ハーピー少女と天使の嘘


 手に入らないからこそ欲しくなるものを、もしも手に入れてしまったら、結局いらなかったと思ってしまうのだろうか?




   ●



 ――失恋した。



 いやどうだろう、正直な所を言うと、コレが失恋と言って良いのか分からない。


 だって、好きだと気が付いた時には、その人にはもう、他に好きな人がいる事を知って居たから。


 今までもそうだ、何度も自分は相手がいる人に恋をして、当然、一度もそれは叶っていない。


 と言うか、最近は『いいな』と思った相手が自分に恋愛相談してきたり、急に変異で性転換して幼馴染へ恋心向け始めたりと、何と言うかこう、もはや自分でも『狙って好きな人いる人を好きになってるのでは?』と思う時もある勢いだ。


 ……手に入らないと分かっているからこそ欲しくなってしまうのならば、それは嫉妬だろうか、それとも強欲だろうか。どちらにせよ自己嫌悪の対象でしかないわねと、そんな事を思う自分は今、校舎の屋上で親友と昼食をとっていた。


 そんな中で失恋の内容と、それに付随して思う事を、唯一そうした相談ができる親友に話せば、彼女は背から生やした天使の四枚翼を軽く揺らして微笑みかけて、



「んー何時もの事だけど、ぶっちゃけ考えすぎだと思うけどなー?」


「……何が考えすぎだって言うのよ?」



 いやほら、と、親友は手にしたフォークで虚空を掻き混ぜながら、



「ハピ子さ、確かにいつもいつも好きな人がいる人ばっかり好きになるけど、じゃあその人を奪おうとか、振り向いて貰おうとか、そういうことしないじゃん?」


「……当り前じゃない、だってその人には好きな人が居るのよ? それを強引に奪って、その人が幸せになれると思えないもの」


「んー……どうかなぁ……本当に、どうしようもなく好きなら、例え奪ってでもって、そう思うんじゃない?」


「……それは私の好意は中途半端って、そういうことかしら?」



 思わず睨みつける様に放った問いかけに、苦笑した親友は軽く首を振って答える。



「違う違う、そうじゃなくて、――ハピ子はさ、自分の幸せより、好きな人の幸せを思える人だって、そういう事」



 あ、と、彼女は何かに気付いた様に体を一度震わせて、



「――というか、ご飯時に暗い話はダーメ、味しなくなるから、ほらあーん?」


 

 強引に切り替えた彼女が、小さなコロッケをフォークに刺し、そのままそれを此方の口へと持って来るのは、ある種昔からの習慣の一つだ。


 自分は小学生の時の変異で両腕が翼になっている、いわゆるハーピーだ。――装備の補助もあって日常生活は行えるが、細かい作業は難しく、同じ有翼系変異と言う事で仲良くなった彼女がこうして手伝ってくれている。



「あ……ん」



 彼女のフォークからコロッケを啄み、二度、三度と噛んで飲み込めば、目の前には僅かに苦笑を浮かべた親友の姿。



「ハピ子ー、もうちょっと良く噛みなよ、ほぼ丸呑みじゃん? ――鳥系変異持ちでキツイのだと口が嘴化してそもそも噛めない子もいるけど、ハピ子腕だけじゃんよ?」


「ハーピーなんだから嘴無いのは当たり前でしょ……と言うか、腕だけじゃなくて足も踝から先は変異してるでしょ、サイズ変わって無いのと、靴で誤魔化してるから見た目じゃわかりづらいだけで」


 

 実の所、習慣として細かい事を手伝って貰う事は有るが、自分はいつもは翼の関節部分に付けた補助具でパンやおにぎりなど、食器を使わなくても食べやすい物を昼食にしているので、彼女の食事のお裾分けを貰う事はあっても、こうして全部食べさせて貰う事は多くは無い。


 にも関わらず今お弁当を丸々食べさせて貰っているのは、彼女が『味見をして欲しい』と言って此方のお弁当まで作って来たからだ。


 ご飯はふりかけをまぶして小さな俵状に握られ詰められており、具材はメインとしてソーセージとカニクリームコロッケ、副菜には茹でたブロッコリーとヘタを取って洗ったプチトマトが入っていた。


