地が良くて、つい頻繁に語り掛けてしまうようになってしまい、あ、これ迷惑になる奴かな? とか思ってしまう程で、確かにコレは姫とか言われても不思議ではないと言うか、タラシだなぁ。


 まあ私もそうしてついつい話しかけてしまう訳で、少しでも恩を返すと言うか、――なんだ、情けない言い方をすると『自分の価値』を意識してもらう為に、その人の好きなキャラを描く頻度を上げたりとか、そういうこすい事もしてしまいましてー……



 そんなある日、姫様の誕生日が近い事を知った。


 折角だしと言う事で、姫様がアイコンにしている銀髪の少女がケーキを持っているイラストを描いてお祝いしたんだけど、これがかなり喜ばれて、ああ、描いて良かったなって、大分経った今でもたまに思うくらいだから、うん、多分、この時から、自分は姫様に恋をしていたんだろう。



 いやまあ推定男同士だし……いや男同士が悪いとかそう言う意味じゃないんだけど、自分は性癖的には銀髪巨乳派で……いやでも男の娘は有りだなとか、いやそうじゃ無くて…………今自分何回『いや』って言っただろうか、往生際の権化かなにかかな?


 そうだね、認めよう自分。――まだ当時は意識してなかったけど、この頃から、自分は姫様が好きだったんだって。



 ……何急に語りだしてんだろうか自分、大丈夫か? 正気になれ正気に。――無理? 無理かー!



 まあそんな感じで誕生日イラスト以降は話をする回数も増えて行き、次第にタイムラインだけじゃなく、個人間のDMでも話をする様になっていったりして、うん、意識してる事を自覚した後だと調子乗ってるなー自分って、マジでそう思う。


 いや、本当姫様は話を聞いて整理してくれるのが上手くて、最初はちょっとした相談程度だったのが、いつの間にかそのイラストの要点や、オリジナルキャラの方向性だったり、結構創作の根底に関わる相談にも乗って貰う事が多くなってしまって、思わず、



・『迷惑かけて申し訳ないです』



 って言ってしまったら、間髪入れずに、



・『私も楽しんでいますから、迷惑ではありませんよ?』



 って返されたりして、何だこの人、女神か? 姫すら超えて神に至るのか? ていうか本気で人タラシだなこの人!!



 でもまあそれからは開き直って創作について相談したり、姫様のイラスト描いたり、誕生日にはお互いが通販サイトでプレゼント送りあうような、友人付き合いとしての日々が続いていった。


 自分は元々飽き性で、イラストなんかも一つの題材の作品をずっと描き続けていくって事は苦手だっだのでけど、姫様が相談に乗ってくれるようになってからは、たまに長めに期間が開く事こそあれ、ずっと続けられている。


 多分、今までの自分は悩みや違和感に直面した時、それを上手く消化できずに放置してしまって、そうした小さな引っ掛かりが積み重なって、『もういいや』と投げ出してしまって居たのだ。


 けれど、姫様と話していると、そうした曖昧な引っ掛かりを姫様が整理してくれて、自分でも気づいて居なかった原因を明らかにしてくれる。


 結果、飽き性だった自分が三年以上同じ題材の創作をし続けているわけで、本当、この人に出会えてよかったって、そう思う。


 そんなある日、ふといつもの創作についての会話の中で姫様が、



・『折角だし、オフ会とかしてみませんか?』


・『うへぁ!?』



 チャットなのに変な声を書き込みしてるのはアレだ、なんだ、ノリの良さだよ! 良さ!! と言うか文字だけだからこそ、自分の感情を表現したり、相手に自分がどう思っているかを伝える為の感情表現描写は必要だって言うのが自分の持論だ。


 いやまあこの時は予期せぬ言葉に内心のテンパりが理性を超越しただけなんだけど、聞いてみると、どうも姫様はPLANTのすぐそばに住んでるらしく、以前自分がPLANTからは離れているけど、同じ県に住んでいると伝えたことを覚えていたようで、じゃあ折角だし会いませんかと、そう言う事だ。



 まあ、うん、断る理由もなかったし、ずっと直接会ってみたいとは思って居た訳で、不安半分楽しみ半分で迎えた当日、待ち合わせ場所にしていた県庁所在地の駅前にやって来たのは、少し自分より年上くらいの、銀髪の髪をした男性だった。


 予想通り男性だったことに、ちょっとの残念とそれ以上の安堵を感じ……え? なんで安堵したのかって? ――だって、これで女性だったらガチ恋不可避だったからね!


