ケーキ娘は食べられたい




 パティシエが美味しく食べて貰う為にお菓子を作るのなら、お菓子は美味しく食べて貰う為に自分を作るのでしょうか?




    ●




 夏休み初日の土曜日、目が覚めたら全身クリームまみれになっていました。


 いやいやいや、ちょっと待ってどういう事です? え? 何、私が寝てる間に誰かケーキでもぶちまけたの? あ、こんな所に可愛い女の子がいるな、よーしケーキのプレゼントだ全身で味わえコラアアアアアア!! って感じですか? それでそのまま退散とか何がしたかったんですかねその人。


 ――というか流石に気付きますかそれは。


 けどじゃあ何でこんなにクリームが……と思って、気がつきました。



 足が無いですよ私!



 いやあります、あるんですけど、パジャマの膝から下が曖昧と言うか、空気の抜けた風船の様にひしゃげて居る訳で、ついでに言うと、クリームは服の内側や隙間から滲んでいてつまりは溶けだしました?


 あーー、と、何となく諦めと察しを得ながら体を起こし、私は部屋の端にある化粧台の鏡に顔を向けて、



 そこには、全身白のクリームで形作られた自分が映っていました。

 


「変異ですかーー!!」



 うん、間違いなく変異、それも速攻系の食品系ですね。


 パジャマの下の身体を覆うクリームは見るからに生クリームですし、全身所々に新鮮な苺が乗っている上、クリームの下に見えないけれどスポンジ生地の様な感覚がある辺り、多分ケーキですねこれ。


 眉毛なんかは生クリームのデコレーションみたくなってますけど、目は流石にそのままだったり、変異の不思議部分と言うか、神経系や呼吸器系どうなってるんでしょうか。


 まあそんな事は自分じゃ分かる訳がなく、取り合えず今はこの後の行動をどうするかです。


 そうして再度見渡す視線の中、やはり一番の重要案件は寝床とパジャマな訳でして、


 あーー、布団の中もパジャマもすっごいクリーミーっていうか染み込んじゃって最早オイリーなんですけど、これ洗濯機で洗ったら洗濯機ぶっ壊れるんじゃないでしょうか?


 それに全身クリームになってるって事は今までの服ほぼ着れなくなってますし、布団も特殊系変異用に新調しないといけないし……



「……うわ、これ全部で一体いくらかかるんですかね」



 まて、大丈夫です。確かこの手の特殊変異系はそう言った装備類の確保のための補助金が出た筈。特に生活必需品や衣服系が着用不可になった場合は申請すればその補填もあるって前に授業で習った気がするし、いけます。


 つまりまず行くべきは市役所の変異課。今日は土曜日で市役所は休みだけど、変異課は24時間365日対応してる超ブラック部署だから問題ありません。


 この辺り、変異課は市役所の一部署ですけど、本質的には巨大植物を管理してる団体であるPLANTSが運営している事で実現してるそうで。担当者の方はお疲れ様ですと言うしかないけれど、変異はいつ来るか分からないからありがとうございます助かります。



「よし、じゃあ着替えて市役所いきますか……」



 と、そこまで言ってから、自分はクリームまみれの布団を退かし、潰れて中身のない膝から下をじっと見つめて、気付く。



「物理的に足無いんですけど――!?」



 しかも一人暮らしだから親もいないわけで、あれ、もしかして詰んでますか私?

 




   ●



 それから一時間後、私は住んでる地域の市役所に併設された変異課の施設で検査結果を待っていた。


 移動手段が無いどころか物理的に歩くことすら不可能な事に気づいた時は、割と本気で絶望仕掛けたわけですが、そこはなんとかなったというか、



「……変異課にお迎えサービスがあって助かりました……」



 まさかと言うべきかやっぱりと言うべきでしょうか、私のように変異の影響で移動が困難になったり、人目を気にして外を歩けなくなった人の為に、車で職員の人が迎えに来てくれるサービスがあったのです。


 全部自宅で検査までやってくれるのもあるみたいですけれど、私の場合は書類の申請の他に変異課で持ってる特殊変異系の為の装備や加護の契約も必要なので、迎えに来てもらって市役所と言うわけで。


 そうして変異特定検査の結果と、その後の説明を聞きながら各申請の書類を書いて、変異課で保管してる特殊変異用の衣服や最低限必要な装備を貰えた訳なのですが……、



「……あの、なんですかこのケーキワゴン?」



 今、私は少しアンティーク感のある、けれどシンプルで頑丈なケーキワゴンの上に座ってます。


 問いかけた言葉の先、眼鏡の似合う銀髪の担当職員の女性は、愛想笑いではない笑みをこちらに向けて口を開いて、



「ふふふ、やっぱりケーキにはワゴンね、ええ、よく似合ってるわよ?」


「……似合ってるのは我ながら同意するんですけど、移動用の車椅子を貸与してくれるって話でしたよね? なんでケーキワゴンなんですか?」



 私のように足そのものが無くなる変異もあれば、人魚系の様に歩行に適さない足になってしまう人もいます。


 なのでそうした人用に身の傾きや思考制御で使用可能な車椅子などの移動装備があり、変異課だと保険代としての月数百円くらいでレンタル可能と言うことだったのでお願いしたのですけど、出てきたのはケーキワゴン、ホワイ?