 全体としては手間の少ない物が多いが、カニクリームコロッケはコレ、中のソースから手作りされている様で、むしろその分他をシンプルにして手間を減らしたと言う事だろう。


 流石にコロッケはもう少し手を抜いて良い気がするが、目指しているのは特別な日の御馳走ではなく、毎日作れるお昼ご飯だという事を自分は理解し、言葉を紡ぐ。



「正直コロッケはビックリするぐらいおいしいけど、……これ、中身から自作よね? 毎日のお弁当にするには結構手間じゃないかしら?」


「あー……うん、昨日の夜作って朝詰めて来たけど、確かに毎日お弁当作ってる中でやるには前日調理でもキツイねこれ」



 思った通り目的は毎日のお弁当だったわけで、自分は軽く思考を巡らせて、



「――だったら、コロッケ系はタネの方を多めに作って冷凍しておくと良いんじゃないかしら。自作はあまり長く保存すると怖いけど、二週間くらいなら何とかなるでしょうし、凍ってればパン粉も付けやすいでしょう?」


「おおう、流石だねハピ子!」


「……別に、私の場合は知識だけで実践が無いモノ、調べればネットに転がってる様な事よこんなの?」


 

 そう、自分のこの手では、料理の様な細かな作業が必要な事は難しい。似た様な変異持ちの中には思考制御のサブアームで精密機器の分解すら行う者もいたりするらしいが、そこまでする気力も無い。


 だから、知識を探す。


 エーテル関係の技術の発展で、術式陣を用い思考入力による手を使わない操作が可能になって居る事もあり、自分は時間のある時にはネットや電子書籍などを駆使して知識を詰め込み、すり合わせ、曖昧な物は安易に信じず保留にしたり、背後を洗って記憶する。


 勿論限界はあるから、あまり知識をひけらかすことはせず、助言においても当たり障りのない予防線を張っておくのが常であり、その小心者具合に辟易とすることもあるのだが、



「いやいや、調べればわかる事でも意外と調べないのが人間だし、調べても変な情報信じて間違えたりとかあるからねー。その点ハピ子は調べた知識をもう一回調べ直して補足してるから、自分で調べるよりずっと正確だって」


「……便利な辞書あつかいかしら?」


「まあまあ、便利な手として働くから許して欲しいなって?」



 調子の良い事を言う親友に、自分は隠すこともせず吐息を零し、気になって居た本題へと話題を移す。


 

「――それで、なんで急に手作りのお弁当の味見なんて頼んで来たのかしら?」



 ……まあ、こういうのはほぼ確実に男でしょうけど。



 内心でそう察してしまう自分に対し、親友は流石に失恋直後の此方にそれを言うのは不味いと思ったのか、誤魔化す様に空を見上げる。


 冬の晴れ間だ。風通しの良い屋上は寒さも厳しいが、壁を使って積もった雪をかまくらの様に成形してあるので、シートと防寒着をしっかりしていれば問題無い。

 さらに言えば、ちょっとエーテルを使用した術式関係に詳しい友人に頼んで気温調整用の礼装を用意して貰ってあるので、冬でも夏でも快適だ。



 ……鍵が掛かっているから自分達の様な変異持ちしか入れないし、お昼とか、ちょっと二人で話したいことがある時は此処に来るのよね。



 他に誰もいない空の下、親友は視線を上に向けたまま口を開き、



「あーほら、私もハピ子も進路決まったし、ぶっちゃけ暇じゃん? だからまあ、何か新しい事にチャレンジしようかなって思ってさー?」


「……貴女、嘘つく時は空見上げる癖あるから気を付けた方がいいわよ?」


「え!? 嘘!?」


 