 いやでもなんだ、多分歳は自分と同じくらいか少し上くらいで、たしかに男性なんだけど落ち着いた雰囲気と線の細さから妙に色気があると言うか、うわー、ネットでのタラシはリアルの見た目すら老若男女問わず人を引き付ける魅力があるのかとか、そんな事を考えて思考が走っていたところ、



「こんにちは。――はじめまして、でいいんでしょうか?」



 かけられた言葉に、自分は軽く頭を下げながら、



「あーはい、はじめまして。……たしかに、いつもネットで話してるからはじめましてって感覚は薄いですねー」


「ふふ、たしかにそうですね、貴方も思っていた通り優しそうな人で安心いたしました」



 うわ――!! ちょっと口元に握り拳を当てながら微笑んでるだけなのに絵になりすぎるでしょ!? なんだ、これがビジュアル強者の力か!?



「あの、どうかされましたか?」



 おっといけない、少し挙動不審になっていたようだ。



「ああいえ、なんでもありません。見惚れそうなくらい綺麗な人が来たので驚いただけです」



 ちょっと自分でも歯が浮きそうなセリフだなと思ったけど、彼はただ微笑を深めただけで、



「もう、同性相手に何をいっているのやら……でも、ありがとうございますね?」



 おおう、これが年上の余裕と言う奴か……などと場違いな感想を抱きつつオフ会開始と言う事で、ちょうど季節が秋の終わりだった事もあって、以前SNSで姫様が行ってみたいと言っていた蕎麦の産地まで自分のクルマで向かう予定だ。


 本当は蕎麦屋さんの予約をとって置きたかったのだけど、どうも観光地ゆえかそもそも予約のシステムが無い店が多く、まあ行き当たりばったりも良いだろうという結論。


 場所が結構山の上と言う事もあり、車で移動していく最中は基本的に見渡す限り森しか無い様な道を進んでいくわけで、地元の自分としては見慣れた景色と言う事もあってちょっと申し訳ない気持ちがあったのだけど、姫様は、



「うわぁ……! 凄いですね、私の地元ですと山は遠く周りを囲んでる感じでして、あんまり入ることってないので、こうして森の中を上がって行く景色は新鮮です!」



 可愛すぎか――!! 成人男性のしていい反応じゃないだろ……ってあいや嘘です可愛いのでもっとくださいもっと! 自分得――――!!

 

 うーん、思い返すと完全にガチ恋してるねコレ、大丈夫か当時の自分。


 でまあ、途中雨に降られたりとかアクシデントもあったけど、そばに在る神社にお参りしたり、奥社でおみくじ引いたりご当地加護の術式札を買ったりしていれば、ちょうどお腹も空いて来る頃合な訳でして、二人で少し相談しながらこじんまりとしたお蕎麦屋さんへと入って食事をとることにした。



 店内に入れば、少し年季の入った店内は落ち着いた雰囲気に満たされていて、蕎麦の香りがふわりと香って食欲を刺激する。


 雨で体が冷えていた事もあり、出てきた蕎麦茶にほっと一息を付きながら、自分は姫様とお品書きを眺め、



「……姫様、このお品書き、多分手作りですよね……」


「リアルで姫様呼びされることに早くも慣れてしまってちょっと複雑ですけれど、そうですね……手作りでしょうね、こちら」


「ですよねー……、あ、写真のサイズが小さくて内容が分からないのはあるあるですけど、ここの品名が料理ごとにフォント違うの、お洒落にしようとして読みにくくなるやつですね」


「あー……此処とか微妙に文字と枠被ってますし、うーん、デザインしなおしたくなりますね……」


 

 とか好き勝手言って居たら店員さんがすっごい笑顔で注文取りに来たので、思わず頭を下げながら自分は天ざる蕎麦、姫様は御勧めの蕎麦午前を注文した上で、折角なので蕎麦がきも頼んで一段落、と、



「……あの、蕎麦がきってなんでしょうか?」



 あー、あんまり蕎麦に詳しくないと確かに知らないかもですねコレ。



「普通のいわゆる蕎麦って言うのが蕎麦切りとも言うんですが、蕎麦がきは蕎麦粉にお湯を入れて良く練った団子と言うか餅みたいなのですね、食感はもちょもちょしてて、普通の麺の蕎麦よりも香りというか蕎麦本来の風味を味わいやすいですかねー」



 と、まずはメインのお蕎麦が運ばれて来たので会話を一時中断、互いに麺を箸で摘まんでツユへとくぐらせて、少し緑が掛かった蕎麦を啜り、



「ん……美味しいです!」


「ですねぇ姫様、流石新蕎麦は香りがいいといいますか」


「もう、変に理屈付けするの、良くないですよ?」



 これは失態、確かに美味しい理由を考えるよりも、まずは美味しい事実を楽しまないと勿体ないわけで。



「ありがとうございます、姫様」


「お礼を言われる事ではありませんが…どういたしまして?」



 そんな会話を続けながら蕎麦と天麩羅を食べ進めていれば、やや遅れて店員さんが蕎麦がきと思わしきお盆を手に厨房から此方へとやって来るのが見えた。


 蕎麦がきはこういうお店だと、大きめの物を千切って取り分けるタイプか、小さめの物が幾つか入っているタイプがあるけれど、メニューの写真を見る限りこのお店は大きめの物が来るタイプ。