「ええ、変異用の補助装備は今では量産品が主になっているけれど、いくつか職人さんが手作りしてるのもあるのよね。……で、中には作ったは良いけど特殊変異過ぎて購入者が出ないものとかもあって、そういった物を地域の変異課だったりが少しお安く買い上げてるの」



 たしかにそんな話は以前聞いたことがありました。量産品が主だからこそ、細かい変異の違いで調整は必要になり、そうしたことを仕事として請け負っている人は、趣味で装備そのものも作ることが多いとかなんとかでしたか。


 そんな事を考えていた自分の耳に、担当の女性の声が続けて聞こえてきました。



「そのケーキワゴンもその一つで、サイズはコンパクト、階段とか悪路での安定性とか、性能もむしろ量産品より全然上なんだけど、流石に食品系変異は希少だし、やっぱり皆『普通のが良い』って言って断られちゃうのよね」


「え、断って良いんですか? だったら私も普通のが良いんですけど……」



 いやまぁ凄くしっくりは来るんですけれど、あまりにもしっくり来すぎて逆に恥ずかしいと言うか、そんな気持ちでチェンジをお願いすれば、彼女は口元に指先を当てて首を傾げ、



「そう? まぁ勿論それでも良いけれど……そのケーキワゴンなら、レンタルじゃ無くて無料で支給に出来るわよ?」


「これでお願いします!!」



 やったー! お金浮きましたーー!!




   ●




 流石に軽率に飛びつき過ぎましたかね……と、周囲からの目が痛い帰り道をケーキワゴンに乗って私は進みます。



「……むむむ、なにげに乗り心地いいですね」



 いや本当、乗り心地も使い勝手もかなり良いです。


 職人が趣味で作った一品物と言うことで細部とか結構雑に組まれているんじゃないかと思ったりもしましたが、路面の凹凸で生じる振動は乗っている自分に僅かしか来ませんし、思考操作での方向転換や静止も自分の足で歩いていた頃とほとんど差が無い上、ワゴンに組み込まれてる加護で空気中のホコリも弾いてくれるので加護代が相当浮きますねコレ。



「……なんでこの機能を普通の見た目で搭載してくれないのでしょうか……」



 とはいえ、もしそうだったなら売れ残る事も変異課で引き取られる事も無かったでしょうから、私の所には来ない訳で、世の中とは上手く行かないものであります。


 と、そんな事を考えていればもう家に辿り着きました。


 汚れ防止と補強を兼ねた手袋を付けた手で鍵を差し込み、扉を開けた自分は、乗り込んだケーキワゴンでそのまま中へと入っていきます。


 靴を脱ぐ代わりにワゴンの取っ手に付いたボタンを押せば、土間から上に上がる動作に合わせてタイヤが洗浄されてから位相空間に格納され、室内用の物へと切り替わりました。



「……役所で説明受けたし見せてもらいましたけど、コレ普通に買ったら車買えるやつじゃないでしょうか?」



 普通こうした移動用の補助装備ですと、タイヤ部分は屋内に入る際は布で拭いたあとに洗浄用の符で消毒するのが一般的で、少し高級品になると汚れ弾きの加護と付着した汚れを分解する術式がセットになっている物もありますが、コレみたいに屋内用のタイヤへの切り替え機能まで収まっているとなると、文句無しの最高級品。


 見た目さえまともなら言う事無いんですけどねぇ……いや、正直普通の車椅子タイプより遥かにしっくり来るのですが。


 取っ手の描くカーブの柔らかさとか、ワゴンの座る部分に施された華美にならない装飾は綺麗ですし、全体の雰囲気も主張が激しく無くて、上に乗る自分を引き立てる様に感じられてちょっと気分が上を向く。



 ――うん、認めましょう、正直デザインは滅茶苦茶好みです。



 そして何より、細かな動作の無理のなさから、このケーキワゴンを作った職人が、これを使用する人の事を第一に考えているのが読み取れて、少し、どんな人が作ったのか気になってしまう自分が居る。



「……今度時間が出来たら、変異課のお姉さんに聞いてみましょうか」



 まあ、今はそれより部屋の片付けです。明日には変異課から色々支給品が届くみたいだし、頑張りますよー!





