第10話 堕天

それから幾ばくかの時が過ぎた。

数日だったかもしれないし、数週間だったかもしれない――いや、季節が何周もしていて、数年経っていたかもしれない。

その間、彼女からの連絡は一切なかったが、ある日彼女から返事が来たのだ。


『久しぶり』


たった5文字だけのメールに俺は複雑な気持ちも抱えつつも喜ぶ気持ちを隠せずにいた。

俺は、『久しぶり。元気だった?』と返事をした。


『返事遅くなっちゃってごめん。さすがに私のこと、もう嫌いになったかな? 忘れちゃったかな?』


『そんなわけないよ。今でも好きに決まってる』


正直、もう忘れようと努力はしていた。

絶対にもう一度彼女と繋がることはないんだって――だから忘れようって自分を抑圧していた。

だから、彼女からメールが送られてくるなんて俄に信じられなかった。

でも、俺も俺でそのメールを読んだ瞬間に彼女を好きで好きでいっぱいだった当時の恋心を思い出した。

騙されていたのかもとか嘘だったのかなとか、諸々抱えていた問題が全部吹き飛んで、また彼女の支えになろうとしている自分がいた。


『――で、なんかあったん?』


彼女からメールが送られてきたことなんて今までで一度もなかったから、きっと何か困ったことがあって猫の手も借りたいほどなんだろうと俺は推察して、彼女にそう聞き返した。


『私ね、小林くんに話さなきゃいけないことがあるの』

彼女はそう俺に伝えると、何回かのメールに分けて俺にこのように言った。



『私、今風俗で働いてるの』

『小林くんが見たくて見たくて仕方なかった私の裸、小林くんが今までにくれたお金の半分未満の金額でいろんな人に見られてるの』

『そして、毎日汚いおじさん達のちんこ舐めて、自分で広げたまんこにおじさんの汚いちんこ挿れてもらって喘いでるの』

『「きもちい、きもちい」って、おじさんと毎日キスしてSEXしてるの』

『最初は嫌だったのに今はもう何にも感じなくなってきてね・・・。お金も稼げるし、きもちいし、こんな簡単にお金稼げるならはじめからもっと早くやれば良かったって・・・』


『――全部、あなたがいけないんだよ?』

『あなたが私を信じてくれなかったから・・・』

『だから、私は身体を売るしか方法がなかった。そしてこんなにも汚くなってしまった』

『両親が死んで在ないことも、おばあちゃんが認知症なのも全部全部ほんとなのに――あなたがなんにも信じてくれなかったから――だから、私はこうするしかなかった』

『・・・全部、全部、あなだがいけないんだよ?』


俺は、その彼女の報告にすぐに返事をすることはできなかった。

一番"そうなってほしくなかった未来"が現実になっていたからだ。

俺は、自分の中で答えが定まらないまま彼女に衝動をぶつけた。


『――どうして、そうなる前に俺に言ってくれなかったんだよ!!』

『俺、ちゃんと話したよな。"何かあったら頼ってくれ"って――"君のためなら何でもする"って――どうして頼ってくれなかったんだよっ!!』


そんな風に"そうなってしまった後"で俺を責めてしまうほど今の自分が嫌で後悔しているのなら――そうなるって君だってわかっていたはずなのになんでもう一度俺に頼ることをしなかったんだ?、と俺は問い詰めた。

しかし、その逡巡、衝動、反論が、俺がその事実に拒否反応を持ってしまっていることを表しているというのに俺は気付いていなかった。



拒否反応――

それは、何年か前に一緒にバンド活動をしていて仲が良かった女性の存在が大きく影響していた。

以後、"その子"と呼ぶが、その子は前にも話した通り裏でヌードモデルを生業としている子だった。

俺は、その子の"裏事情"を知る前に共にバンド活動をし、交流を深め、自然とその子のことを好きになった。

今の彼女と同じようにからだが弱く、精神的に病んでいる側面があった為、その時も俺は彼女を守ってあげたいという気持ちを抱いていた。

しかし、ある日のことだった。

たまたま眺めていたSNSに彼女によく似たモデルのアカウントがあったのだ。

後からわかったことだが、そのSNSは共通しているフォロワーやフォローがいるとあなたへのオススメアカウントとして似たアカウントをピックアップしてくる仕組みがあった。

俺は、「まさか」と震える手や鳴り止まないドキドキを抱えながら、彼女の裏アカウントたるものを閲覧した。

「せめて水着ぐらいであってくれ・・・」という淡い願いは、数分で水疱と帰した。


俺は、当時その子のことが大好きだった。

病弱な彼女を支えてやりたいと思っていたし、守ってやりたいと思っていた。

だから、その事実はあまりに突然なことで、とてもじゃないが受け入れることも消化することもできず、ずっと体内で燻り続けた。

受け入れようと努力はした。

「好きな人なんだから」と、彼女の前では何も知らない今まで通りの笑顔で接するよう努めた。

――だが、そうすればするほど俺の心の奥の燻りが俺の全身を少しずつ蝕んでいくのを感じた。

ある日、その臨界点を迎えた時――

俺は、その子に「全部知ってるよ」と打ち明けた。


ずっと隠し続けるよりは気が晴れると思ったのだ。

いつか打ち明けなければならないことだったし、二人でそれを受け止め、それでも一緒にいようって気持ちになれると――そうしなければいけないんだと思っていた。

だってそうでもしないと俺達の関係は発展しない。

双方が隠し続けたままもっと仲良くなることなんてできないと思ったんだ。


――でも、実際にはそれがきっかけでその子は俺に距離を置くようになった。

もっと近づこうと仲良くなろうとして取った行動なのに、俺からどんどん離れて行こうとする彼女に俺はいつしか怒りや憎しみを覚えた。

俺は、「助けてやりたい」とか「救ってやりたい」とか俺が思っていたことを否定し真逆の行動を取り続ける彼女に呆れ、馬鹿にし、否定し――いつしか俺は、思い通りにならない彼女を自ら手放した。



そして、その何ヶ月後かにその子はリストカットをして、それによって血管を深く傷つけたことが原因で死んだ。

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