 お蕎麦と天麩羅が大盛だったので少し満腹感が上がってきているけど、まあメニューの写真では値段の割に小さ目な様子だったから、なんとか…………って、



「なんですのこのクソデカ蕎麦がきは……!!」



 思わずエセお嬢様口調になってしまう自分の視界に入って居たのは、両手でなければ持てない様な器に入った一塊の物体だ。


 

「いやマジでなんだこれ……」


「え、赤ちゃんの頭くらいあるのですけれど、ええ……?」



 いやまあ、うん、蕎麦や天麩羅が値段的に見て結構大盛だったから、もしかしてとは思っていたけど、これは流石に……うーん。



「では、先に失礼しまして……」



 姫様の前に自分が毒見と言う程じゃないけれど、頼んだ手前の責任として四等分した一欠けを器に取り、箸で崩して一口食べれば、柔らかな食感に乗って蕎麦の香りとほのかな甘みが口の中へと広がった。



 ――うん。



「――美味しいです、姫様もどうぞ?」


「は、はい、ありがとうございます」



 促される様に姫様も箸で小さく切り分けた蕎麦がきを口へと含み、二度、三度と噛んで喉へと通すと、ちょっと驚いた様に目を見開いて、



「あ、美味しいです。……たしかに麺のお蕎麦とは全然違うんですけど、何て言えばいいでしょうか、暖かい味がします」


「あー、解ります、なんだかほっこりしますよねー。あ、そのままも良いですけど、そばつゆに付けたり、天麩羅の抹茶塩に付けて食べても美味しいですよ」


「……ふふ、物知りですね? 尊敬しちゃいます」



 ……うわー、何ですかこの人本当可愛すぎると言うか、同性で年上なのに丁寧な口調と物腰がどことなく女性的な部分もあって危ない、一歩間違うと戻れなくなりそうな予感がひしひしと感じて来る。


 

 ヤバイ、割と本気でヤバイ。



 とは言えそんな事を口に出す訳には行かないし、気取られるなんてことも合ったらマズい。何せ向こうは純粋に自分とのオフ会を楽しみに来てくれているのだから、そんな下心にも似た感情を抱くなんてことは論外だし、うわ――どうしよう!!





   ●




 蕎麦屋を後にした自分達は、一度駅周辺の街中に戻って観光名所を幾つか回ったのだけれど、神社の奥社に行ったりと結構歩き詰めだった事もあり、四時過ぎに一度休憩と言う事でちょっと外れた所の喫茶店へと入ることにした。


 流石に二時間近く歩き回って居れば多少はお腹もこなれて来たのと、珈琲一杯で立ち去るのはなと言う思考で、ケーキセットを頼んだのだけれど……、



「「じゃあ、レアチーズケーキとホットコーヒーのブラックで」」



 メニューもタイミングも一致した完全なハモリだった。



 思わず二人そろって吹き出してしまいながら、姫様は口元を隠す様に微笑みを浮かべて言葉を紡ぎ、



「ふふ、なんだか気が合いますね、私達?」


「え、ええ、そうですねー?」



 いやあっぶな!? わざとこっちをときめかせようとしてませんか姫様!?



 その後も駅のお土産物コーナーではしゃいだり、夕飯のお店が決まらなくて二人で右往左往したりとグダグダしたりもしたけれど、気が付けばあっという間に時間は過ぎていて、姫様の帰りの列車の時間になっていた。



「今日はありがとうございました、とっても楽しかったですよ」



 改札前でそう微笑む姫様に、自分は軽く頬を掻きながら、



「あはは、所々ぐだって申し訳なかったですけど、楽しんでもらえたなら良かったです、姫様」


「ふふ、気にしなくていいですよ、貴方と二人で考えて選ぶのも、楽しいですからね」



 ……本当この人は、今自分が欲しいと思ってしまう言葉を言ってくれる人ですねぇ……。



 これはちょっと間違うと沼にハマる様に依存してしまいそうなので、より一層自分を引き締めていかなければと思って居ると、駅のホームにまもなく列車がやって来るアナウンスが響いたので、