   ●



 翌日、変異課の職員の人が来て、自分の様な変異持ち様に調整した加護の符を部屋の床や壁に設置してくれたので、多少クリームを零しても簡単に落ちる様になりました。


 符は月一で交換が必要ですけど、これに関しては変異課……と言うよりその運営団体であるPLANTSの方でお得な年間プランを契約したので問題無し。月々千円かかりますが、加護を自前で賄おうとすると私の様な普通過程人間のエーテル量では厳しいから有難いです。


 寝具も汚れを弾く防水仕様のシーツと布団を支給して貰えたので、一先ずは安心、なのですけれど、



 悲報、服類全滅。



 うん、分かってはいましたが、今までの服はほぼ全部着れなくなってますね。


 一般科で制服含めてインナースーツを持って居なかったのがここに来て痛いです。基本的にインナースーツは特殊変異向けですから、防水や汚れ弾きの加護がパッシブで乗ってるますが、その分若干値段が高めなのと、植物探索科に行かなければ必須では無いからわざわざ買って居なかったということで。


 一応加護を強めに掛ければ着れない事も無いんですけど、そこまでやるには自前のエーテル量だとカツカツで不安ですし、加護を定期購入にするとなると継続的な費用がかかり過ぎるので無しです。


 まあ制服に関しては補助もある上、流石に親が出してくれるので除外。ちなみに両親に変異の報告をしたところ、『あらー、じゃあ今年のクリスマスはケーキ代浮くわね!』って言ってましたけど、まさか娘を食べる気ですか貴方達?


 ――話を戻して服に関しては、昨日の段階で自分の様な食品系変異者用のインナースーツが変異課から三着支給されたので、まあファッションに気を遣わないなら何とかなりますね。……けれど、年頃の女子としてそれは流石にMURI。



 となると、お金が必要です。



 仕送りは多少余裕ありますが、これは生活費と加護の符代として必須なのであまり無駄遣いは出来ません。つまりは自分が取るべき手段と言えば、



「……バイト探さないとですかー」



 なにげに人生初です。否、昔祖母の家の店番とか手伝ってお小遣いもらったりした事はありますが、ちゃんとしたバイトは初。


 一応うちの学校はバイトの許可とか要らないのでそのへんは問題ないですが、さてさて何のバイトをするかが問題ですね。


 まず、品出し系はムリ。重い物を持てない事もですけど、商品汚したら大問題ですから。レジ打ちくらいなら何とかなりそうな気はしますが、物に触れる回数が増えるとその分汚してしまう確率も上がるからちょっと保留。


 ファミレスのホールとかもワゴンでの移動が難しそうですし、バイトの定番であるコンビニは品出しとレジの複合だから除外。



 ……そういえば、食品系変異持ちの体から取れる食材はエーテルの関係で質がいいって話を聞いたことがありましたっけ。



 パスタ娘の毛髪スパゲティとか、ジャムパン男のフルーツジャムサンドとか、以前ネットで特集されていた記憶がありました。


 ビミョーに臓器売買の亜種の様な気もしますけど、PLANTSが販売してる検査術式で毎日状態を申請していれば合法、安全です。


 とはいえ、流石に販売ルートも何も持っていないし、道端で自分由来のクリーム販売する勇気は無いです、……となると、



「……ケーキ屋さんのバイト、探してみるべきでしょうね」



 検査術式の事もありますし、バイトの斡旋とかあるかも知れませんから、もう一回変異課行ってきますかねー。




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 本当にありましたよバイト斡旋。


 しかも家の近所にあるケーキ屋さんでレジのスタッフを募集してるとのことで、未経験もOKと言うなら応募するだけしてみても良いでしょう。


 善は急げと言う事で、そのまま変異課で簡単な履歴書を作って印刷してから斡旋状と一緒に、件のケーキ屋さんへと足を進めて扉を開けると、店長と思しき猫系変異持ちの女性が此方を指さして、



「採用――!!」



 あのーまだ要件も言ってないんですけど私?




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 丁度お昼休憩に入る所だと言うので、面接と言う体で店内のイートインスペースでお茶とケーキを御馳走になりながら話を聞くと、どうやら事前に私が来るという話は分かっていたようで、



「あー、先に変異課の人から連絡が来てたんですね」


「そうそう、ケーキ系の食品変異だって聞いてたからどんな子が来るのかなーって思ってたら、ケーキワゴンに乗って入店とか最高すぎるでしょ! お姉さん気に入っちゃった、もう一発採用よ!」

 


 それでいいのでしょうか……と思いますが、まあ採用して貰えるならありがたいわけでして、出して貰った苺のショートケーキを、まずはクリームをフォークで掬う様に一口、滑らかな舌触りと甘みに頬を緩ませながら味わう様に、舌に乗ったクリームの塊を上顎との間で押す様に潰した瞬間、



「――――!?」



 思わず目を見開いた衝撃の理由は酸味。盛りつけられたクリームの中に、小さく切られた苺の欠片が入っていて、それが舌で潰したことで零れだしたのです。



「え、なんですこれ、すご……ッ!」


 

 スポンジの隙間にクリームと苺を挟むのは一般的ですけど、クリームの中に苺の欠片が入って居るのは初めてで、思わず目をパチクリさせてしまう私に、店長の女性は楽しそうな笑みを浮かべて言葉を紡いで、



「ふふふ、デコレーションの時、下に苺の欠片を置いて、それを包む様にクリームを絞ってあるのよ。ちょっと苺の置き方やクリームの絞り方にコツはいるけど、初見で引っ掛かるとビックリするでしょ?」


