第4話 夫婦の会話
「何してたの?」
妙子が問うた。
「本を読んでいたんだ」
ロウソクの火による明かりは、十分な明るさを室内にもたらしはしない。しかし、それでも、窓に面した机の上には、2冊の書物があることが分かるのである。
今はまだ、秋の季節なので、気温は暑すぎず、寒すぎず、といったことである。
今日は雨である。窓を閉め切っても、盛夏ではないので、窓を閉め切った環境がちょうど良い室内気温になるようである。
幸長が言った。
「何だか、江戸時代 のようだな」
「え?」
妙子の声に、幸長が答えて言った。
「江戸時代には電気なんてなかったから、いつも、こんな程度の明るさだったんだろうよ」
妙子も改めて思った。
「確かにそうかもしれない」
しかし、幸長と結婚できたことは、妙子にとっては、大きな
<出発>
であり、生活の実態がある種の
<江戸時代>
であったとしても、さほど気にならないことであった。結婚による新たな<出発>による喜びの方が勝っているのであった。妙子は言った。
「いいじゃない、江戸時代でも」
「いいじゃない」
という言葉には、自分たち、所謂
<社会>
の側が、生活として苦しいのを正当化し、自身に受け入れるよう、言い聞かせようという意味合いもあったのかもしれない。昭和17年(1942年)の実質的戦勝以降、半ば、
・<非常時>=<常時>
が続く生活状況は、妙子という1人の若い女性にどうにかできるものではない。また、皆が苦しい状況にあるのである。故に、
「社会なんて、あるいは生活なんて、どこを見まわしたって、こんなものよ」
と自信の置かれた状況を自身に納得させようとしていた。換言すれば、ある種の
<理不尽>
につぶされないように、自身を支える
<生活の知恵>
というべきであったかもしれない。
しかし、
「いいじゃない、江戸時代でも」
という言葉には、
「とりあえず、私達は直接、戦乱に巻き込まれなくてよかった」
という意味合いも含まれているようである。
<太平の眠り>
と称せられた江戸期の前には、無論、戦国時代があり、戦乱で多くの人々が苦しんでいたことは、妙子も知っていた。それこそ、かつて、幸長から借りた書籍で読んで知っていたのである。
当時を生きた人々の苦しみは如何ばかりであったろうか。
妙子としては、‐彼女自身が物心つく前だったとはいえ-父・峯雄を実際に無くしているので、本心で、
<戦乱>
を嫌う、彼女なりのある種の<厭戦気分>があったのであろう。
「いいじゃない、江戸時代でも」
という台詞には、そうした本心のある種の吐露があったようである。
「そうだな、江戸時代でもよいかもな」
幸長が、同意の台詞を口にした。妙子より、3歳程、年上の彼は‐彼も最近、大学を卒業して、所謂<社会人>になっていた-、男である以上、今日の日本が
<大東亜戦争戦勝国>
でなければ、
徴兵→戦場送り→場合によっては人生の強制終了
つまりは、
<戦死>
となっていたかもしれないのである。それを思えば、幸長にとっても、
<江戸時代>
というべき今日の方が、はるかにマシとも言えた。
そして、何よりも、妙子との結婚という
<出発>
はなかったであろう。
ほの暗い部屋の中で、自身に新しい<出発>を与えてくれた
<平和>
に対し、幸長と妙子は、ともにその有難さを感じ取っていた。
「降りてらっしゃい」
下から、幸長の母・則子の声がした。
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