 慌てた仕草で此方を見てきた親友に、自分は悪戯っぽい笑みが浮かぶのを自覚して言葉を紡ぐ。



「ええ、――勿論嘘よ。ただ貴女、今嘘ついてたのは自白したわけだけど」


「うっわ嵌められた――――!!」



 親友の叫び声を聞きながら、自分は内心で重ねた嘘を思う。


 そう、嘘をつく時に空を見上げるのは嘘だけど、彼女の嘘に気が付いた理由はちゃんとある。――彼女は嘘をつく時、背の翼をゆらゆらと円を描く様に動かすのだ。


 だから今、それまで円を描いていた翼の軌道が止まって紡がれる言葉は、嘘偽りのない本当の言葉。



「えーと……その、好きな人にお弁当作ってあげたくてさ……」




   ●




 なるほど、やっぱりそう言う事なのね。と、自分は何度目かも分からない吐息を放つ。


 ああ、本当に嫌になる。――だって、私が最初に手に入らないと思った物は、彼女なのだから。


 昔、自分が変異したばかりで、まだ上手く補助の為の装備を扱えなくて苦労していたころ、それを真っ先に助けてくれたのが彼女だ。


 とは言え当時の自分は今よりもプライドが高く、給食の箸が上手く使えなかった所に、偶々席が隣だった彼女が、『大丈夫? 食べさせてあげよっか?』と此方を見つめて純粋な善意で言ってきた時も、『なによ、憐みのつもり?』などと返したものだが……いやこれ、今にして思うと生意気なガキね本当。


 けれど、彼女はそんな自分に対し、口元に笑みを浮かべてこう言ったのだ。



「いやー、私この前のテストで15点とか取って親に超怒られてさ……貴女勉強得意でしょ? 色々手伝う代わりに教えてくれない?」



 あ、それと、と、彼女は付け加え、



「……あわれみって、なに?」



 いやもう、最後の一言で何と言うか毒気が抜かれてしまって、諦めた自分は彼女の取引に応じる事にしたのだ。


 彼女に食べにくい物を食べさせて貰ったり、着替えや細かな作業を手伝って貰う代わりに、自分は彼女に勉強を教える。


 食べさせて貰ったり、手伝って貰う分、自分は彼女の時間を多く奪ってしまう。


 だから彼女が分かる様に勉強を教える為、当時まだ高価だった思考入力型の端末を両親に頼み込んで、黒板の板書が難しいからと授業での使用も許可して貰ったり、今まで以上に勉強に力を入れていった。



 ……今の私の知識収集癖も、この頃の影響が強いわね。



 そうして長く一緒の時間を過ごして居れば、如何にプライドの高い当時の自分と言えど、否、プライドが高いからこそ、彼女の存在が大切な物になって行く。


 けれど、彼女への信頼が増して行けばいくほど、比例して自分は不安感を募らせることになった。


 自分はある程度装備で日常生活がこなせるようになったとは言え、細かな所で彼女の手助けが必要な事は変わらない。けれど彼女の成績は次第に良くなっていき、一年もすれば自分の助けなど要らなくなっていたのだから。


 どうすれば彼女を繋ぎとめて置けるだろうかと悩み、――あの頃はまだ自分も単純故に飛躍したせいで、『恋人になればいいじゃない!』と、そう本気で思ったりもした。



 ……まあそんな考えは、あっという間になくなったのだけれど



 ひと昔前ならいざ知らず、今は女同士であることは若干の抵抗こそあれ、根本的な問題になりはしない。ではなぜ自分が諦めたかと言えば、それは純粋に彼女との普段のやり取りの中のこと、


 彼女は、自分に何かを食べさせたりするときに、箸やフォークと言った食器を変えようとしないのだ。――ずっと、最初から。


 間接キス、と言って意識してしまうのは、自分が彼女に惚れてしまったからだろう。もともと彼女は孤立しがちな自分にも良く話かけてくれていたし、周りで飲み物の回し飲みをしている生徒も多かったから、最初の頃は自分も苦笑を零す程度で、特に気にはしていなかった記憶がある。


 けれど、一度彼女の事を意識してしまってからは、それがどうしようもなく気になって、恥ずかしさと嬉しさを同時に感じる様になって、――すぐに、気が付いてしまった。



 ……最初からずっとそうしているって事は、彼女は私の事を、一度も意識していないって言う事なのよね



 他にも、何かにつけて腕を組んで来たり、背後から抱き締めて来たり、自分の方は頬の紅潮を隠すのに必死になる様な事は多々あれど、彼女は決まって何時も口元を緩めた笑みのままだ、変わらない。