「は、はい。ただのクリームだと思って口にいれたら中から苺の酸味が弾けて、凄い美味しいです……!」



 と言うか、そのサプライズを抜きにしても純粋にびっくりするほど美味しい。クリームの甘さと苺の酸味が絶妙に調和して、それをスポンジ生地が優しく受け止めてくれている。


 思わず二口、三口と食べ進めていると、店長さんが満足そうにうなずいて、



「苺が表に出ちゃうとサプライズにならないし見た目も悪いから、結構作るのに手間はかかるんだけど、こうして驚いてくれる子が見れるからついつい作っちゃうのよね」



 その言葉に、ふとショーケースの中のケーキへと目を走らせれば、どのケーキも良く目にする物でありながら、細かな所にちょっと面白いアレンジがされている物がチラホラと見て取れました。


 それと店長が此方に向ける表情から読み取れる、この店のオリジナリティは、



「――楽しいこと優先、って感じですかね」



 何の気なしに呟いた言葉だったのですけれど、その言葉を聞いた店長は一瞬目を見開いて、直ぐに楽しそうな微笑を浮かべながら、此方に握った右手の親指を立てて来て、



「いいねぇ、一目で採用した私の勘は間違ってなかったよ。――これからよろしくね、うちの看板娘ちゃん」


「あ、はい、よろしくお願いいたします」



 …………ん?



「……看板娘?」



 首を傾げてしまった自分に対し、店長は大きく頷きながら再度親指を上げなおし、



「ケーキ少女の看板娘に、ケーキ少女のクリーム使った日替わりケーキ。――もう考えただけで楽しいじゃない?」


「日替わりケーキの材料提供はバイトの範疇なんですか――!?」



 でもシフト休みの日は無しで良いのと、クリーム分は別途でかなりの手当てが出ると言う事で思わず即決したあたり、ケーキワゴンの時からまったく学習していない私でした。




  ●



 二ヶ月後。



「ケーキ娘の日替わりケーキおひとつですね、お買い上げありがとうございます!」



 流石に慣れて来たといいますか、自分が素材のケーキを恥ずかしげもなくお客様に提供できる様になってる辺りどうなのかと思いますけれど、色んな人がリピーターになってくれたり、なんならネットでも取り上げられたりと悪い気はしませんね。


 それに自分の変異した体についても、このひと月で分かって来たことが幾つかあります。


 例えば私の身体は最初は苺とホイップクリームのケーキ風でしたが、どうもこれは前日の食生活や気分などである程度変わるみたいでして、油物食べ過ぎた翌日はバタークリームになったりましたし、ちょっと嫌な事あって落ち込んだ翌日はビターチョコテイストになって居ました。


 トッピングの果物とかまで勝手に生えて来るのは結構ホラー感もあるんですが、冷静に考えたら一晩で人体がクリームに変わる方がホラーだから今更ですね。


 

 ……むしろトッピングが結構自在なのが危ないというか、パフェ系の変異持ちだとトンカツ食べたら翌朝頭からトンカツ生えてたって話もあるようで……トンカツケーキは無いですよね? ね?


 ――調べてみたら出てきて一瞬ヒェッ!? となりましたけど、トンカツが乗ってる訳じゃなくてトンカツに見えるケーキだったのでセーフ……セーフでしょうか?



 まあいいです、ちなみに食事に関しては以前と変わらずに食べて問題無いみたいで、本気で消化器系どうなってるのか気になるんですが、変異課の人曰く何か上手い事なってるらしい、雑です……。



 それからこれは私の身体からクリームを採取する時に判明した事で、私の肌ってクリームの部分だと思っていたのですが、どうも実際はその下のスポンジ部分がそうなんじゃ無いかと言うことで。


 何故かと言うと、最初に私の身体からクリームを採取したとき、店長がゴムベラで私の髪を少し削ぎ取った時は『服の上から触れられてますねー』くらいの感覚だったのですが、そのあと腕からこそげる様にクリームを削がれた際、ゴムベラがクリームの下のスポンジ部分に当たったのですけど……



 ……ちょっと引く程エッチな声出ちゃったんですよね……



 多分、いつもクリームに覆われている事で刺激に敏感なのは有ると思うのですけど、それにしても店長の前で『ひぁ……ッ』とか言ってしまったのは流石に気まずかったです。店長もその時は爆笑していましたけど、その後はスポンジに触れない様に気を使ってくれてる辺りそう言う事でしょう。


 というかクリーム部分は自分のエーテルを消費してある程度自由に作り出せる事が分かったので、最近はこう、意図的に髪を伸ばす様にして提供しています。



 ……結果としてシフトのない日も朝に一度店へも顔を出してクリームを提供していく事になったのですが、業者かなにかでしょうか私?