「それじゃあ今日はこのあたりで、また機会があればこうしてあって貰えたら嬉しいです、姫様」



 何のことは無い、社交辞令と思って貰って構わない様に言った本心の先、彼は少し悪戯そうに微笑むと、



「ありがとうございます! じゃあ今度はお泊りで温泉とかどうですか? 確かこっちの方に名所ありましたし、楽しみにしていますね!」



 そう言って手を振りながら改札へと消えていった彼を見送り、姿が見えなくなった所で、自分は一つ息を付き、



「――――魔性かあの人!? なんかもう怖いんだけど!?」



 周囲の人に不審者を見る目で見られ始めたけど、正直それよりも自分の感情を押し殺す方が大変だったです、はい。





  ●




 それから数ヶ月経って今に至る訳なのだけど、じっさい現在何をしてるかと言うと、



「――ふふ、素敵なお部屋ですね?」



 温泉宿の一室で、メイド服姿の彼に膝枕をされていた。




 ええ、まあちょっと待ってください、一から説明しますので。




    ●



 発端は一か月前、ふとSNSで上がった話題にさかのぼる。


 ちょっとお互いのフォロワーに女装過激派と言うか、気に入った人に『女装しませんか!? ていうかメイド服着ましょう!!』って言ってくるちょっと変わった人が居るのだけれど、当然姫様も激押しされて居た訳で、彼自身はそれとなく受け流していたけれど、ふと、その光景を見ていてDMで言ってしまったのだ。



・『姫様、絶対メイド服似合いますよねー』



 うん、これは本心です。


 この前のオフ会で出会った時に心底思ったけど、姫様は男性とは言えどちらかと言うと中性寄りの雰囲気で、髪色が自然な銀色な事も相まってふとした瞬間に見惚れてしまう色気があるから、間違いなく女装は似合うし、メイド服と銀髪の愛称は抜群だ。



 とは言えこの時の発言は本当にただ『似合うよなぁ』と思って言っただけで、着てほしいとかそう言う意味を含めた物では無かったのだけれど……



・『そうですか? ――でしたら、今度二人で女装オフ会しましょうか!』



 WHAT?



・『女装オフ会?』


・『はい、女装オフ会ですよ?』


・『自分と姫様で?』


・『はい、貴方と私、二人でメイド女装オフ会です』





   ●



  

 そうして現在に至る訳で、そう、つまるところ、膝枕されている自分もまたメイド服だ。


 しかも折角女装でメイド服を着るのなら、安っぽいコスプレ衣装を買うのは何だか負けた気がするし、姫様の前でそんなちゃちい格好は見せたくない、と謎の凝り性具合が出てしまったことで、ガチのコスプレ衣装サイトで取り扱われている生地から本格派のクラシックメイド服を買ってしまった訳で、何とお値段五万円、馬鹿か自分?



 その上……、



「ふふ、それにしても、貴方も私と同じメイド服を買っていたなんて、素敵なシンクロですね?」



 そう、姫様が買っていたメイド服も同じショップの全く同じデザインの物であり、結果温泉旅館でペアルックメイド服女装オフ会という中々にカオスな状況が爆誕している訳なのだけど、



「あの、それは確かに素敵かもなんですが……なんで、自分、姫様に膝枕されてるんです?」



 先程旅館の中居さんに案内されてこの筍の間……普通こういうのって松竹梅とか楓じゃないのだろうか? に案内された後、一息を付いて『取り合えず女装してみましょうか?』と促されるままに着替えて写真を取り合って居たら気付いたらこの状況。何かイベント見逃しました自分?


 困惑に包まれた視線で見上げる先、メイド服を着ていると殆ど女性にしか見えない様な姫様は、此方の頭へとそっと手を置くと、



「何でと言われましても、以前、して欲しいと言っていらしたからですよ?」



 そう言われてみると、確かに以前、『姫様に膝枕されたら幸せですねー』と言っていた記憶がある。


 いやでもあれはその場のノリと勢いというか、いやだからと言ってこの状況が嬉しく無いかと言われれば滅茶苦茶嬉しいわけで、うーーーーーん?



 と、不意に額に暖かな感触を感じて視線を上げれば、彼の掌が自分の頭を優しく撫でていて、



「ふふ、どうです、心地よいですか?」



 微笑みながらそう問われてしまえば、取り繕う事も、照れ隠しをする事も出来はしない。だから、自分は姫様の瞳を下から覗き込みながら、彼と同じ微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。



「はい、姫様にこうして貰えて、幸せです」



 その言葉に、彼はほんの少しだけ頬へと赤の色を浮かべると、此方の視線を遮る様に額から瞼へと手を撫でおろし、



「ふふふ、でしたら、もうしばらくこうしてあげますから……眠っても、いいですよ?」


「いや、流石にそれは……」



 悪いです、と、そう言おうとしたのだけれど、温泉旅館までそこそこの距離を運転してきていた事もあり、彼の掌から感じる温もりに身を任せたまま、自分は意識を手放していた。