 だから、諦めた。手に入らないのだと、そう自分に言い聞かせて、今までずっと目を背け続けている。


 そこに彼女のさっきの発言は正直かなり堪えたけれど、最近では異性同性問わず恋愛関係の相談役の様になっている私が、親友の恋路を応援しない訳には行かないだろう。なにより水を差して彼女に嫌われたくはない。


だから私は、頷き一つで表情を取り繕って、



「……なるほどね、男子向けにするならもっと唐揚げとかハンバーグとかいれた方が良い気がするけれど、味は問題無いんじゃないかしら? 少なくとも私は好きよ、コレ」


「オッケーオッケー、ハピ子が好きなら問題無しだよ、ありがとね!!」



 満面の笑みで信頼の言葉を掛けられるのは嬉しいが、その笑顔は私の為ではないのだと、そんな暗い感情も湧き上がりそうになって、自分は一度息を吐いて肩を回し、



「それで、いつ告白するのかしら?」



 自分の中で、彼女に恋人が出来る事の心構えを得るためでもある問いかけに、視線の先の親友は少し考え込む様に冬の空を見上げ、一つ頷いて口を開く。


 此方に体を向け、真っ直ぐに視線を合わせながら、



「それなんだけどさ、――デートの練習、付き合ってくれない?」


「…………は?」



 澄み渡る青空の下、響く予鈴の音が、昼休みの終わりを知らせていた。




    ●


 

 次の休日、自分は親友との待ち合わせ場所へと向かっていた。


 何が悲しくて想い人が告白する為のデートコースの下見に付き合わなければならないのかと思うが、それでも彼女とのデートだ、どうしたって心は浮ついてしまう。


 服装も何時もの私服ではなく、厚手のインナースーツにデニムのホットパンツを合わせ、ワインレッドのノースリーブニットの上から、腕の翼を出せるように袖の広まった白のカーディガンを羽織っている。


 真冬に少し薄着ではあるが、首元はクリーム色のマフラーを巻いているし、内部のインナースーツに掛けられた加護が優秀なので寒さは無い。なにより元々自分の様な有翼系は熱量高めだ、とはいえ飛んでは折角セットした髪も服も乱れてしまうので、新調した鳥足用のブーツを鳴らして待ち合わせ場所へと向かっていく。


 約束の場所へと辿り着けば、そこには既に此方を待っていた親友の姿があった。


 黒のスキニーに、翼を出す為に大きく背中の開いた白のタートルネック。その上から羽織る黒のトレンチコートも背の側が腰の部分まで空白で、インナースーツタイプの制服を固定する際に用いるポイントユニットで首元から懸架されるようになっているが、自分には無い彼女の豊かな双丘の関係でコートが左右に流れている辺り流石だ。


 二人共下がズボンスタイルなのは有翼系だと飛んだ時にスカートが乱れて不便だからだが、今日は少し彼女に違和感があった。



 ……なんだか、普段よりカッコイイ系の服を選んでるわね


 

 いつもはもっと明るい色の服装を選ぶのが彼女だが、今日は白と黒のゴシック系、しかもコートもあまり見慣れないトレンチコートを選んでいる辺り、告白相手の好みだろうか? 


 それに、此方に気付かず携帯端末を操作するその顔は、自分がいつも見ている緩い笑みでは無く、無表情にも見えるフラットな横顔で、なんだか彼女が自分の知らない存在へと変わってしまう様な、そんな予感が胸の中を支配して、自分はちょっと強めに歩く踵を鳴らして注意を引いた。


 その音に反応して、彼女が携帯端末から顔を上げて此方を視界に収めれば、その表情はいつもの緩んだ笑みの顔で、



「ヤッホーハピ子! 待った?」


「どうして待ってた方がそれを言うのかしらねえ……」



 本当この親友は、変わったようで変わらない。



「まあまあ、ほら、行こう? ――全部終わったら感想お願いね!」


「はいはい、でも感想はあまり期待しないで欲しいのだけど」


「いいのいいの、ハピ子の感想が聞きたいだけだからさ!」



 そういって腕を組んで来る彼女に、練習とはいえデートと言う事もあり、自分は頬に熱が昇って思わずマフラーで口元を隠してしまうけれど、横目で確認する親友の表情は、いつも通り口元の緩んだ笑みのままで、



