第6話 休みが少なすぎる

サラリーマンは休みが少なすぎる。


土日は平日の疲れた心身の回復でほぼ終わってしまう。

趣味とか他にやりたいことに十分に確保できる時間は少ない。


要するに

平日は業務として「やらなくてはならないこと」をやる。

休日にようやく体力を回復して「やりたいこと」に着手できる。


だけど後者の時間は圧倒的に足りない。


1年間の2/3を働いている。(働かされている)

まるで作業ロボットと同じ。


加えて家族や親戚に不幸があっても忌引き休暇はたったの1週間だ。


家族が死んでも休めるのは1週間だけ。

翌週には職場復帰せよ。

これがサラリーマンの現実。


僕はこんなのは理不尽だと思った。

人間の生死よりも業務の方が大切になってしまっているとさえ感じた。


僕はサラリーマン時代に隣の席の先輩が、お父様が亡くなったのに

わずか1週間の忌引き休暇で翌週には出勤している姿を見て複雑な気分になったことがある。


その人だけではない。他の社員たちもそうだった。


実際、僕が最後に働いた会社は、肉親の不幸という悲しみに耐えて業務に黙々と取り組む姿勢を称賛するかのような風潮さえあった。


ある年の12月に社長のお父様が亡くなった。


社長は関西出身だったが、やはり会社の規定通りに1週間は休んだが翌週には出社していた。


その後、いつの間にやら「社長は素晴らしい。最愛のお父様が亡くなられたのに最低限のお休みで業務に戻られた。そのお姿はご立派だ」という雰囲気が会社内に蔓延した。


僕はそういう雰囲気にウンザリした。

両親と会社のどちらが大切かなんて考えるまでもない。

だが雇用されている限りは会社を優先することになる。それが現実だ。


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父が心臓の痛みを訴えて居間にうずくまった時

僕は救急車を呼んで父を病院に搬送することができた。


残念ながら10日後に父は息を引き取ったが

僕は病室で父の最期の姿を看取ることができた。


兄は仕事で忙しいと父の通夜や葬儀の手配は何一つ出来なかったが

僕は通夜も葬式もすべての手配をすることが出来た。


父の一周忌を迎えた時

僕は新幹線で地元に戻って菩提寺で法要を執り行うことができた。

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これらは全て僕がサラリーマンを辞めたから出来たこと。

自由だったから出来たこと。

とても良かったと思っている。



サラリーマンでは

有給休暇や忌引き休暇など制度上の休暇はあっても、

実際には日数は少ないし、なかなか融通もきかない。


それがサラリーマンとして雇用されることの実態だ。


でも誰もそれに異論を唱えない。

労働条件だから従うしかない。


それもまたサラリーマンとして雇用されている人達の姿だ。

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