  ●




 心地よい温もりを感じ、夢か現か分からない微睡の中、ふと、声を感じた。


 それはきっと、子守唄。眠る相手が起きない様に、柔らかな声で紡がれる優しい音色は眠気で上手く判別できないけれど、姫様の声に似ていて、けれど少し高い女性の声音。


 その事にほんの僅かに感じた違和感も、眠気と心地の良いリズムに押し流されて消えていき、自分はまた、目覚めかけた意識を再度の眠りに手放していった。




  ●




「…………ん」



 瞼が、開く。



「おや、目が覚めましたか?」


 オレンジ色の柔らかな灯光術式の光の眩しさに、開いた瞼を細めながら見上げた先、此方を上下逆さに覗きこんで居るのは、変わらない微笑を浮かべた姫様だ。


 その笑顔と、微睡に落ちる前の記憶を照らし合わせ、自分は今の状況を思い出し、



「――あ、すみません、本当に眠ってしまって……!」



 慌てて体を起こして机の上に置かれた時計へと視線を向ければ、針は午後五時を指していた。


 旅館にチェックインしたのが二時だった事を考えると、少なく見積もっても二時間近く彼の膝を借りて居た訳で、見れば、彼は自身の足へと疲労回復の術式陣を軽く展開しており、結論言いますとやっちまったと言いますか――



「大変申し訳ございませんでした!!」



 思わずメイド服を着たままな事も構わず全力の土下座を向けた先、姫様は軽く手を左右に振りながら、



「いえいえ、大丈夫ですよ、可愛い寝顔も見れましたからね」


「かわっ!? いやいやいや、姫様くらい美形ならともかく、自分の寝顔とか見るだけ損ですよ!!」


 

 照れ隠しではなく、割と本気で思った言葉だったのだけれど、

 


「いーえ、それを決めるのは貴方では無く私ですから、――可愛かったですよ、ええ」



 そう断言されてしまえば、もはや自分が何を言っても意味は無いわけで、と言うか姫様平然と可愛い可愛い言い過ぎじゃないですかね、こっちはガチ恋してるんですから危機感持って下さいよ!!


 ――いやまあ同性にガチ恋してるのは流石に話せないので伝えてないから、危機感持って貰うのは無理な気はするんだけどね。



「さて、そろそろお夕飯の時間ですから、一度着替えておきましょうか?」



 言われてみれば、流石に中居さんが部屋に食事を持って来た時にメイド服はマズい。


 なので言われるがままに姫様と一緒に立ち上がり、着替えを置いてある方へと歩き出した時、



「あ、――――ッ!」



 足の痺れが取り切れていなかったのか、バランスを崩した姫様が転ぶように倒れ込む先には、部屋の中心に置かれた座卓の角が丁度あり、咄嗟に自分は手を伸ばし、



「危ない!!」



 伸ばした手は辛うじて姫様の手を握り締め、強引に引き抜くように引き寄せれば、彼の倒れ込む先は座卓の角ではなく此方へと変更されることになり、とは言え強引に引っ張った事で自分も受け止められる様な姿勢ではない訳でして――



「とわぁ!?」


「――きゃ!?」



 鈍い音が響いて床に仰向けに倒れ込んだ自分の上に、うつ伏せの姫様が倒れ込んで来たわけで、思わず抱き締める様な姿勢になった事で感じる彼の髪の香りが甘く漂って、一瞬変な気分になりそうになって慌てて自分は首を横に振り、



「だ、大丈夫ですか姫様、怪我は!?」



 問いかけた先、此方に倒れ込んだままの姿勢の姫様は、



「は、はい、貴方のおかげで、大丈夫です、……あ、ありがとうございました」


 

 そう言いながら起き上がった姫様は、慌てた様に両手をわたわたと左右に振って言葉を放つ。



「と、と言うかごめんなさい、下敷きにしてしまって、重かったですよね!」


「いえ、まったく、姫様細いですし――」



 これは事実だ。


 勿論全く重さがないという訳ではないけれど、姫様は男性としては華奢な方だし、今も此方に体重が乗り切らない様に手を付いてくれていたから、重いと感じる程の事は何も無い。


 と言うか、どちらかと言うと――



「――髪の匂いが良い香りで、ちょっとドキッとしてしまいました」



 何言ってんですかね自分は?



「――――」



 ほら、姫様も思わず絶句してるし、これはさっきと別の意味でやっちまったよどうすんだオイ。



「え、ええと、それじゃあ早く着替えましょうか! ――中居さん来たらマズいですからね!!」


「は、はい、そうですね、着替えてしまいましょう……!」



 うん、滅茶苦茶気まずいけど何とか誤魔化せたと言う事で、いいよね? だめか!! こんちくしょ――――!!