 でもまぁ、そんなこんなで提供している『ケーキ娘の日替わりケーキ』は今では店の看板メニュー。リピーターの人もそれなりに居て、毎週買いに来てくれる人も少なくない人気ぶりです。


 と、夕方の帰宅ラッシュを過ぎ、閉店間際で暇になり始めた店の中、空になったトレーと値札を片付けていると、



「すいません! 日替わりケーキまだありますか!?」



 店のドアを少し勢いよく開けながら、一人の男性客がそう叫んで入ってきました。


 対して、自分は目の前で空のトレーを見せつけながら、



「残念、今、最後の一つが売れちゃった所ですよ」



 告げた言葉の先、男性客が目に見えて肩を落として落ち込んだのが可笑しくて、軽く口元に手を当てながら自分は言葉を紡ぎます。



「……なーんて、ふふ、此方に取り置きしてありますから、そう落ち込まないでください?」



 そう言って自分が取り出したのは、保冷剤と一緒に箱に入れてケーキワゴンの影に隠しておいた日替わりケーキ。本当は予約していないのにこういう取り置きをしておくのは良くないのですけれど……、



「言っておきますけど、誰にでもこうしてる訳じゃなくて、毎日買いに来てくださる貴方だから、特別ですからね?」



 そう、この男性客は私がバイトをするようになってからというもの、ほぼ毎日の様にケーキを買いに来てくれているのです。


 彼が初めてお店に来たのは、ちょうど日替わりケーキがショーケースに並ぶようになったその日で、それから毎日の様に、日替わりケーキを買って行きます。


 そんなに毎日ケーキ食べて大丈夫なのでしょうかとも思いますが、見ている限り体型も肌も変わっていないので、これは若干女の敵ではないでしょうかと店長と話している程でした。


 けれど手渡したケーキの先、驚きながらも此方に笑顔を向けた彼が口を開いて、



「うわ、ありがとうございます!! 助かりました!!」


「いえいえ、此方こそ何時もありがとうございます。……ですけど、今日は随分と遅いご来店でしたね?」



 いつもなら私が学校終わりにシフトに入って、五時半頃には来店されるのですが、今日は七時前で閉店間際。その事をふと尋ねた先、彼は苦笑を浮かべながら頭に手を当てると、



「あはは……ちょっと趣味の方でやりたいことができまして、――仕事が終わった後、職場の作業場借りて作業してたらこの時間になっちゃいまして、売り切れで買えないかと思ってたので、本当にありがとうございます」


「ふふ、そこまで欲しがっていただけたなら、素材としては嬉しいものです」



 彼から代金を受け取って、レジの操作をしていると、ふと彼の視線が自分の座っているケーキワゴンに向いている事に気が付きました。


 良く初めて会う人から向けられる、好奇や奇異の視線ではない、ただ純粋な視線に少し困惑した私は、お釣りを手に取りながら彼の方へと視線を返して、



「……あの、何か気になることでも?」



 問いかけの先、彼がハッとした様に身を震わせました。



「あ、いえ、その……貴女が使っているケーキワゴンなんですが……」



 その言葉に、自分は『ああ、』と相槌を作りながら、彼の手へとお釣りを差し出して言葉を紡ぎます。



「この身体になってから変異課に行ったとき、車椅子のレンタルをお願いしたんですけど、このケーキワゴンなら無料で支給できますよって言われましたので」


「ああ、なるほど、食品系変異だと色々お金かかりますもんねー」


「そうですね、実際ここのバイトが無ければちょっと大変です」



 けれど、と、私はそこで言葉を挟んで、



「実は、お金だけじゃなくてですね。――このケーキワゴンを見た時、最初はビックリしたんですけど、でも、細かい所まで丁寧に作られて居て、素材とかを見ても、決して高級品じゃ無いですけど、用途に合わせて良い物を使ってるんだなって、素人の私でもそう思えるくらいで――」



 そう、単純にお金だけなら、多分私は普通の車椅子タイプをレンタルして居ました。


 けれど結局このケーキワゴンに決めたのは、勿論費用もあるんですが、きっとそれ以上に、



「……こんなに丁寧に使う人の事を思って作られた道具が、誰にも使われないで倉庫に置いて置かれるなんて、それは、このケーキワゴンにも、コレを作ってくれた人にも失礼じゃないかって、そう思って、だから私は、このケーキワゴンを使いたいって、そう思ったんです」



 そして実際に使ってみて、その気持ちは更に強くなっています。


 床の物を拾おうとした時、下に下がったワゴンの上から身を乗り出しても、重心が崩れて倒れそうになることは無いですし、階段での動作も周りに迷惑を掛けないよう、足で階段を移動する動きより少し場所をとる程度で、普通の車椅子タイプの様に一段ごとに動作が止まる事も無く、流れを止めずに移動できるほど。


 乗り心地やシートの疲れ難さも含めて、とにかく『日常生活で不便にならないよう』考え込まれて作られているこのケーキワゴンは、今ではもう、私にとっては文字通りになくてはならない半身です。


 と、そんな事をつい語ってしまった先、彼は受け取ったお釣りを大事そうに財布へと納め、



「……ありがとうございます」


「え……?」



 言われたお礼の意味が一瞬理解できずに顔を上げると、彼は手にしたケーキの箱を掲げながら、



「ケーキ、取り置きして置いてくれてありがとうございました。また明日も来ますね!」



 そう言って踵を返した彼が店の扉に手を掛けたので、私はいつも通りに笑顔を向けながら、



「ありがとうございました。――またのご来店をお待ちしております」



 ――――ただ、明日は定休日なんですけどねー。





  ●




 それからというもの、彼とお店で話す時間が増えています。


 どうも彼の方は仕事終わりに職場の作業場を借りて何かをされているようで、お店に来る時間が閉店間際になる事が多くなりまして、私も店長に許可をもらって彼の為に日替わりケーキを一つキープさせて貰う様になるのが習慣になりました。