 ……デートって名目でこれだけ近付いても、貴女はいつも通りなのね



 見上げる空はあんなに晴れているのに、私の心からは薄暗い雲の気配が消えそうにない。




  ●




 デートの練習は、彼女の選んだ映画館から始まった。


 二人並んでチケットを取って鑑賞したのは、自分と彼女が好きなアニメの劇場版。評判はいい様なので不安は少ないが、それとは別でデートに見る作品がこれで良いのかしら……と思うが、まあ本番と同じものを見ても仕方が無いから、今回は友人枠で選択したのだろう。


 パンフレットと、飲み物、それからお約束として小さめのポップコーンを買って席に着く。始まる前まで軽い談笑をしていても、映像が流れ始めれば二人そろって画面に集中だ。デートも何もない、純粋に、好きな物へ余分は無しと、そう言う事。


 ともあれ二人大満足でシアターを後にして、隣接したカフェで早めの昼食を取りながら感想戦の始まりだ。



「やっぱさー、あそこで森長可が井伊直正を助けに突撃して来たのが激熱じゃん!?」


「直後に眉間に貫通撃喰らってたけど、別にピンピンしてるのがあの作品よね……個人的には、使えないと思われていた真の力を発揮した水戸光圀が、ビースト徳川人になって未来から来た自分の息子を打倒したシーンがあそこまで本気の作画でお出しされると思ってなかったわ……」



 などと話しながらも、頼んだ料理が届けば話題もそちらへと切り替わる。


 彼女はミートソースのスパゲッティとサラダのセット、自分はハムと卵のサンドイッチに野菜スープを添えて、二人で摘まむ様にエビのフリッターを一つ。この後のデザートと先のポップコーンを考えるとちょっとカロリーが怖いが、こういう時だから気にしない。


 

「ほらほらハピ子、あーんだよ?」


 

 自分が食べるよりも先に此方に差し出すのが彼女らしいと、そう思いながら彼女の手から巻かれたスパゲッティを啄めば、口の中のミートソースの塩味と酸味に、染み出したお肉の脂の旨味、そしてそれを包み込む様に、噛んだパスタから広がる小麦の甘みが調和して、自分は思わず頬に手を当てる。



「……美味しいわね、これ」



 ほう、と息を吐いて感嘆していると、目の前の親友が無言で口を開いて目を閉じていたので、自分は苦笑を零してサンドイッチを翼の関節に付けた補助装備で掴んで持ち上げる。



「ほら、あーんしなさいな」


「あーん♪」



 そのまま彼女の口元へと近づければ、やや喰らい付く様な勢いで彼女がサンドイッチを口へと頬張った。

 

 目を細めて体を震わせている辺り、どうやら此方も当たりの様である。

 

 彼女が口を付けたサンドイッチを食べるのに、赤くなる頬を誤魔化す様に苦笑を零して言葉を紡ぐ。



「別に、食べたかったら一つ持って行ったっていいのよ?」


「わかって無いなぁ、ハピ子に食べさせて貰うから美味しいんじゃん!」



 そう言って彼女はいつも通りの緩んだ笑みを浮かべているが、きっと自分が彼女に食べさせて貰って感じる美味しさと、彼女が自分に食べさせて貰って感じる美味しさは、似ているようで違う物なのだろうと、そう思った。




   ●



 

 昼食をとって、そのまま服やアクセサリーを眺めながらショッピングを楽しめば、既に日は傾いて、夕焼けが大気を茜色に染めている。


 二人並んで歩く道は、大通りをちょっと外れた人通りの少ない並木道、春は桜が咲いて名所になるが、この時期はただ枝に雪化粧した並木が並ぶだけの何もない通りで、今は他に人もいない。


 サクサクと、昨日積もった雪の表面が解けて固まった道を歩きながら、自分は今日、最初からずっと気になって居たことを彼女に問う。



「……ねえ、もしかしてだけど、貴女が告白する相手って、女の子?」


「……あー、やっぱりわかった?」



 分からない訳がない。


 

