第5話 会社は牧場
サラリーマンが羊の群れと同じに例えられるのはなぜだろう?
間違えやすい点だが集団行動だからではない。
集団で行動する動物は他にもいる。
ライオンやオオカミもそうだ。
羊は牧羊犬に追い立てられながら放牧生活をする。
サラリーマンにとって、会社は牧場であり上司は牧羊犬だ。
そして牧羊犬に吠えられて働き、休む。
これが労働条件に従って働き、または、休暇を取得することだ。
一方、ライオンやオオカミは誰の指図も受けない。
そしてサラリーマンはホウレンソウ=報告・連絡・相談というルールの下で行動することを要求される。
これは常に会社や上司に管理・支配されているのと同じだ。
それゆえに自分で決めることに不慣れになる。
自分だけですべてに責任をもって決める機会などないからだ。
さらには気づかぬうちになんでも会社での運営を基準にしてしまう。
そうして視野が狭くなって無意味な社内の秩序や序列ばかりを重視するようになる。
会社組織内の肩書きなど人間の本質的な価値とは無関係なのに。
羊は従順だが、素直に従うという意味では良いけれど
悪い意味では指示に従うことしかできない。
これをサラリーマンに当てはめるならば、例えば、昼間に国土に非常事態が生じたとする。
甚大な自然災害や他国からの攻撃などだとしよう。
その時、多くのサラリーマンは会社からの帰宅指示または許可が出てからオフィスを離れるだろう。
逆に言うと会社からの指示や許可が出るまではオフィスに残る人が大半だろうと思う。
そうやって牧羊犬に管理・支配される集団生活が長くなればなるほど自分自身で意思決定する能力は低下し、自分以外の誰かに支配されることにも慣れていく。
そしてもはや自由がなくなっていることにも気づかない。
むしろ反対に、その集団から離れて自力で自由に生きていくことなど不可能だと考えるようになり、
今までの生活を維持するためにますますその集団にしがみつくようになる。
中にはもっと良い環境やキャリアップを求めて途中で転職していく人たちもいる。
だけどそれは条件の良い別の牧場に移籍したにすぎない。
単に外側の条件が前よりも良くなっただけだ。
やがて世代交代がやってくる。
若い羊が新たな労働力になり今までの羊はお払い箱になる。
だが、もはや牧場の外に出ていく勇気も気力も失われており、
自分で食べ物を得るスキルは何一つ身についていない。
牧羊犬から追い立てられて仕事をこなしてきたきただけで
自分がやりたいことを追いかけてきたわけではないからだ。
それは受け身の人生でしかない。
本当の幸せは外側の条件ではない。
自分の内側であり内面だ。
それはどういう人生を送りたいかという信念だ。
そこに価値観を宿していれば職業は関係ない。
そうすればサラリーマンだろうと自分のビジネスをやっていようと
自分主体の人生を積み上げていくことが出来ると僕は思っている。
だが残念なことに多くのサラリーマンはそうではない。
毎月の給料や福利厚生という目の前にぶら下げられたニンジンの味に慣れてしまうからだ。
もちろんサラリーマンである利点もたくさんある。
集団という多くの人との関わりを通じて社会性を学んだり
固有の専門知識やスキルを身に着けたりすることが出来るからだ。
それにサラリーマンゆえに実現できる事や行ける場所もたくさんある。
実際、僕も2度もニューヨークに勤務する恩恵を被った。
パリやロンドンやシドニーといった大都市にもビジネス出張する機会にも恵まれたこともあった。
でも、もし自分主体の自由な人生を歩みたいのならば牧場で過ごす羊のままでいたいのか、
ライオンやオオカミになりたいのかをよく考えた方が良いと思う。
なぜなら今の自分が羊であったとしても、勇気をもって柵を飛び越えて牧場の外に飛び出せば、
もはや羊ではなくライオンやオオカミだからだ。牧羊犬に支配されることはなくなる。
そして自分と同じように自由を求めるライオンやオオカミと出会い、
共に旅をしながら今までは見ることのなかった景色を歩んでいけるのだから。
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