 ちなみに店長に取り置きの許可を取った際は、



「いいよいいよ、元々アンタの体から出来たもんだしねぇ! ただまあそれはそれとして、――なに、ああいう真面目そうな男がタイプなのかい?」



 等と言われてからかわれたりしましたが、後半の部分に関してはノーコメントです。


 ただ、最近はその、朝起きて自分が何のケーキになっているか確認した時に、『彼が食べたらどんな顔をして下さるでしょうか……』とか考えてしまう様になって来てまして、ひじょーにまずいといいますか。



 ……だって、私、彼がケーキを食べてるところは見たことが無いんですよ?



 買いに来る時間が夕方過ぎと言う事もあって、彼は店内のイートインスペースを使用することはありませんから、私が彼の食事風景を見たことは一度もありません。


 なのに、家で一人でいる時間、ふと、彼に『直接』食べて貰うことを想像してしまう時がありましてー……


 食べ物としての本能? なのでしょうか。誰でも良いという訳では無いのですが、気になって居る方に『食べて貰う』事に対して、強い憧れというか、衝動に駆られてしまうといいますか……。


 やっぱり、最初は頬のクリームを舐めとって貰うところからでしょうか? 舌の先で頬のクリームを舐めとられて、それから腕や首元のクリームごとその下のスポンジに彼の歯が食い込んで、齧り取られたらどうなってしまうのでしょうか……。


 そんな事を考えていたら、知らず彼の想像をしながら自分の腕へと口を近づけて、食んだ唇がクリームの下のスポンジに触れた瞬間、ハッとして目を見開きました。



 ――これは、ヤバいです。



 自分の唇だというのに、柔らかな感触がスポンジに触れた瞬間、背筋に電流が走る様な快感に襲われてしまって、必死に頭を振って湧き上がる感情を押さえつけ、深呼吸をして雑念を取り除きます。



 ……でも、もう一度だけなら……



 駄目です戻って来なさい私、エッチな知識を覚えたばかりの中学生じゃないんですから、進路控えた高校生は落ち着いて身なりを整えるのです。はいそこ、彼の声を思い出して脳内で繋ぎ合わせない! この前話した時に見えた口元の記憶を掘り起こさない!! コラ私!!



 ――――ちょっとヒートアップして止まらなくなった結果、その日は学校欠席しましたけど、バイトのシフトはしっかり出ましたし彼の口元は恥ずかしくて直視できませんでした。何やってんですかね私?




  ●




 それから数ヶ月、景色に冷たく白い色彩が混ざり始めたころ、私は今日も取り置きして置いた日替わりケーキを彼へと手渡します。


 けれど、今日はそれだけでは無くて、一緒に一枚のチラシを添えて彼へと差し出しながら、



「もうじきクリスマスですから、ケーキの御予約、如何ですか?」



 そう言ってグローブを嵌めた手で指さすのは、『何になるかはお楽しみ! 看板娘のクリスマスケーキ!』と書かれた商品の欄です。



「……私がその日なんのケーキになって居るか分かりませんので、味はお楽しみなんですけど、……どうです?」



 断られないでしょうかという不安が、僅かに声音に出てしまった問いかけの先、彼はいつも見せてくれる嬉しそうな笑みを顔に浮かべて、



「勿論予約しますよ! 今からもう楽しみです!!」



 その言葉にホッとした私は、一度深呼吸をしてから、ずっと考えていた言葉を紡ぎます。



「……あの、もしよろしければなんですけれど……一緒に……」


 

 その後一緒に食事を、と、そう声にしようとした瞬間、彼が何かを思い出した様に声を上げて、



「……あ! すみません、その日ちょっと人に会いに行かないといけない用事がありまして……閉店時間までに来れるか分からないんですよね」


 

 聞こえた言葉に、思わず手にしていたケーキの箱を落としそうになって、慌てて自分は箱を掴みなおし、



「そ、そうですか……ええと、な、なんでしたら予約だけしておきますか?」


「うー…………ん、もし閉店までに来れなかったら、折角のケーキを無駄にしてしまう訳ですよね……」


「えと、お代は後払いですから、あまり気になさらなくても……」


「ですが、折角作って頂いた物を無駄にするのは……」


「だ、大丈夫です! もしそうなったら私が責任を持って美味しく頂きますので!!」



 ちょっと強引にそう言ってチラシを彼に押し付ければ、彼は軽く肩を竦めながら言葉を紡いで、



「では、お言葉に甘えさせてもらいまして、――二人用の小サイズ一つ、お願いします」



 二人用という言葉に、彼と共にケーキを食べる誰かの影を想像し、私は胸の奥が締め付けられる様な感覚に襲われながら、努めて笑顔で言葉を返します。



「――はい、ご予約ありがとうございます」



 零れ落ちそうになる涙が彼に気付かれて居なければ良いと、そう思いながら。




  ●




 そうして訪れたクリスマスイブの夜七時半、閉店時間になっても彼は来なかったので、店長に少し無理を言って、閉店時間を一時間遅らせてもらったお店の中で、私は彼を待って居ます。


