第7話 会社は会社ごっこ

子供の頃、僕は大人の社会とはもっと完成されたものだと思っていた時期があった。

誰もが理性的な判断を下し、公平なジャッジをすると。


でも実際の社会はそうではない。

もっと汚いし、もっと歪んでいる。


それは会社も同じ。


大学を卒業して就職したての頃は、頑張れば会社が正当に評価してくれると思っていた。

それは20代の時だけではなく、30代、40代の頃も同じだ。

頑張ればいつか花開くと思っていた。


だけど実際には必ずしもそうではない。

頑張っても報われなかったりする。

そして納得できる理由よりも、理不尽な理由の方が圧倒的に多い。


真面目にコツコツと仕事に取り組んで成果を出す人よりも

処世術を駆使する人間の方が出世、昇格する。


ゴルフ外交とか宴席外交とか。


正直に認めるが、僕はそういう処世術には長けていない。


お酒は嫌いではないが、会社の人達との飲み会は好きではない。

どうしてもあの独特の「群れている感」が好きになれないのだ。


僕は自分の時間の方が大切だ。


そんな中である時、気づいたことがある。


会社って「会社ごっこ」しているだけなんだと。

もしくは「組織ごっこ」とか。


組織には様々な役割が必要だ。それが部署に発展する。

そして貢献度や成果度合いに応じて人の序列が出来上がる。



だから色んな役職が設けられるようになり、そこに所定の権限が付与される。

そして組織内での指揮命令系統に沿って社員は動かされる。


組織の中にいる時には当たり前だと思っていたことが、

カメラをずっと引くように遠い距離から客観的に見るようになると

今までは見えなかったことが見えるようになってくるし

今までは感じなかったことを感じるようになる。


その一つが「会社は会社ごっこ」という表現だ。


その役職や権限は、会社に所属している時だけのものだろう?


それって人間の本質的な価値と何も関係ないだろう?


なのに、なぜそんなもので人生が決まるんだ?


どこかの会社の役員であることが、部長であることが、課長であることが、そんなに凄いことなのか?


どんなに会社内での地位が高くても、肩書きが上位でも、外の世界に出たらただの一人の人間にすぎない。


むしろ会社の地位や肩書きをもって自分が偉いと勘違いしている人間ほどタチが悪い。

会社の外に出たら自分が一人の人間にすぎないことにも気づかない。


そこから透けて見えてくるのは「会社ごっこ」でしかない組織での役職や肩書きを勲章だと勘違いしたまま自分の人生に向き合うことの出来ない (本人も気づいていない)悲惨な実態だ。


そんな人生の何が楽しいのだろう?


僕は会社の名前や役職や肩書きなどに定義されない生き方にこそ幸せがあると思う。


少なくともそんな「会社ごっこ」の姿に気づき、そこから出た自分を幸運だと思っている。



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