   ●




 その後、着替え終わって服をしまったタイミングで中居さんが訪ねて来たりとちょっと焦った場面はあったけれど、一先ず夕食を済ませて、食休みをしてから向かう先は、部屋の外に備え付けられた露天風呂だ。


 露天と言っても、この辺りは冬の寒さが厳しいので完全な屋外ではなく、周囲を檜の板材で囲われ、外に面した一面が丁度景色が見える様に切り取られている様な形のもの。


 室内側に付けられたシャワーで体を流し、年月が経って味わい深く変色した石張の浴槽へと足先から浸かれば、冬の冷たい夜風と少し熱い湯の感触が溶け合って、思わずハッと息が漏れる様な心地よさに包まれる。



「ん……いいお湯ですねぇ……」


「そうですねぇ姫様……はぁ……」



 二人並んで入る浴槽は、少し濁ったお湯で中の様子は見通せない。


 だからだろうか、タオルを湯船に付けない様にしながら汗を拭う姫様の姿は、ともすれば先程のメイド服以上に艶のある雰囲気を見せつけていて、知らず、自分はその横顔に釘付けになっていた。



「……あの、どうしましたか? 先程から此方をじっと見つめていますけれど?」



 その視線に気が付いた姫様の言葉に、自分は思わずお湯を飛沫かせながら身を捻って視線をそらし、



「あ、す、すいません! ――ちょっと、綺麗で見惚れてしまいまして」



 何言ってんだ自分――――!!?



「あ、あはは……もう、何を同性相手に言っているのですか」



 うわ――……姫様の困惑交じりの声マジきっつい――、いやもうね、やらかし過ぎて顔見れないですよね、ってことで、完全に体ごと向きを変えて湯船に暫く浸かって居ると、



「……ん、ちょっと熱くなってきてしまいましたので、先に上がらせてもらいますけれど、貴方はどうされますか?」



「あ、はいそうですね……じゃあ自分も……」


 

 上がります、と言いかけて振り向いた視線の先、宣言通りに湯船から体を立ち上がらせた姫様の肢体を伝う玉の様な湯の雫とほんのりと赤みを帯びた肌が目に焼き付いて――



「……すみません、やっぱりもう少し入っていきますので、先に着替えていて下さい……」


「……? そうですか? では、お先に失礼いたしますね?」



 そう言って首を傾げながらシャワーでお湯を流して脱衣所へと戻って行く姫様を背にしながら、自分は必死に沸き上がってしまった熱と感情を静まらせんと無心で湯に浸かるのだった。


 

 ……でもこのお湯、つい今まで姫様も使ってたんだよなぁ……





    ●




 煩悩を消し去るのに追加で十分ほど湯に浸かっていた結果、流石に逆上せ気味になって湯船を出る。


 此処は泉質が濃い為そのままだと肌が荒れるので、よくシャワーの真水で体を流してから脱衣所に戻り、備え付けの浴衣を羽織って部屋へと戻る。


 脱衣所に備えられていた浴衣は自分と姫様の二人分の筈なのだけれど、二着とも残っていた事に、『ああ、姫様は自前の寝間着派か』などと思いながら部屋へと繋がる襖を開くと、



 ……電気が消えてる?



 露天風呂に入る前は点いて居たので、当然先に上がった姫様が消したのだろうけれど、時間はまだ八時を回った所で寝るには早いし、ちょっと理由が分からない。


 けれどもしかしたら彼は早めに寝るタイプなのかも知れないので、念のため声を掛ける事はせずに部屋へと入って襖を締める。暗闇に目が馴染むまでは何も見えないけれど、まあ数分じっとしていれば移動に支障は無いだろう、と、



「――――えいっ」



 不意に響いた女性の声と共に、体が背後から抱き締められていた。


 前に回された服の袖が暗さに慣れて来た瞳に映り、それが先程自分達が来ていたメイド服であることと、そして何より、背後から香るこの髪の匂いは……



「姫様?」


「ふふ、正解です♪ ――まあ他にあり得ませんけどね?」



 うん、一応部屋に鍵は掛けてるから、居るとしたら姫様か泥棒くらいなんだけど、



「あの、なんでメイド服なんです?」



 とっさに口を出た疑問に、姫様は首を傾げる様な動きを背後で取りながら、



「え? だって、着替えておきますね、って、そう言いましたよ?」



 いやまあ確かに何に着替えるかは聞いて居なかったですけども、というかええと、それよりもっと今気になる事がある訳でして、



「……あの、姫様、声が……というか、背中に何か柔らかい感触が当たっているのですけど……!」



 そう、今聞こえている声は普段の姫様より明らかに高く女性的でありながら、無理に作っている様な違和感も無い落ち着いた声音。一応そういった変声の術式が無いわけではないけれど、それならこの距離では術式の光が見える筈だし、何より、背に当たる柔らかな感触の説明が付かない。


 勿論、偽乳……と言うとアレだけど、そうしたファッション……ファッションかなぁ……用品という物もあるけれど、だとしても姫様が自分へのドッキリだけの為にそんなものを用意するとは……いやするかもな、この人案外ノリがいいし。



 まあそんなこんなで思考が完全に取っ散らかっている自分の耳に、そっと囁く様な姫様の声が響き、



「ふふ……知りたいですか? ――でしたら、此方をどうぞ」



 そう言って手に握らされたのは、この部屋の灯光術式をオンにする為の遠隔端末。同時に背に押し付けられていた柔らかな感触が離れていき、



「……目を閉じて、私が合図をしたら、目を開けながらそれを押してくださいね?」



 言われるがままに目を閉じれば、背後の気配が横を通り過ぎて前へと至り、何やら床に布を敷く音と寝ころんだような衣擦れの様な響きが聞こえて来て、あの、なにしていらっしゃるんですか?