「そうね、服の選び方もだけど、映画の後の行き先のチョイスが、服もアクセサリーも女性向けの店だもの。格好だけなら相手の好みかしらって思うけど、店までそうなら相手が女性って考えた方がスムーズよね」


「あ――……服に関しては相手の好みって言うより、女の子二人だとぱっと見ただの買い物に見えちゃうから、デートっぽく周りから見える様にって判断だったんだけど、ミスってたかな?」


「いえ、貴女スタイル良いから良く似合ってるし、普段の私服の明るい色合いも素敵だけど、今日のコーデも格好良くて好きよ、私」



 これは本心だ。彼女は自分より少し背が高くて、ボディラインのメリハリも効いてスタイルがいい。そこに黒と白でコントラストを強く出せば、正直惚れている自分で無くても目を奪われるだろう。



「えへへ、ありがとう。――ハピ子にそう言って貰えてうれしいよ」

 


 彼女の言葉も本心だろう。この親友は自分の本音の誉め言葉に、本気で嬉しいと喜んでくれている。


 ――――なのに、だったら、



「……なんで、……私じゃ、ないのよ」


「……ハピ子?」



 首を傾げた彼女が疑問の声を口にするが、自分の言葉は、もう、抑えられなかった。



「――なんで、私じゃないの!!」



 言う、今までずっと抑えていた気持ちを、ただ感情に任せてぶつける様に。



「映画も、食事も、ショッピングも、貴女が好きな人の為に選んだところは、私が好きなものばかりだった!!」



 そうだ、映画のチョイスもカフェの雰囲気も自分が好きな物で、その後に向かったアクセサリーショップに至っては、以前に彼女と二人で雑誌を見ながら『一緒に行きましょうか』と話してもいた場所だ。


 なのに、



「変異した私を助けてくれた頃から、ずっと貴女が好きだった!! でも、貴女は私と距離が近くても、腕を組んでも、いつも変わらない笑顔のままで、だから諦めた、――諦めたフリをしていた!!」


 

 ああ、そうか、私が手に入らない人ばかり好きになってしまって居たのは、きっと、手に入らないからでは無かった。


 ――手に入っては、いけなかったからだ。


 彼女の事を諦め切れなくて、それから目を逸らす為に他の恋を探して、けれど、そんな理由で好きになった人を手に入れてしまったら、彼女に、何よりもその人に対しての侮辱でしかない。


 だから自分は無意識に、手に入らない恋ばかりを追いかけて居たのだろう。


 最低だ、そう思う心とは別に、口を開いて出て来る言葉は止まりはしない。



「それでも、相手が男なら、諦められた、私にはどうしようもないからって、理由を付けて目を背けられた!! ――だけど貴女が好きになった相手が女性なら、そんな言い訳すら私は自分につけやしない!!」


 

 ああ嫌だ、本当に嫌になる。こんな状況で、自分はまだ、自分が諦める為の言い訳を欲しているなんて。


 もう全部遅いのに、全て決まってしまっているのに、けれど決まってしまって居るからこそ、例えこの関係が壊れてしまったとしても、自分の想いをぶつけて、せめて彼女に傷を残そうしている自分が本当に嫌になる。


 なのに、言葉は止まってくれなくて、



「……だったらもう、私でいいじゃない……」



 言った、言ってしまった。


 彼女の好きを否定して、自分で妥協すればいいだなんて。妥協できず、告白する勇気も持てなくて、ずっと燻っている自分が言ってはいけない事なのに。


 いま、目の前にいる彼女はどんな顔をしているだろうか。


 呆れられているだろうか、困惑されているだろうか、――軽蔑されて、いるだろうか。


 溢れ出す涙で視界は歪み、一歩こちらに歩み寄って来たその顔がどんな表情をしているのか、自分は見えなくて、けれど、見えなくて良かったと、そうも思う。


 だけど見えなくても、言葉は届いて、



「……じゃあもう、練習はおしまいだね、ハピ子」



 そう言った彼女の次にくる言葉が怖くて、俯いてしまった自分の身体が、不意に、柔らかな力に包まれて、それが彼女の腕と、背の翼だと理解した瞬間、



「――好きだよ、ハピ子」



 真正面からの、告白だった。




   ●




「……え?」



 言われた言葉が理解できなくて、思わず顔を上げた視線の中、歪んだ視界の向こうに見える彼女の顔はまだ見えなくて、だけど、



「……やっぱり、気付いて無かったんだね、ハピ子」



 あのね? と、彼女は続けて、



「私さ、緊張したり照れたりすると、口元緩むんだよね、――今みたいに」


 