 ショーケースの中には売れ残りのケーキが数点残っているだけで、後は私のケーキワゴンに乗せた、彼の予約したクリスマスケーキが一つ。


 入り口に向けた視線の先、ドアのガラスの向こうでは、イルミネーションに彩られた街並みを、恋人達や家族が楽し気に歩いていて、まだ此処に来ない彼を思って、私は吐息を零しました。



「……やっぱり、来ませんよね」



 もう本来の閉店時間は過ぎているのです、たとえ彼の用事が終わっていたとしてもここには来ないでしょうし、きっと今頃は、一緒にケーキを食べる予定だった人と一緒の時間を過ごしているのでしょう。


 そんな中で彼を待つことを辞められない自分に、惨めとかそんな感情よりも先に、思わず苦笑してしまいそうになりながら、私は彼の予約していたケーキの横に置いた、もう一つの箱を手に取って、開きます。


 中に入って居るのは、店長に教わりながら初めて自分でデコレーションした一人用の小さなケーキです。


 クリームだけでなく、スポンジと果物も私の身体を使った、本当の、私だけで出来たクリスマスケーキ。


 彼が来たら、気持ちを伝えてこのケーキを渡そうと思って居たのですけど、ちょっと冷静になって来るとこれってバレンタインのチョコに髪の毛入れる奴の最上位版なのではないでしょうか……と思って、渡せなくて良かったのかも知れないとも思います。



「……片思いでこんなもの渡したら、重すぎますよね」



 こんなことなら恋心なんて気づかなければ良かったと、そう思ってしまいそうで、自分は目じりに浮いた涙を、サンタ仕様の赤いグローブで軽く拭って、



 ……辛いなぁ。



 彼に相手がいるかもしれないのは、仕方がないと思っています。けれど、それが確定していないのに、恐れて、一歩を踏み出せなかった自分自身の臆病加減が情けないのです。


 二度、三度とグローブで押さえる様に涙を拭いて、自分は二つの箱をケーキワゴンに乗せてカウンターから外へと向かいました。


 もう壁の時計は八時を回っています。店長から合鍵は預かっていますから、レジと残った商品の後片付けをすませて、外へ出てから鍵を閉めれば今日の仕事と恋はおしまいです。


 だから、ちょっとだけゆっくりと進む事を最後の抵抗に、扉に手を掛け、外へと押し込んだ、瞬間、



「――――ごめんなさい! 遅くなりました!!」



 彼が、そこに居ました。



 大きな荷物を背負いながら、膝に手を付いて息を切らしている彼は、数度深呼吸をして顔を上げると、



「はあ……はあ……、い、今さっき用事が終わりまして、もう締まってるだろうなと思いながら走って来たら、ちょうど電気が消える直前ドアのガラスから貴女の姿が見えたので、全力疾走してしまいまして……いやぁ、お見苦しい所をお見せしました」



 真冬の夜だというのに汗を浮かべた彼の姿に、けれど自分は何も言えなくなってしまって、ワゴンに乗せた予約品のケーキを両手で差し出し、



「……あの、コレ、御予約の品です……」


「わあ! ありがとうございます!! ――あ、すみません、今お代を……」



 箱を両手で受け取った彼が、慌てて財布を取り出そうとするのを、私は片手を前に出して差し止めました。



「いえ、もう営業時間は終わっていますし、レジも締めてしまいましたので……それは、私からのサービスです」



 これは事実です。もうレジを締めてしまって居る事もあって、今からお金を渡されても私としては少々困る訳でして、そう説明した言葉の先、彼は受け取ったケーキを見つめながら、



「いや、流石にそう言う訳には……明日お店が相手から払うとかではだめですかね?」



 確かに、ここは個人経営のお店ですので、それでも問題はありません。――ですけど、私はあえて首を横に振りながら、



「大丈夫です、その分のお代は私が出しましたので。――ただ、代わりと言ってはなんなのですが……」



 これを受け取ってくれませんか、と、もう一つのケーキを差し出そうとした瞬間、それより早く彼が口を開いて来ました。



「――あの、少しお時間いいですかね?」


「え? あ、はい、――大丈夫ですよ?」



 タイミングを逃して固まってしまった自分に対して、彼は背負っていた荷物を地面に降ろすと、袋を上で閉じている紐をほどき、そのまま袋を下に引き下げて、中身を曝け出す。



 そこにあったのは、一台のケーキワゴン。



 自分が使っている物と似ていますが、細部がずっと洗練されて居て、けれど部品の使い方や、取っ手や装飾品の配置の仕方はとても良く似ていて、



 ……同じ人の作品? けれど、じゃあ、もしかして――



 疑問と推測が駆け巡る私の頭に、彼の声が答えをくれました。


 それは、とても優しくて、暖かな声色で紡がれる、彼の言葉です。



「……貴女が使っているケーキワゴンは、自分が大学生の頃に趣味で作った物なんですよ」


 