「……ん、良いですよ?」



 促しの合図に目を開けば、灯した明りに一度視界が瞬き、数瞬の間を開けて馴染んだ瞳に映るのは――――



「……え?」



 そこに居たのは、畳に敷かれた布団に横たわる、一人の女性。



 仰向けに寝そべった白のシーツの上に広がる銀のロングヘアーに、メイド服の前面を押し上げる豊かな双丘。


 僅かに頬にさした紅の色彩に、吸い込まれそうな程に澄んだ青の瞳。


 その姿はまるで、自分が良くイラストにする姫様のアイコンのキャラが現実に現れたかのようで……



「……姫様、ですよ、ね?」



 我ながら困惑し過ぎだな……と思いつつ問いかけた言葉の先、メイド服の女性はゆっくりと頷きを作り、



「ええ、勿論……私ですよ?」



 紡がれた声は、先程と……そう、微睡んでいた膝枕の時に聞こえた子守唄の音色と同じ声。


 思わず呆けた様に立ち止まってしまった自分の耳へと、再度頷いた姫様の声が響いてきた。



「――シェイプシフター、それが、私の変異の名前なんです」



 シェイプシフター、本来は様々な姿に化ける事が出来る化物の総称で、実の所スライムなんかもこの括りに入ったりすることがある。


 ――けれど、姫様の場合は、そうでは無いだろう。



「……変異としての力は余り強くないので、出来る事は性別を変える位で、他人に化けたりは無理なのですけれどね?」


 

 それでですね、と、姫様は言葉を続け、



「――貴方は、男の私と、女の私、どちらがいいですか?」


「……え?」



 突然の問いかけに、思わず情けない疑問符で返してしまった先、姫様は何処か寂しそうな微笑みを浮かべると、



「……私、自分の本当の性別が分からないんです」



 その言葉に、自分は思わず目を見開いて、



「性別が、わからない?」



 オウム返しの問いかけの先、姫様は深く頷いて言葉を続ける。



「……私の両親は、PLANTが出現する以前からエーテルについての研究を行っていたのですけれど、」


 

 知っていますか? と、声は響いて、



「人体の変異は、PLANTによって引き起こされたと言われていますけど、実際はPLANTはあくまでエーテルを乱散させただけで、変異を引き起こす本質は、励起したエーテルが幼い人体に作用することで生じるんです。

 ですので、実は変異持ちの人自体は、PLANTの出現前から、エーテルを研究していた人々の中では生じていたんですよ?」



 ですから、



「……当時、まだ母のお腹の中にいた私は、性別も分かって居ない胎児の段階で変異をしてしまったのです。ええ、母曰く『検査のたびに性別変わっていたから驚いたよね』とのことでして……まあその辺気にしない豪気な両親だったので、普通の子供として大切に育てられましたけれど……」



 けれど、と、彼女は重ねて言葉を繋ぎ、



「……生まれた時から性別の変わる特性をもっている私は、自分が本当は男性なのか、女性なのか、それさえも分からないのです」


「――――っ」



 姫様の言葉に、自分は重い息を飲む。


 性別という物は、今では昔ほど社会で重要視されないとは言えど、それでも自分自身を形作る根底の一つには変わりがない。


 その性別が自身でも分からない程に不確かだと言うのなら、――否、それ以上に、『自分で意のままに変えてしまえる』のなら、それは、自分と言う存在が揺らいでしまう事にも繋がりかねないだろう。



 だからだろうか、姫様は一度大きく息を吸い込むと、僅かに目元に雫を浮かべて口を開き、



「あまり自分を変えるのは避けたくて、実生活でもネットでも極力男性として振舞う様にしていまして、――実生活は元より、ネットもやっぱり男性の方が少しは安全ですからね。

 ……ですけど、アイコンだけは女性の自分を元にして、どちらでも無い自分を表現したくて……ですから、男性扱いされながら、姫様って女性の呼称で呼ばれるのは、気に入っていたんです」



 ふふ、と、彼女は一度此方の目を覗き込む様に顔を上げ、



「オフ会自体はそれまでもしていましたけれど、やっぱり皆さん、会えば男性と言う事でハンドルネームで此方を呼ばれまして、でも、貴方だけは、現実にこうして出会っても、男性として接しながら、『姫様』と、そう呼んでくれましたよね」