 ほら、と、彼女の指が此方の涙を拭って開けた視界に映るのは、いつも通りの笑みを浮かべた彼女の姿。



「私さ、ハピ子と話すとき、初めてご飯食べさせてあげた時から、ずっとこの顔だったでしょ?」


「……嘘」


「嘘じゃないよ?」



 そう、嘘ではない。――その背に見える彼女の翼も、ただ此方を包み込む様に抱き締めていて、彼女の言葉が真実だと、そう告げている。


 だけど、



「じゃあ、なんで、お弁当の相談をして来た時、好きな人の為なんて、そう言ったのよ」


好きな人ハピ子の為だし、お弁当を作ってあげたいからハピ子に作ったんだから、間違ってないでしょ? ――それに私言ったよね? 『ハピ子が好きならオッケー』って」



 言われてみれば、筋は通る。けれど納得しきれない自分は言葉を続けて否定を叫び、



「で、でも、だったら、私とデートの練習なんてしないじゃない!!」


「えー? 本番の相手以外の人と練習した方が、本番の相手好きな人に失礼じゃないかな?」


「…………それは、そうかもだけど」



 言葉に詰まった自分へと、彼女は少し姿勢を低くして目線を揃え、



「知ってた? 私、最初からハピ子が好きで、近付いたんだよ?」


「…………は?」



 再度呆気に取られる此方に、口元を緩めた笑みを強くした彼女は、



「勉強出来て、孤高で、綺麗で、カッコ良くて、変異する前からハピ子は私の憧れだったの。――そんな貴女が、変異したばかりで上手くご飯食べれなかった時、『今しかない』って、声を掛けたんだ」



 だけど、と、苦笑が響き、


 

「ハピ子は取引だっていうのにこだわるし、しばらくしたら失恋サイクル回しだすしでさー。告白するタイミング逃し続けてここまで来ちゃったわけで、でも、これで卒業だから、後悔したくなくて、こうしてデートに誘いだしたんだけど」



 言葉が、響く。



「ずっと両想いだったなら、これまでの関係って無駄だったのかって、そう思う? ハピ子?」



 その言葉に、自分は首を振った。


 縦ではなく、横に、何度も、何度も、振り払う様に首を振って、



「無駄なんかじゃ無いわ。――これまでの時間があったから、私は本当に、絶対に、貴女が欲しくて諦められないって、そう確信できたのだから。……でも、」



 でも、どうだろう。今まで自分は欲しい物が手に入らなくて、だからこそ求めてるのではないかと、そんな風に思う程だったのだ。


 だから、少しだけ怖くて、自分はその不安を言葉にしようとして、



「……大丈夫だよ、ハピ子」



 それより早く紡がれた彼女の言葉が、自分の不安を差し止めた。



「大丈夫、これから先、ハピ子が私を手に入れたって、そう思うたび、――私は、もっとハピ子が欲しくてたまらない私を、見せてあげるから」


 

 だから、



「安心して、ずっと、私を欲して、求めて、手を伸ばし続けてね?」



 じゃないと、



「手が届かない遠くまで、飛んでっちゃうからね?」



 そう告げる彼女の翼は、円を描く様に揺れていて、だから自分も彼女の嘘に気付いて居ながら、気付かぬ振りで言葉を紡ぐ。



「――――大丈夫よ」


 

 だって、



「どこまで遠くに飛んで行ったって、私の翼で、追い付いてみせるから」



 ああ、そうか。自分がこの姿になったのは、きっと、彼女を愛する為だったのだ。



「そしてそのまま、二人で、何処までだって、飛んでいきましょう」





  ●



 数年後には娘も入れて三人になって居たのだけれど、まだまだ私は、彼女が欲しくてたまらない。

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