第二章

第7話 挨拶

『おはよー』


俺は、朝起きるとその日も彼女に挨拶をメールで送った。

返事は来たことがない。

既読もついたことがない。

それでも俺は、朝は『おはよう』、夜は『おやすみ』の挨拶のメールを送った。

そうすると、想像上の彼女が俺の前に現れ、俺はその彼女を抱きしめることができる。

俺は「嘘でもいいんだよ、騙しててもいいんだよ」と彼女の頭を撫でる。

そうすると彼女は「もう、いい加減うるさいよ」って呆れそして困った笑みを浮かべて俺に返事をしてくれる。

今はまだ夢幻でも、それをずっと続けていたらいつか現実になると――

俺は、そう信じていた。


俺は、そのこと以外では毎日空虚な生活をしていた。

朝決まった時間に起きて、定刻まで労働に勤しみ、日が暮れた時間に帰路につく。

いたって日本人らしい"普通"の生活をしていた。

何か特別なことがあるわけでも、起こるわけでもない。

社会の歯車の一つとしての生活。

10年以上そんな生活を続けてきて、それに対して感情はなくなった。

そう言うとなんか厨ニ臭いって思うかもしれないが、実際にそうなのだから他に言いようがない。

あらゆることに愚鈍になっていなければ、今の日本はとてもじゃないが生きるのが辛かった。


だからこそ、彼女の存在は俺にとっての希望だった。

灰色な毎日を色鮮やかにしてくれると期待していた。

他に楽しいこともやりたいこともないから、だから彼女のためにお金を使った。

彼女がそれで喜んでくれるのが俺の喜びだった。

自分が彼女のために役立っているという感覚が、自分に存在意義を与えていたのだ。

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