「……あー、それは、何と言うか、その呼び方がしっくり来ただけでして、別に深い意味とか微塵も無くてですね……」



 頭を掻きながら口元を歪めて伝えた言葉に、いいんですよ、と、彼女の言葉は返る。



「例え意味が無かったとしても、そう扱われたことに、私は救われたんです。――ですから、つい嬉しくなってしまって、この前のオフ会でも、今回でも、ちょっと貴方に対して積極的に行動してしまって居ると言いますか……『同性の姿で、女性的に接した時に、何処まで許容して貰えるのでしょうか?』と、そんな事を考えてしまいまして……」


「……あー、言われてみると、結構思い当たる節もありますねぇ……」



 前回のオフ会はまだしも、今回の膝枕などはその象徴みたいなものだろう。うん、全く気にせずふっつうに喜んでたけどね自分。



「……ですから、私は決めたんです」


「……何をです?」



 促しの言葉の先で、一度逡巡する様に俯いた姫様は、もう一度、真っ直ぐに此方を見つめて来て、



「――――私は、自分で自分の性別が分からないのです。だけど、それは言い換えれば、私はどちらにでも合わせられると、そう言う事だと思うのです」


 

 ですから、と、手を伸ばして、何かを求める様に言葉は続き、



「――選んでください、私が好きになった人。男の私と、女の私。……貴方が望む私を、私は、自分の本当の姿だと、そう信じますから」



 それは、まるで好きな食べ物を聞く様な気軽さで語り掛けられた言葉。けれど、自分の根底の一つを他者の選択に委ねると定め、それを言葉にすることが、どれだけこの人にとって大切で、――恐ろしい事なのかは、自分には想像する事しかできはしない。



「……分かりました」



 だから、自分は言う。出来る限りの言の葉に、出来る限りの想いを乗せて、この人の心に届けと声を放つ。



「――自分は、どちらも選ばない事を、選びます」



「――――え?」



 告げた言葉の先で、姫様が困惑に目を見開いたけれど、自分は構わず言葉を繋ぐ。



「男性の姫様も、女性の姫様も、どちらも正しく姫様なんです。――選んで、どちらかを捨てるなんて、そんな事は出来ません」


「で、ですけど、それじゃあ……私は、どちらにもなれない、普通の人が持っている、当たり前すら持てなくて……」



 その言葉に自分は思う。ああ、そうか、きっとこの人は、気が付いて居ないんだ、と。


 さっき姫様は、『両親は気にしない豪気な人』と言って居たけど、そうじゃない。――姫様の両親にとっては『それが当たり前』なんだ。


 男とか、女とか、そんな事は関係ないのではなく、『どちらでもあるのがこの子』だと、そうありのままを受け止めていたのだろう。


 きっと姫様もその事を心の何処かでは分かって居て、でも気が付いて居ないから、こうして揺らいで、他者の選択に己を委ねてしまおうとしている。


 だから自分は言葉を伝える。自分がこの人の事を決めるのではなく、この人が気が付いて居ない『当たり前』に気が付いて貰う為に声を届けるんだ。



「いいですか姫様、自分が好きになったのは、ネットで、男性として振舞いながら、それでも姫様と呼ばれていた貴方です」


 

 そうだ、先程この人は言っていた、『ネットではどちらでもない自分を表現したかった』と。


 なら、それが答えなんだ。ただ、『無い』のではなく、『在る』だけで。



「男性であり、女性でもある、どちらでも無いんじゃ無くて、どちらでも在る。――そんな姫様の事が、自分は好きになったんです」



 だから、自分は伸ばされた彼女の手を取って、上に覆い被さる様に膝を付きながら、



「どちらかを選ぶなんて、そんな勿体ないこと出来ませんよ。男性の姫様も、女性の姫様も、自分は等しく大好きで、一人の人として、愛してるんですから」



 我ながら歯が浮きそうな台詞だけれど、伝えた想いと言葉に嘘はない。そして、その言葉が正しく伝わっていると、自分はこの人を信じている。



「……馬鹿ですね、貴方。ここで女性って言って居れば、周囲に何も言われず、いつでも私と一緒に居られるのに」


「おや、互いに相手の事を大切に思っているのなら、男女の差なんて些細な事ですよ? ――それに自分が男性の姿の姫様にも興奮している事は、姫様は既に気付いて居ると思いますが?」


「……そう言う事は言わなくて良いのですよ、もう」



 ですけれど、と、姫様は何度目か分からない繋ぎの声を紡いで言葉を続け、



「私は私のまま、貴方と共に在ることを誓います。――でも、いまだけは、折角この姿なんですから……」



 その手指が、自分の背に回り、引き寄せられる様に抱き締められながら、その柔らかな声が、息の掛かりそうな距離で甘く囁く言の葉は、



「――貴方の為に用意したこの衣装、丹精込めた据え膳を食べて下さらないなんてことは、ありませんよね?」




 答えを返すより先に、唇が触れ合い重なって、互いに求める様に絡めたその温もりを、自分は死んでも、忘れる事は無いだろう。

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