平穏な日常

@nekowanko

第1話

 職場同僚の女三人でのランチタイム。和希と同僚二人は日の当たる気持ちのいい窓に面したテーブルについていた。


 会社のちょっとした出来事を話していたはずだったのが、何きっかけかわからないが、いつの間に自分の体験でもいい、身近な誰か体験を聞いた話でもいいから、怖い話、不思議、驚き体験を語ろう、ということになっていた。

 薫ちゃんは、自分の知ってる話は、ちょっとマジで怖くてグロい話だから、別の機会にと言葉を濁した。食事時の話ではないらしい。

 もう一人の同僚夏菜子さんは、そういう話が大好物らしく、えええ、ダメなのぉ、ほんと絶対今度ね、と、食いついて、残念そうにいつか必ず続きを話してもらえるように薫ちゃんに確約させた。


 流れを思い出すと、怖い体験ない?びっくりするような話聞いたことない?って言い出したのは多分夏菜子さんの様な気がする。

 その夏菜子さん自身はすでに話したい話題があるらしく、ウキウキで、じゃあ次は自分の番ね、と、捲り上げる袖などない半袖の季節だが、あればまくっていただろうと思われるほど、前のめりになって話し出した。


 何年か前にさあ、3Dプリンターの銃で自分の手を吹っ飛ばした男がいたの知らない?


 へえ、そんな事件あったんですか?と、薫ちゃんがフォークにクルクル巻いたパスタを大きく開けた口に入れる。手を吹っ飛ばした話などまるで平気だ。薫ちゃんの持ちネタはかなり侮れないものかもしれない。


 和希は黙って、はて、というように、或いは記憶を辿るように少しだけ首を傾げている。


 あの人さあ、と、夏菜子さんは薫ちゃんと和希の薄い反応は気にせず話を続けた。あたしの通っていた小学校に勤めていた人だったの。びっくりしない?

 まあ、あたしの担任だったとかじゃないんだけどね。直接は会ったことないの。と、夏菜子さんは残念そうに唇を引き伸ばした。あたしが入学した時にはもう転出してたみたい。

 でも、よ、あたしの地元なんて自慢じゃないけど、かなり田舎なわけよ。


 ふふふ、夏菜子先輩、そりゃ、自慢じゃないですね、と、薫ちゃんが紙ナプキンで口を押さえながら笑った。

 だからさ、と、思わず笑ってしまった薫ちゃんに気を悪くするでもなく、夏菜子さんの話は続く。そんな田舎にも関わらず、全国紙のニュースになった人がいたわけよ。それもあたしの割と身近に。ねえ、それってびっくりだと思わない?

 まーねー、くらいですかねえ、と、薫ちゃん。

 そんな言い方する芸人いましたよね、と、和希はココロで突っ込む。


 いつもほのぼの和希ちゃんは、どう思う?すごと思わない?びっくりじゃない?

 

 すごいです。びっくりしました。


 ははははー、と、夏菜子さんが笑った。ほのぼのかずちゃんにそう言われても、やっぱり、気が抜けちゃうなあ。


 ほのぼの和ちゃん。

 夏菜子さんは和希のことをそういう。

 和希がどちらかと言うとおっとりしていること、そして、すこしのことにオドオド、ビクビクする癖があることでそう思っているのかもしれない。ちょっと垂れ気味で笑うと線になる細い目と丸顔、さらに肌が白い見た目も、なんとなく平和そうに見えるのだろう。


 これって、あたしの地元の友達から回ってきた話でさあ、確かにかなり前の話だけど、聞いた時には、あたし、ええええ、ってまじ叫んだんだけどなあ。

 もうニュース自体が新鮮じゃないしね。

 と、二人と驚きを共有できなかった夏菜子さんはガッカリ気味に言い足した。


 罰として、薫ちゃんは、その怖グロい話、絶対絶対聞かせてよね。

 と、夏菜子さんが憤然と言って、食後のコーヒーを飲み干した。


 夏菜子せんぱーい、なんで罰なんですかあー?と、薫ちゃんが困って八の字眉になりながら、情けない声を出す。

 だって、薫ちゃん、あたしの話に全然食いつかないんだもん。

 そんなあ。あたし、その事件、あんまよく覚覚えていないんですよ。それに、関心なさそうなのは、和希さんも同じじゃないですか。

 あんた、よく、先輩も巻き込もうとするねえ。さすがやり手の新人。

 もう、夏菜子先輩、和希さんが困ってますよ。と、薫ちゃんは、さらにわたしの名前を重ねて防護壁を積み上げる。

 ね、和ちゃん、今度休みの日に三人で集まってさ、じっくり薫ちゃんの怖グロイ話を聞かせていただきましょうよ。


 あ、ああ、あの、その、あたし、休みは、と、せっかくの夏菜子さんの誘いなのに和希はたじろぐ。


 和希には友達がいない。

 だから、ランチに誘ってくれるこの先輩と後輩は彼女にとって貴重な存在だ。

 だからこそ、和希はなんとか夏菜子さんの気分を損ねないように上手く断れないかと当たり障りのない断りの言葉を探す。


 出た出た。和ちゃんて、プライベート守る女なんだよね。

 と、夏菜子さんが諦めたような言った。

 へえ、そうなんですか?