 軽く頭を掻きながら、彼は言葉を続け、



「卒業制作と言うか、卒論代わりの作品でして、まあお金はかけられないので近所の製作所から廃棄部品貰ったり型落ち品の在庫貰ったりしながら、時間と手間は全力で注いで作った自信作だったんですけど、――食品系変異ってそもそも少数ですし、そうした人も『普通の見た目がいい』って言いますから、引き取り手が居なくて、市の変異課に寄付したんです」



 だから、



「今年の夏、貴女がそのワゴンに乗って居るのを見た時、思わず二度見して後を付けそうになったくらいで、――流石にストーキングはしませんでしたけど、数日後にこの店で店員をしている貴女を見かけて、思わず入ってしまったというか……正直、貴女の事が知りたくて通い出したといいますか」


「え……?」



 そう言えば、あまりにも毎日ケーキを買いにくるので、店長に古くからの常連さんなのか尋ねたことがありました。



 ……でも、彼は私が働きだしてから通う様になったと、そう言われたんですよね。



 思えば、アレが彼を意識する様になった切っ掛けかもしれないと、そう思い起こす自分の耳へ、彼の言葉は止まらずに、



「自分の中ではそのケーキワゴンは最高傑作だったんですけど、やっぱり誰も選んでくれなくて変異課に引き取って貰ったものですから、心の何処かで、『この人はそれで良いのだろうか?』って思ってたんです。

 ……だからこの前、貴女がそのケーキワゴンを選んでくれた理由を聞いたあの日は、もし貴女がそのケーキワゴンを妥協で使ってるなら、代わりに普通のデザインで新しい物を作ろうかと思って、その為に仕事終わりに作業場使って良いか許可取ってたら遅れてしまって……」


 

 でも、と、彼の言葉は続きます。



「そうじゃなくて、妥協もあったのかも知れないけど、貴女はそのケーキワゴンを凄く大切に、その作り手すら尊重してくれていて……。だから、自分は決めたんです」


「……何を、ですか?」



 促しの言葉の先、彼は一度深呼吸をして息を正すと、真っ直ぐに私の瞳を見つめてきました。



「……今の自分に出来る最高傑作を作って、貴女に告白しよう、と」



「――――っ!」



 思わず言葉に詰まって、目を見開いて固まってしまった私に対して、彼は片眉を下げた苦笑を浮かべて、



「それでまあ、加護関係の組み込みと言うか、祈祷の関係で現地まで行かないとでして……予約を取れたのがギリギリ今日だったんですよ。だから帰ってきたらこの時間で、これはダメかなと思ってたんですけど、――貴女がまだ待っていてくれて、幸いです」



 だから、と、彼は何度目か分からないつなぎの言葉で想いを綴り、



「好きです。――貴女の為に作った、貴女のこれからを預けるこの足を、受け取って貰えませんか?」



 ……もう、馬鹿ですね、この人。――なんでそこで、照れ隠しみたく自分で無くてケーキワゴンの方を前に押し出すんですか。


 けれど、だったら私も、照れ隠しを言っても良いだろう。



「――じゃあ、それで予約分のケーキの代金はチャラですね?」


「え? ……あー、はい、そうですね……」



 伝えた言葉の先、彼は振られたと思ったのでしょうか、少し慌てた様に左右を見渡し始めたので、その様子に微笑を零しながら、私は答えます。


 背中に隠したケーキの箱を、もういらないと言う様に手放して、代わりに私は自分の座るワゴンから、彼の新しいケーキワゴンへと体を移し、



「……実は貴方の為に、予約分とは別に特別なケーキが用意してあるんですけど……」



 手作りケーキの代わりに差し出すのは、彼の作った器に乗せる、私と言う名の世界で一つの特大ケーキ。



「代金は、貴方が私の事を好きだと言ってくれたその言葉と、それから――」



 身体を伸ばし、彼の顔を下から覗き込む様にしながら、私は両手を彼の頬へとそっと添え、



「これから先、私が生きて居る限り、私以外のケーキを食べないでいてくれることで、どうでしょうか?」



 大丈夫、と、私は彼に顔を近づけて、



 添えた両手で導く様に、彼の唇へと生クリームで出来た自分の唇を重ね、その隙間から、そっと舌先で、彼の口へとクリームわたしを差し込みました。


 そのクリームを、たどたどしく返される彼の舌先が絡めとった瞬間、彼の体がピクリと震えます。


 

「――――!?」



 それは、私がこのお店で初めて食べた、隠し苺の生クリームケーキ。


 今日初めてこの身体になったケーキの味を、日替わりケーキしか買った事の無い彼は知りません。


 その初めてを、私の身体から彼に味わって貰っている事に、思わず蕩けてしまいそうな程に酔いしれながら、そっと、私は唇を離します。

 


「――大丈夫ですよ」



 言う。彼の瞳を覗き込み、耳まで真っ赤になったその顔を、愛おしいと感じながら、



「――途中で貴方が飽きない様に、毎日毎日、日替わりで、――色んな私を、食べさせてあげますから」



 だから今日はこのまま朝まで、……私の、色んな初めてを食べさせてあげますから、――骨の髄まで甘く蕩けて溺れる覚悟、しておいてくださいね?


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