 と、薫ちゃんも興味を持ったらしく聞いてくる。


 あの。夏菜子さん、と、和希は少し語気を強くして切り出した。あたし、その事件覚えてます。

 自分に対するの興味から話題を逸らしたい気持ちもあって、言い出せずにいたことを和希は正直に言った。


 いいの、いいの、話を合わせてくれなくても。優しいよね、和ちゃんって。

 先輩は大丈夫だというように小さく頷いてみせた。


 和希は深く息を吸って、明るみにだしかけた話を飲み込んだ。


 覚えている。

 自分は中学生で、その日は学校がお休みで、必要なものを買いに目的のお店のある駅に向かう電車に乗っていた。

 嫌な気配は前方から来た。

 たまに感じる。

 重い、粘りつくような、臭いなんてないはずなのに獣のような生臭い臭いが漂っている、と、鼻腔ではなく脳が判断している。嫌な圧迫感。

 普段は意識して目を逸らすようにしているのに、この日は、あまりに近くから来るので思わず顔を上げた。

 近い、と思ったのも通り、粘つく念に囚われていたのは、和樹のすぐに目の前に立った男だった。

 父親と同じくらいの年齢だろうか?

 思わず和希は男の顔を見てしまう。

 悲しみと怒りの混ぜ合わさった濁った色の仮面と本来の男の顔が、電車の揺れとともに入れ替わる。

 何があるんだろう。

 何かをするんだろうか。

 漠然と嫌な予感だけが浮かんでくる。

 嫌なのは、不安な気配がわかっても、それを自分でどうすることもできないことだ。

 今までも。

 この時も。

 この時、和希にできたことは、自分の目の前で起こる、不気味な変面から目を逸らすことだけだった。


 その午後、陸上大会で銃が暴発する、というニュースがスマホに上がった。スタート合図をするあの銃?と、不思議に思ってつい記事を開くと、ニュースサイトにあがっていた犯人の顔写真は、まさに朝の電車で、和希の前に立っていたあの男のものだった。


 なんとなく、わかることはわかるらしい。

 意識的であっても、無意識であっても。

 よくないことが起こりそうだと。

 だが、どうすることもできない。


 子供のころ、友だちと滑り台で遊んでいた。

 順番に滑って次は和希の番。

 でも、いいや。なんか、いい。行かない。あたし、ブランコに行こっかな。

 そう?じゃ、あたし、もいっかい滑ってくる。そう言って勢いよく階段を登っていった友達は途中で投げ出されて、痛い痛いと地面に倒れて泣いていた。経年劣化した階段のビスが外れて、踏み台が傾いだのだった。


 別の記憶。

 友達と二人並んで歩いていたその歩道の途中で、靴紐解けててるよ、と、友達が和希の足元に、目をやった。

 本当だ、ちょっと待ってて、和希が歩道の端、建物側に移動して靴紐輪結び直そうとしたところで、暴走車が歩道に乗り上げる。和希は無傷、友達は、車と接触があったが軽症で済んだ。

 もし、和希の靴紐が解けていなかったら、あたし達二人とも大怪我だったよ。靴紐様々だよ、と、後日友達は和希の靴を見ながら感謝していた。

 だが、そうだろうか?

 あのまま歩いていたら、位置的に友達は助かったのではないか?友達は助かって、多分自分は亡くなっていた。


 和希は、自分に向かう凶事を、その時一緒にいる友達に身代わりになって受けてもらっているのではないか。と、だんだんと不安に思うようになる。

 


 その懸念から、和希は友達と呼べるほと親しい相手を作らないよういつしか慎重に行動するようになる。

 休みの日は誰とも遊ばない。約束もしない。出かけようと誘われても用事があると断った。

 教室で会えば、話もするし、休み時間は遊びもする。

 けれど学校を離れた場所では、付き合いの悪い人間になった。

 そういう関係を続けていくと、和希にはプライベートで親しい友達は一人もいなくなっていた。


 ばあちゃんは、そんな和希をよく慰めた。


 和希ちゃん、研ぎ澄ます生き方もできただろうけど、それもいい。負けるが勝ち。知らぬが仏。

 でも、寂しいね。

 失うことを考えれば諦めざるを得ないのは仕方ない。仕方ないけど、やっぱり寂しいよね。

 和希ちゃんは優しいから、寂しさを選んだね。

 えらいえらい。よしよし。


 ばあちゃんには霊感がある。

 ばあちゃんはそんな話しを和希にしたことはなかったが、普段の様子とか、言葉の端々から和希にはそれがわかった。

 ばあちゃんには和希よりよほどハッキリとした力がある。きっとこのことを知れば、夏菜子さんは、是非是非おばあさまに会わせて、って、お願いしてくるだろうな。

 ばあちゃんだけが、なんの説明をしなくても和希が友達を作らない理由をわかってくれた。

 そのばあちゃんが、和希はこれでいいと言ってくれた。

 だから。和希は人とは距離を置いて、寂しくても平穏な人生ってを送っていこう、と決めたのだ。


 もうすぐ昼休みも終わる。


 いつも平和でほのぼのの和希だもの、やっぱり怖い話も不思議な話も人が驚くような話も持ってるわけないか、ないですよね、という共通認識を夏菜子さんと薫ちゃんが二人で確認しあっている。わたしもそれで良しです、文句なしです、と言葉にせずに和希も納得して、ガールズトークは終了。


 食べ過ぎたかな。ちょっとお腹の調子がよくないな、と、和希は自分の料金をテーブルに置いて、あたし、会社に帰る前にちょっとお手洗い行ってきます、と立ち上がる。


 了解、了解。と、夏菜子さん。和希に向かって敬礼する。

 気をつけて下さい、と薫ちゃんがお茶目に言った。

 

 店の奥、トイレのドアを閉めたとたんドアの向こう、和希の前方から、メキ、ガシャーン、と、爆音と振動が風圧となって襲ってきた

 ガラスの割れる音、悲鳴。

 ダンプが!

 救急車を!

 誰か。

 誰か!!


 和希はトイレのドアノブを掴んだまま動けない。


 こんなに、こんなに、寂しさに耐えてきたのに。


 ドアを開けた先に待っている現実に直面できずに、和希は立ち尽くす。


               (終)


 



 

 

 


 

 

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